第4話


「はぁー。今日は一段と疲れた」

 

 机の下にあるパソコンの電源を入れ、椅子に座る。

 

 椅子のリクライニングを調整し、ポテトチップスの袋を開け、袋ごと口元へもっていく。手に持った袋を慎重に傾けて、ポテトチップスを口の中に目いっぱい流し込む。

 

 数回咀嚼した後、片手のコーラで一気に流し込む。

 

 ポテトチップスをかみしめる音と、コーラの炭酸の音。ゴクリゴクリと飲み込む音だけが響き渡る。一通り飲み込み終わったころには、パソコンのデスクトップには美少女キャラの背景が映し出され、同時に素早くノベルゲームを起動させた。

 

 ヘッドホンを身に着け、自分の世界へ完全に入り込み、日付を超えてもなお、彼だけの世界は果てしなく続き、ベットへ倒れこむのは、27時くらいであった。

 

 特殊イベントもあったが、これが”矢場賢人”の平日24時間+αのルーティンのほとんどである。


 毎日こんな間食、生活の仕方をしていても、賢人は”やや痩せ型”の部類で、至って健康体であった。


 


 ある金曜日の帰り道、スマホに一通のメッセージが届く。


[明日の18時、いつもの場所に来なさい。]

 

 一言しかない、簡素的なメールである。簡素的なメールであるにもかかわらず、添付ファイルと一緒に送られている。それだけの文章と添付ファイルの内容で、すべてを

 察した賢人は歩きながらに返信する。


[分かった]

 

 外面もいつもそっけないが、メールの返信もそっけない。

 

 


 家へ着き、いつものルーティンを完璧にこなすが、部屋に入ってからはいつもと違う。押入れを開き、黒い箱状のスピーカーらしきものを重そうに出す。

 

 次に背丈くらいある、1m以上にもなる大きな長細い硬いケースを引っ張り出して、ケースを開ける。

 

 ケースの中からは、よくバンドなどの演奏で使われる楽器、部屋の雰囲気とは場違いなオーラを醸し出すベースが、深い輝きを見せていた。

 

 ベッドに腰掛け、ベースを太ももの上に固定するかのように置くと、流すようにベースの弦を弾いていく。部屋に小さく低く響く音に耳を澄ませながら、自分の音感だけを頼りにベースの弦を調整し音を合わせていく。

 

 その様は、とても手馴れていて、シルエットだけ見れば……雰囲気は、部屋の様子と相反するものを感じ取れる。

 

 


 音を調整するチューニングが終わると、スマホを取り出し、帰路で届いたメッセージの添付ファイルを開く。


 ファイルを開いたスマホからは、チープなスピーカーを忘れさせるほどの鋭く落ち着いた女性の歌声が聞こえだす。

 

 目下の太ももの上にある楽器には目もくれず、手も触れず、ただスマホから流れる女性の歌声に耳を傾けている。

 

 最後まで聞いては、また最初から聞くという行為を、かれこれ15分間続けた後、スマホを置いて、ようやくベースを手に取る。

 

 スマホの録音アプリを起動させ、一度深呼吸をして、左手で弦を押さえ、右手で音を奏で、右足でリズムを刻んでいた。

 

 すでに単独ライブさながらの通しでの演奏は、部屋の中をこだましながら、家の外へと少し溢れる。

 

 1曲の演奏を終えると、録音した自分のベースを聞き直した。


「”ミオ”が好きな感じには弾けたかな。なにか言われるのもめんどいし、もう1パターンくらい録って送るか。」


 この後も早々に一仕事を終え、ベースと道具一式をクローゼットにしまい、通常オタクモードへ戻るのであった。




 ※

 土曜日、夕方になってもまだ夢の中の賢人を、夕日の差し込みが目を覚ませる。

 覚めきれない目を擦りながら、枕元のスマホで現在の時間を確認する。


 16:54


「やばい!!あと一時間しかない!!!」

 大慌てで部屋着を脱ぎ、大急ぎでシャワーを浴びる。


 シャワーを浴び終わった彼は、体についた水滴を全速力で拭きとってから部屋に戻り、クローゼットを開く。シワにならないよう丁寧にハンガーにかけてある外行きの服に着替えて身一つで玄関を出ようとする。


「やばい!ベースと髪セット!」 


 玄関へ向かっていた足は洗面所へ向かう。ドライヤーを手に取って、最大出力で髪の毛を乾かす。


「あぁー早く乾けよ俺の髪の毛!!」


 しばらくして髪の毛が生乾きになったところで鏡を見る。前髪を後ろへ両手で豪快にとかき上げ、洗面台の棚から整髪用のジェルを手にとる。


 この後、鏡に映る賢人姿は、誰しもが想像をしえないほぼ"別人"であった。




 手の平に出した整髪用のジェルを使い、前髪の生え際から手櫛をしながら、髪型をセットしていく。普段は前髪でおおわれている目元も、オールバックにされ前髪という盾を失った今では、抗いの策を持たずにさらけ出されていく。


