第9話
その少年を見た瞬間、賢人にしては珍しく、地面を鳴らしながら速足で少年の元へ向かう。
賢人は少年の肩に手にやると、回る椅子ごと自分の方へ強引に引き、椅子を半回転させた。
賢人の表情も先ほどより険悪になったことが伺える。
コントロールルームには、椅子が180度周り景色が移り変わったことで、びっくりした少年の言葉にならない声が響く。
「あっ、ちょっ!」
「お前よくもこの前、靴隠しやがったな!!」
「賢人がいつも学校でボッチだから、刺激が欲しいかなって。学校生活に。」
「ほっといてくれよ」
トイレをすましたミオが、興味津々と言わんばかりの面持ちで、言い合っている二人を仲裁しようと間に入る。
「お前ら、学校でなんかあったん?」
「祐司がさ、俺の靴隠してさ。あいつの仲間もこぞってついてくるし。…ほんと最悪。」
ミオがヘッドホンを首にかけた、少年祐司の前髪を上げて、額にデコピンをする。
「いたっ」
祐司に制裁を科した後、賢人の肩をに手を回し、回した手で賢人の耳をつねる。
「たまには、集団生活におけるなんとやらを、学べてよかったんじゃないの?”一人にしてくれ”って言うのも分かるけど、君たち二人とも、まだ中学生なんだから」
「そうだそうだ」
ミオが賢人をなだめているのにもかかわらず、当の本人である祐司が賢人にヤジを飛ばし始めた。
ミオの目つきが豹変し、ナイフのように鋭い目つきで祐司を睨みつけた。
「祐司は黙ってろ」
ミオの鋭い目力も相まった強い言葉は、祐司の士気を一気に下げ、言葉を詰まらせる。
「集団にいる中の経験と思えば、必ずしもマイナスではなかったんじゃない?」
「確かに……」
ミオは賢人をいとも簡単になだめ、この場を収めた。
「おっはー」
何も知らないカイトは何食わぬ顔で小競り合いをしていた三人の部屋に入ってくる。
「ん?何かあったん?」
重い空気が流れるコントロールルーム。
賢人とミオが祐司の顔を睨みつけた。
「うちの弟が毎度すんません。」
ショウも、カイトの後ろから彼らの様子がが気になるのか首をのぞかせ、咳払いをした。
「なんかガラス越しになんか騒がしいなって思ってたけど。まあ年が近い同士、仲良くしてるんじゃない?」
「「仲良くないわ!!」」
「やっぱ仲いいな」
ショウは堂々とした態度で目の前にいるカイトを横へ押しのけて、祐司の目の前に立つと、軽く祐司の頭を叩いてガラス越しのレコ―ディングブースを親指で指さした。
「祐司、俺ら終わったから、二人のやつも調整して」
前座のようなおふざけはここまで、と言わんばかりにカイトの言葉で、三人の気持ちが一気に切り替わる。
「賢人~。先入っとくよ」
ミオが先にレコーディングブースへ向かいだす、後を追いかけるように賢人も入っていく。
ショウはガラス越しの向こうに二人が準備し始める様子を確認すると、カイトにジェスチャーでタバコの合図を出してから、祐司に断りを入れた。
「カイトとタバコ吸ってくるわ」
カイトはガラス越しの向こう側にいる賢人とミオに気づいてもらえるように、大げさに大きく手を振ったがガン無視され、ショウに連れられるようにスタジオの外へ出たのだった。
ガラス越しには賢人とミオが、手際よく自分の楽器をチューニングしていく。
二人ともチューニングが終わると、ガラス越しの祐司に向かって、OKサインを手で出す。
サインを見た祐司がコントロールルームへつながるマイクをONにして、二人に指示を出す。
「とりあえず、軽く音出して。」
こういったやり取りが数回続き、チューニングをはじめたセットアップが終わる。
時間を見計らってきたように、外に出ていた二人も戻り、祐司が二人に声をかける。
「二人も準備終わったのでいいですよ」
「もう終わったの?早いね。」
ショウが少し大げさにほめるような言い方をしたのでカイトがヤジを飛ばす。
「分かってるくせに。俺らも入るぞ。」
メンバー全員がレコーディングする準備が整った雰囲気を感じた祐司は、マイクを通して、指示を出す。
「こっちはいつでもいいので、お願いします。」
その言葉を聞いた全員が、すべての動きを止め、まるで彫刻の様に制止する。
カイトは周りを見渡して、スティックをたがいに叩き演奏の始まりを告げる。
普段歌いながら、ギターを弾くミオだが、ボーカルは別撮りなので、自身のギターだけに集中する。
ミオが、マイクを捨てて、ギターだけを手にするのはこのレコーディングの瞬間だけである。
ボーカルというものは、バンドの中で唯一、声を出すことを主にした役割。それゆえに、圧倒的存在感ではあるが、このブースの中にいる、ミオの圧倒的存在感が衰えることは決してなかった。
それどころか、ギターだけという一刀流が、ミオのクールというイメージを際立たせ、ボーカルという最大の強みの武器を捨ててもなお、リーダーとしての確固たる威厳を証明するようであった。
1回目のレコーディングが終わり、ミオだけがコントロールブースへ戻る。
ガラス越しにミオがヘッドホンをかけて、先ほど録音した演奏を、裕司の横で目をつむり聞いている。
楽器を構えたまま、その様子を全員が無言でみつめる。
いつも騒がしいカイトでさえも、スティックを回しながらだが、寡黙を保っている。
一曲通しでレコーディングした演奏を聞き終えた後、レコーディングブースに戻るミオ。
