第10話

 マイクの前に立ったミオはヘッドホンを付け、ただ声を出すだけで言葉になってない音で、発声練習をする。

 

 ガラス越しの賢人達に対して、横向きになってマイクと向き合う姿は、ギターだけを持つ姿に比べれば、いまだ冷静さを保っているように見える。

 

 祐司と音響調整のやり取りを何度かした後、祐司が声をかける。


「では一回目、行くよ。」

 

 無言でうなずくミオ。

 

 前奏が流れ始めたタイミングで、ミオは目だけ動かし賢人の方を見る。そして、口角を上げるが、それは、笑みとはいいがたい、悪魔的な表情であった。


 ガラス越しのミオが歌いだす。

 

 祐司はヘッドホンを付け、その歌声を聞くことができるが、コントロールルーム自体は無音を保っている。

 よって、賢人の耳に彼女の歌声が聞こえるはずもない。

 

 ただ彼女の歌う姿を、彼女の感情を表現する姿を、ガラス越しにただ見守っているのであった。


 五回ほど、通しで歌い終えたミオは、レコーディングブースから出てくる。


「いやー疲れたね。ちょっと端によってくれる?」

 

 実際のところ疲れなんて一つも見えない表情で、賢人が座っているソファーへ歩いていく。

 二人掛けのソファーの真ん中に堂々と座っていた賢人は端に寄り、その隣にミオが腰を掛ける。

 レコーディングブースに持ち込んでいたペットボトルの水を一口飲み終え、隣にいる賢人の方へペットボトルの口を向けた。


「賢人も飲む?」

「飲まない」

 

 あっけない会話である。

 録音した音源を整理していた祐司が、後ろを振り向く。


「なぁ賢人。ここにいないサボり二人をここに戻して。」

「さっき連絡したら、今戻ってるってメッセージ届いたわ」

 

 自分のスマホに目をやりながら答える賢人。


 廊下に出る扉が開き、二人が戻ってくる。

 ショウがコーヒーを片手に持ちながらドアを開ける様子が、妙に様になっている様子に、お互いの目線を合わせる。

 ショウはミオの方を向き、コーヒーをすすりながら近づき話しかけた。


「どうよ、調子は。」

「やり切ったって感じ。あとはみんなに任せる。ちょっと休憩。」

 

 彼女はソファーに目いっぱいに、背中を預けるようにもたれると、一気に脱力して、目元にハンカチを被せて寝る態勢をとる。


「いよいよ毎回恒例の多数決の時間が参りました。皆さん。我が弟よ、今回の作品は何個かね?」

 

 仲がいい兄弟であるようなやり取りに見えるが、これは兄がただ騒がしく、弟がそれをあしらう構図に他ない。


「今日録音したのは五回。今からオケに乗せて流すから」


 このバンド。リーダーであるミオ自身が歌っているがために、ボーカルを評価する人がいない。楽器であれば、全員が同じ耳を持っているが、声となると、自分自身の評価が難しい。自分の声を録音して聞くと違和感があるのと同じだ。

 

 これを解決するために、ミオが通しで何回か歌ったのを、先ほどの演奏した音源に乗せて、全員の多数決で決める。

 この後に、ハモリを入れるためのコーラスの声を再びミオがレコーディングする。


 曲となった音源が、5回連続で流れる。

 

 それを目を閉じて聞くものや、コーヒーをすすりながら聞くもの。目的は一様にして、様子はさまざまである。

 

 すべて聞き終わり、祐司が決をとる。


「一回目がよかった者」

 

 寝ている様子のミオの手が、ゾンビのように上がる。

 

 祐司が他のメンバーを見渡すと、言うまでもなく、全員の手が挙がっている。


「結局、毎回一番初めのやつが採用かよ」

  

