第21話

「他にあてはあるのかい?」


「まったく……」


「んーーーー」


 考え込むように急に唸りだすおじさん。

 数秒後に唸りをやめるが、腕を組んだあとに、再び唸り続けだすおじさん。


「おい、うるさいぞ!」


 寿司を作っているカウンターの向こうにいる大将が、おじさんに向かって文句を言うように叫ぶ。

 おじさんは体をカウンターの方へ向け、声が大きかったことを少し悪びれるように大将に向かって話す。


「あぁ悪ぃ悪ぃ。寿司作ってる最中で申し訳ないけど、お前もう一度バンドする気ねぇーよな?」


 大将は寿司を作っている手を止めて、おじさんの方へ向き真剣な表情をする。

 少し考え、再び寿司を作る手を動かして、問いの答えを出す。


「もう年だしな、たぶんない。」


「そっか、じゃあ俺のホテルの地下のステージにある楽器、全部おろしていいか?」


「あぁーええんでね?どうせ誰も演奏する気ないぞ。でも急にどうした?」


「こいつらに、俺のホテルの地下貸そうかなって」


「ああいいんじゃね?」


 二人の落ち着いた会話に突出するように、ミオは立ち上がった。


「そんなの申し訳ないですよ!!」


 大将は、あとは任せたという様に、カウンターにある調理場とは別の、奥の方の厨房へと去るように行く。


「あぁ?ええんやって、どうせ誰も使わんところや。ついでにこのホテルの最上階も使ってええ。エレベーター壊れて誰も階段であんな上まで行かんから、好きにしろ。変なボロアパートよりよっぽどマシやぞ。」


「いや……住むところまでなんて、本当に申し訳……」


 ミオは大人の心情というものが入ってしまい、言葉を詰まらせてしまう。


 この大人同士の、温情に対して遠慮するという無限ループをぶち壊せる人がただ一人、この場にはいた。


 そう、まだ中学生である賢人だ。


 賢人はミオより勢い良く立ち上がり、深々と頭を下げる。


「おじさんのご厚意、ぜひ甘えさせてください。」


「おう!!ええぞ。」


 おじさんは威勢よく賢人の肩を叩く。


 その横でミオは賢人に大き目のヒソヒソ声で、焦るように話しかける。


「ちょっと賢人!!」


「良いじゃん!おじさんもこう言っているんだし、使わせてもらえば。」


 おじさんの賢人の肩を持つ手が、ミオの方に移る。


「ギターの姉ちゃんも遠慮せんでいいって!」


「本当にいいんですか……?」


「ええぞええぞ、自由に使え。でも光熱費くらいは払って欲しいから、月5万くらいは欲しいがな。」


 厨房の方で吹き出すような大将声が、客席の方まで微かに響いた。


 ――威勢よく言って光熱費とるんかよ。


 ミオは申し訳なさそうに、頭を深く下げて店全体に響くくらいの大きな声をだした。


「ありがとうございます!!」


 賢人もミオに続くように、再び深々とお辞儀をした。


「話は済んだかい?」


 大将が厨房から出てきて、三人分の寿司をテーブルへと持ってくる。


 テーブルに運ばれたのは、三人分の豪華な寿司……ではなく、三人分の歯ごたえのあるキュウリを、シャリとノリでまいた、ごく普通のかっぱ巻きであった。


 店内に何とも言えない沈黙した、静かな雰囲気が漂う。


 かっぱ巻きを目の前にした二人は、おいしそうに頬張る、豪華料理を目の前にした食レポをするアナウンサーのように、盛大に美味しそうな表情を浮かべ喜ぶべきなのか、一人でラーメン屋に入り、カウンター席で「いただきます」をする時のように、静かに食べるのか。


 奢られたという立場で言うのであれば前者なのだが、かっぱ巻きを目の前にして盛大に喜ぶには大げさすぎる。


 大将は、何も見ず聞かず知らずを貫徹するように、彼らが座っているテーブル席を後にして、一人逃げるように奥の厨房へと戻る。


 二人の目の前にいるおじさんは、両手を前に出して手を合わせる。


「いただきます。」


 二人もおじさんに続いて手を合わせ、決して豪華とは言えない寿司をぺろりと平らげていった。



 寿司屋を出る間際おじさんは、二人を含めた三人分の会計をし終えて、先に二人よりほんの少し店から早く出る。


 店内にミオと賢人と寿司屋の大将だけになった瞬間、ミオは寿司屋の大将に急いで詰め寄った。


「あのおじさん、何者ですか?」


 寿司屋の大将は少し困ったような顔をした後、誇らしげに答えた。


「ただの、老いたバンドマンだよ。ちなみに俺もね。」


 大将は、ほんの少しだけ自分たちの本性を明かすと、早く店を出るように彼らに向かって、手の甲で払いのけるような仕草をして退店を急かす。


「大将、ごちそうさまでした!!」


 ミオは去り際に大将に軽く会釈をして、たかがかっぱ巻きに盛大な賛辞を送り、店の外へ出る。


 賢人は軽く会釈するだけで、ミオについていく形で店を後にした。



 ホテルへの帰り道の道中、かっこいいドラムの演奏とは反して、だらしない格好のおじさんのどうでもいい内容の話を、水汲み鳥のように適当にうなずきつつ、適度に相槌を打ちながら、華麗にやり過ごす二人。