「まあみんな優秀だから、100点なんだけど、もう三回やってそれから選ぶことにするわ」
「えーー。あと三回もやるんかよ。俺ら完璧やったやんけ。」
寡黙というダムが決壊したカイトが、文句を言うが、賢人がなだめる。
「せっかく高い金出して、昼過ぎまでここ借りているんだし、練習ついででいいじゃん。ミオ指示出して。」
ギターのショルダーバンドを肩に掛けながら、全員に言う。
「今から三連続でやるから、気を引き締めて!手抜きは許さないわよ。カイト、カウント出して!!」
ミオの指示で、カイトがスティックを目線と同じ高さまで上げて、互いのスティックを打ち付ける。
2小節分のスティックが打ち合わさる音が鳴り終わった直後、先ほどの乾いたカウントの音とは打って変わって、重厚感のある音が混ざり合う。
ミオの指示通りに、三連続演奏が終わった後、気が抜けたように、全員が一斉に足早にそれぞれの楽器から離れ、レコーディングブースを後にして、祐司がいるコントロールルームへと戻る。
「祐司。どれが一番だった?」
先ほどの録音された演奏を聴くために、ヘッドホンを首にかけ座りながら、隣の祐司に感想を求める。
「一番最初のやつかな。一発目だからと思うけど、気持ちが入っててよかったと思うよ。」
「やっぱりそうよね?。そうよね!私も演奏していて、一発目が一番手応えあったから。」
ミオの言葉を聞いたメンバー全員が、部屋の天井を見上げ、死んだ魚のような目をして、呆然とする。こういう時の全員の心境はそろってこうだ。
――残り三回の演奏は何だったのか。とんだ蛇足だと。
彼らは演奏こそミスもなく完璧で、今まで大勢の人を魅了する音を奏でているが、その完璧さゆえに、同じ曲を何回も演奏するという"つまらない"ことに関しては短気である。
彼らの演奏は100点満点中の100点。これほどのパーフェクトな演奏をしているのに、これ以上どう加点すればいいのか?
唯一加点できるとすれば、気持ちや心の入れ方。
それがだんだんと、薄くなっていく二回目や三回目以降では、比べ物にならないくらいのそれぞれの思いが、一回目の演奏に入っているのは言うまでもない。
「何みんなモアイの様に同じ方向、向いているの?もう疲れちゃった?」
死んだ魚の群れが、一気に生き返り愛想笑いをして首を横に振る。
「次は私の番だから、みんなはゆっくりしていて。」
リーダーなりの労いの言葉を皆にかける。
その言葉にすぐ甘えるのは、やはりカイトである。
「タバコ吸ってくる。」
カイトに続けてショウも、手でコーヒーを飲む仕草をして、愛煙家と一緒に部屋を出る。
祐司が先にレコーディングブースへと入り、ミオの歌声を録音するためのマイクを、準備する。
その間に、首にかけたヘッドホンを耳に当てて、全員の気合が入った演奏を目をつむりながら聴き、自分が歌うべきイメージを頭の中で思い浮かべる。
賢人とミオが二人きりでいる室内には、目の前のデスクで、人差し指の爪でマウスをクリックするかのように、リズムを叩く音だけがこだまする。
賢人も、かなり集中していることを察して、何も声をかけず祐司が準備している様子をガラス越しに見ながら、じっとしている。
10分くらいで、諸々の準備が終わると、祐司がミオに声をかける。
「ミオ。準備できたけど。」
ヘッドホンをしているせいもあるが、深く集中しているミオに、その声が届くはずもない。
祐司がミオに近づき、両耳で聞いているヘッドホンを取ろうとする。
「祐司、今とらないで。」
賢人が少し大きな声を出し、寸前のタイミングでその行動を止める。
「でも準備できたけど…」
「今、最後のサビに入ったところだから、もう少し待ってあげて」
ヘッドホンも何もしてない賢人になぜそれが分かるのか。ミオが聞いている音源は彼女にしか聞こえてなく、賢人にそれが聞こえるはずもない。
唯一、室内でヒントになりうる音は、ミオがリズムを刻んでいる、木製のデスクの乾いた音だけ。
祐司は不思議そうな顔をしながら、ミオの隣に座り同じ音源が流れている、ヘッドホンを耳にかける。
ヘッドホンからは、サビの部分が流れているが、それが一番なのか二番なのか、ということは分からない。
それを確認するために、現在の再生秒数を確認した瞬間、驚いた様子で後ろのソファーに座っている、賢人の方を見るが、賢人がうつむいていたので、首を戻す。
数十秒経った後、リピート再生に入る前に賢人が立ち上がり、ミオの後ろへ移動してヘッドホンを優しく取る。
「もう準備できたってよ」
「ナイスタイミング賢人。ちょうど曲が終わった所だから、タイミングマジで!奇跡じゃん。」
奇遇なことに少し喜ぶミオの傍ら、隣にいる祐司だけがこれが奇跡じゃないことをしっている。
そう、ミオの聞いている音源の位置を、"指で取るリズムだけで把握していた"と言いたそうに、後ろにいる彼の方を見る。
その視線に気づいた賢人は、両手で持っていたヘッドホンを片手に持ち替え、空いた手の、人差し指だけを立ててそれを口元へもっていく。
このジェスチャーを理解した祐司は、視線を賢人からミオに移す。
ようやくミオにレコーディングブースの準備ができたと伝えることができた祐司は、ヘッドホンをかけて、ボーカルとしてのミオを録っていく。
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