 カイトの突っ込み発言によって、ソファーで寝ていたゾンビのような彼女が覚醒し、意を表するように彼の方を見る。


「一回で終わるとかレコーディングっぽくないじゃない?他のバンドの人が、私たちに別名をつけるとしたら、そう。一発屋よ。」


 コーヒーの香りがする方から、ここにいる誰もが喉まで出かかっていたセリフが飛んでくる。


「縁起の悪いことを言うのは、よしてくれよ。」

「じゃあ私は、再び深い眠りへ…」

 

 ハンカチを目元にやり、ふかふかのソファーに首までもたれる。


「まだ、コーラス残ってるよ。ミオ。」

 

 賢人がアイマスク代わりのハンカチを取り、きれいに畳み彼女のポケットにしまう。


「あと五分待って……」

 

 アイマスクをとってもなお、目を閉じた状態を維持している。

 

 賢人は静かに立ち上がりミオの正面に立つと、そのまま中腰の姿勢になり、気づかれないように、両手をソファーの背もたれの上部へ手をやる。

 周りのメンバーたちは、この先のことを知っているかのように揃って、目を反らす。

 

 ほんの少し、賢人は後ろにのけぞり、勢いをつけ自身の頭を彼女の額へとぶつける。

 まるで、お寺の鐘突きのように。


「いっったああああああ」

 

 ミオの目が全開に開く。


「おはようございます」

 

 あいさつをしながら、ボーカリストの手を取り、レコーディングブースへ強引に連れていく。

 

 額の痛みで抵抗できないミオは、されるがまま分厚い扉の向こうに、一人きりで閉じ込められる。


「祐司、マイクオンにしてミオにつなげて。」

 

 賢人は祐司の隣に座りヘッドホンをつける。

 

 デスクに肘をつき、ちょうど口元の高さで手を組み、彼女はすでに俺の手中の中と言わんばかりの様子で、尋問官のような口調で声をかける。

 ヘッドホンを付けていないミオにそれが聞こえるはずはなく、隣にいる祐司がヘッドホンを付けるようにと、大げさなジェスチャーで伝える。

 ジェスチャーを理解したミオは、痛みで悶々としながらヘッドホンを付ける。

 

 もう一度、同じ質問をする。


「ミオ。聞こえてる?」

「めっちゃ痛い。むっちゃ痛い。賢人の石頭め。」

 

 いまだに、頭を押さえて悶々としているミオを、ガラス越しに監視する。


「今日のお昼ご飯何がいい?」

 

 悶々としている彼女に、マイクを通して今日のお昼ご飯をちらつかせて、やる気にさせようとする。

 

 頭を押さえ、痛みをこらえながらマイクに近づく。


「焼き肉……」

「じゃあ、これが終わったらみんなで焼肉へ行こう」

 

 ミオの痛みをこらえる表情に少し笑みがこぼれる。

 

 いまだ頭を押さえたまま、マイクの目の前で背筋をピンと伸ばし、「あーー」、だとか、「うーー」だとかを言いながらウォーミングアップをしたあとコーラス録りを行ったのであった。


 すべてのレコーディングが終わり、各々が楽器の片づけをする。祐司は、ミュージックビデオ撮影用の超高画質固定カメラ5台を手早くリュックにしまっていく。

 そして、レコーディングスタジオのビルを全員が後にする。

 

 数時間ぶりの外の空気に触れた全員が、背伸びやらあくびやらをして疲れを紛らわす。


「これから、どこの焼き肉屋にするの?」


 賢人に釣られた大きな獲物は、期待大のテンションで皆に向かって言う。

 この場にいる祐司以外は、昨日の晩ご飯も焼き肉であった。

 

 焼肉をちらつかせた賢人はともかく、カイトとショウは、反対しようも反対できない状況に、苦い顔をしている。

 昼飯で釣った賢人も、乗る気ではない感じであったが、言った手前どうしようもないのだろう。


 昨日の焼き肉に行った人々は、言葉を失っていたため、気の利いた祐司がスマホの地図をミオに見せる。


「こことかどう?」

「んーー近いしここでいいんじゃない?」

 