 ホテルに着くと、賢人とミオはおじさんに一言あいさつをして、使えもしないエレベーターを通り過ぎ階段を登ろうとする。


「おい、お前らちょっと待て。」


 エントランスのど真ん中で引き留められた二人は、その場で立ち尽くす。


 受付のカウンターで、ごそごそと何かを探すおじさんは、手に何かを握り二人の前へ戻る。


「お前らすぐに、今泊っている部屋出ろ。」


 半ば急かすような口調で言うおじさんは、カウンターから握りしめてきたものを、2人の前にぶら下げる。


「これもしかして…」


 すでに約束されたことではあるが、東京進出への足掛かりとなるカギが、目の前にあることで、思わず口を開いたミオ。


「おう、そうだ。お前らの新居になる予定の部屋のカギだ。もちろん最上階だがな。」


「ありがとうございます。」


 両手で丁寧に受け取ったミオは、右手でそれを大切に握りしめる。


「あの、本当に申し訳ないのですが、もう一つお願いしてもいいですか。」


 賢人にしては珍しく、下手に出ながらおじさんに向かって、営業マンのようなトーンで頼み込む。


「なんだ?」


「部屋の鍵もう一つもらえませんか?ツインベッドの部屋で。」


「他の二人もここに呼ぶのかい?」


「そうです。」


「分かった。」


 おじさんは再び受付のカウンターに向かい、同じものをもって二人の前に差し出す。


 次は賢人がそのカギを受け取り、深々と頭を下げる。


「ありがとうございます。支配人!!」


「いや、支配人って言い方やめてくれよ。ここは俺のホテルだから間違って位はいないが、この見てくれで支配人って言うのはちょっとな。マスターでいいぞ。」


「あんまり変わらない気が…。」


「いや俺の名前、舛田だから問題ない。」


 ミオが元気よくおじさんに突っ込んだ。


「変わらんでしょ!!」


 マスターは笑みをこぼしながら、足取り軽くカウンターの奥へと去って行った。


 ミオと賢人の二人は、階段を上って今泊っている階層を通り過ぎて、最上階へと向かう。


「さて、新居のお披露目と行きますか。」


 ミオは最上階の東京の新たなる新居となる扉に、マスターからもらった鍵をさし、左へと回し扉を押し開けた。


「下の部屋よりちょっと広いね~~」


 先に入ったミオは歩き回り、部屋の隅々まで目を凝らしていく。


「ミオ?どっちのベッド使いたい?」


「私はこっちでいいよ」


 ミオは勢いよくベッドの上にダイブし、ミオの自重でフカフカのベッドは深く沈む。


「ホテルのベッドって気持ちいいよね~~~」


 ホテル特有の空気がたっぷり含まれた枕に、ほほをこすり付けベッドメイキングされた後の一番乗りの気持ちよさを、猫のように楽しんでいる。


「先に下戻っているよ」


「私ここで寝るから、一人で行ってていいよ」


「メイク落として寝なよ」


「はいよ。おやすみ。」


 賢人はミオがいる部屋の鍵を持って、廊下へ出る。


 部屋の扉を静かに閉めると、そっと鍵をかけて二つの鍵を持って下の階の、仮部屋へと戻る。


 賢人は部屋に戻ると、シャワーを浴びて、長い前髪を垂らしながら、ミオと同様にベッドの上に倒れ込んだのであった。


「賢人!起きて起きて!」


 まだカーテンの隙間から朝日すらも覗かない午前5時。


 賢人だけが寝ている部屋のドアを力強く叩く音と、ドア越しからでもはっきり聞こえるミオの大きな声。


 常識外れの時間と、規格外の目覚ましで一瞬で目を覚ました彼は、寝ぼけ眼でドアの方へ向かう。


「あいつら今から呼ぼうよ」


「あいつらって、ショウとカイト?」


「他の誰がいるん?」


 ――今何時だと思っているんだよ。


 ミオは自分のスマホを取り出して、ショウに電話をする。


「賢人はカイトに電話して」


 いやいやながら、ベッドのそばに置いていたスマホを手に持って、カイトに電話をする。


『現在電話に出ることができません。ピーっと言う発信音の後に……』


「ショウ電話に出んやん!」


 ミオは手に持っているスマホを投げ捨てるように、ベッドの上に置く。


「何時だと思ってるの?ミオ」


「朝の5時だけど?」


「普通の人は寝ている時間だよ。」


「でも、今電話すれば、今日中に往復できるでしょ。」


「まぁ……」


 東京に来ていない向こうにいる二人のために、どうにか日帰りにさせてあげたいという、ミオの心遣いだが、やや乱暴というか無茶が過ぎる行動ではある。


 ミオがスマホを投げ捨てた後も、カイトに電話をかけ続ける賢人。


「俺さっきからカイトに電話しているけど、ミオがショウに電話かけないんだったら、俺がかけるよ。カイト絶対起きない。」


「そういえばそうね。」


 再びスマホを耳元にあて、ショウに電話をかける賢人。

 呼び出し音が微かに部屋に漏れ、その一音一音に一喜一憂するように、ショウが眠りから目覚めて、電話を取るのを待つ二人。


 ブチッ


 規則的に鳴り響いていた呼び出し音が、不規則に途切れた。二人の意識は、次に聞こえるであろうショウの声に期待し、ミオに至っては、賢人が耳にあてているスマホをに近づき、まるで盗み聞きをしているかのようだった。


「あーあ――。ただいま睡眠中の為、電話に出ることができませーーーん」


 スマホのスピーカーからは、ショウらしくないセリフが二人の耳に入る。


 直接スピーカーから聞いていないミオは、スピーカー越しの相手がだれか分かっていない様子である。


「カイトじゃん?ショウと一緒に何してるの?」


 いち早くカイトだと察した賢人は、ミオに通話の相手が分かるような言葉で、会話をする。


「え?物件探しだよ、東京のな。」


 賢人は自分が思いもしなかった、彼らの現在の所在に少し驚き、耳にあてていたスマホを一旦おろして、ミオの方を向いた。

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