 ミオと祐司だけである。この焼き肉にノリノリなのは。


「俺、キーボードとか車に乗せてくるわ。」

 

 自分の車で来たショウは、鍵を人差し指で回しながら話すが、カイトが回転している鍵を素手で止め、限りなく小さい声で念を押す。


「お前、逃げるんじゃねえぞ。」

「んなわけ。」

 

 鍵をポケットにいれ、ショウは車に行こうとするが、アヒルの子供の様に、全員ついてくる。


「何でついてくるんだよ」

「私のギター邪魔だし、置かせてて。ついでに、賢人のもお願い。」

「あぁー。分かったよ」

 

 髪の毛がない頭を掻きむしりながら、しぶしぶ承諾する。


 ショウの車に三人の大きな荷物を預けた後、焼き肉屋に向かうのだった。

 

 その店の中では、祐司とミオは盛大に肉を平らげ、肉の焼ける臭いと煙から、嗚咽を紛らわすように、他はお茶漬けなどをひたすら頼み続けていたのは言うまでもない。


 地獄の二連続焼き肉が終わり、全員が岐路に着く。

 カイトと祐司は、近くのバス停からバスで帰り、楽器類を預けた、ショウと他の二人は、彼の車へと戻る。


 車を止めている駐車場に着き、ショウが鍵に付随するリモコンで、ドアのカギを少し離れたところから開ける。

 自分の楽器を出そうと、二人とも後部座席にいったん乗り込む。


「早くしろよ」

 

 二人を急がせながら、車の持ち主は自分専用のコックピットに乗り込み、エンジンをかけスマホを見つめている。


「おい、終わったか」

 

 運転席から後ろを振り向く。彼の目には、楽器を取り出す彼らではなく、けなげに仲良くキリっとした姿勢で二人か後部座席に居座っているのが移る。


「お前らもしかして。」

「「よろしくおねがいします」」

 

 まるで、小学生や中学生の保護者の乗り合いの送迎のように。


「はぁ」

 

 ため息を一つつき、車を発進させる。

 

 クールな姿で運転する彼は、終始無言のまま、二人の家までの道のりを、彼女の眠りを邪魔しないように、丁寧に運転する。

 暇を持て余した賢人はひたすらスマホを触っていた。


 家に着き、賢人がミオの肩を揺らす。


「ミオ、着いたよ」

「んー。もう五分。」

 

 相変わらずのセルフスヌーズである。

 運転席にいるショウは、助手席のダッシュボードからミニコップくらいの容器を取り出し、その中から一粒、黒いものを取り出し、ミオの口元に持っていく。


「これ食べな。」


 寝ぼけているミオは、それが何なのか疑う気力もなく、ショウの優しい言葉に騙されるのだった。

 黒い粒がミオの口に入り、ミオ自身もそれを転がす。


「なに……こ、れ」

 

 寝ぼけ口調でようやくショウを疑い始める。

 

 ミオの口の中から、何かを押しつぶす音が車内に響く。


「んーーーーー。辛い辛い!!!!」

 

 半目の目だった目が一気に、通常の目の開き方を通り越して、最大限に開く。

 隣にいる賢人が、腹を抱えながら、静かに笑う。

 いたずらに手を染め、シートの間から悪い顔で、悪役のニヤけ方をするショウ。

 

 口を半開きにすることでしか、対処のしようがないミオは、腑抜けた声を上げ、もがき続ける。


「もーーーさぁいあく!」

 

 ミオがじたばたすること一分。水戸黄門の、助さん格さん、懲らしめてやりなさいの後に必ずある、「もういいでしょう」と言わんばかりに、賢人がポケットティッシュを取り出し、無言でミオに差し出す。

 

 一瞬で奪い取るように自分の手にし、窓の方を向き口の中にある、"目覚めすっきりブラックガム"を、おしとやかにティッシュにだす。



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