 サクッと髪をセット終えた鏡の前で、ようやく賢人の顔全体が明らかになる。


 鏡の前の彼は、美少年と思わせるほど綺麗で、中性的な顔出しをしている。特にクリっとした大きな目元は、外面だけで見ると”かわいい”という言葉が、とても似あうほどであった。かわいいに加えて、オールバックというワイルドさある髪型。相まってホストにでもいそうな反則級のイケてる人だった。

 

「よしっ」


 少し自分に対して気合を入れると、大急ぎで自分の部屋へと走っていく。全身、隙なく完璧に整えられた賢人と、部屋一面にぎっしりと張られた美少女ポスターとのギャップは、賢人の方が見られている側で、まるでファッションモデルでランウェイを歩いているようであった。

 



 クローゼットを開け、少し息を切らしながら愛用のベースを背中に背負い、忘れ物がないか確認する。


「スマホ持ったし、財布……。」

 

 最後に、クローゼットからベースを取りだす。ベースが入っているケースのショルダーを肩にかけ、玄関を飛び出し自転車に跨る。


 力強くペダルを踏みこみ、一気に自転車を加速させる。およそ4キロの道のりを全力で自転車のペダルを回し、一秒でも早く到着する努力をした。


 目的地は古びた商店街の一角にあり、今から入ろうとする建物の看板には、"貸スタジオ"と書かれている。


 貸スタジオの近くに自転車を止め、やや薄暗い明り灯された入口を抜けると、年老いた男が受付に座ってテレビを見ていた。いまだ静まらない息を切らしながら賢人は年老いた男に問いかけた。


「どうも。全員来てます?」

「おう、来とるよ。二番ね」


 さながら、定食屋の常連が「いつもの」って言うのと同じくらいの、以心伝心しているこなれた会話を交えると、小走りで、廊下を進み"2"と書かれた扉の前に立ち、息を整えてから恐る恐る重く分厚い扉を開けた。


「おっそいぞ!!賢人」

 

 一瞬の間もなく、女性の声の怒号が飛んでくる。ショートカットで黒髪、クールさを感じさせるメイクアップ。黒いレザーのジャケットを身に纏い、少し声が低いのも相まって、かっこよさの方が際立つ彼女は、地を鳴らしながら賢人に近づいていく。


「なに?寝坊?」


 賢人の肩に手を置き、睨みつけながら言った一言に、賢人は思わず視線を逸らした。

 

 ソファー全体をベッド代わりに寝ている金髪の男が、ドラムのスティック片手で回しながら器用に回しながら、賢人に質問した。


「どうせ寝坊だろ?」

「いや違う。」

「じゃあなに?女の子とデートってか?ははは」 


 金髪の男のチャラ男思考の発言を聞いて、同じ部屋にいるスキンヘッドのコワモテの男が、コーヒー片手に口を開いた。


「賢人に女なんているのか?なぁミオ?」


 賢人の肩に、脅すかのように手を置いている女性、ミオは、金髪の男とスキンヘッドの男、二人に向かって言い放った。


「二十代半ばのおっさんのお前たちより、どうみても賢人の方がモテるから。んで?なんで遅れた?」


 ――二十代半ばってディスするのはいいけど、ミオも同い年なんだから、自らおばさん認定してる……ってことは今はどうでもよくて、言い訳――


「いや、良い夢を見てた……」

 賢人の言い訳を理解するのに時間がかかった二十代半ば三人は、無言の時間が一瞬通り過ぎた後、口をそろえて言う。


「「「同じじゃねえか」」」


 部屋中が笑い声に満たされるが、すぐに重い空気が流れだした。

 ミオは床を指さしてドスの聞いた声で命令をする。


 「ちょっと座れ、賢人。正座な。」


 ミオの鋭い視線と、金髪の男とスキンヘッドの見守るような視線を、両肩でひしひしと感じながら片足づつ床に足をつけていき、正座をする。


 座れと命令した女王様もやや上からの目線になるようにしゃがみこみ、奴隷の顎をつかみ自らのほうへ寄る。


「ど~んないい夢を見ていたんでしょうね。あなた。」

「話すから、顎持つのやめてもらえないでしょうか?」

「んで?」


 顎から手を離して立ち上がった女王。腕を組みさらに上からの目線で睨みつける。

 蚊帳の外の男二人は、お互いに耳打ちしながら、今のコントまがいのやり取りを実況し合い静かに笑っていた。

 



 金髪の男がスキンヘッドの男に楽しそうに、声を潜めて話しかける。

 

「おい、また始まったぞ、ショウ」

「ミオに聞こえるぞ、カイトが巻き込まれでもしたら、隣にいる俺にも、とばっちり食らうから黙って笑え」

 

人指し指を口元に立て、視線をミオと賢人へやりながら答えるスキンヘッドのショウ。言った本人も、声に出していないがニヤニヤと笑っている。

 

金髪の前髪を触るフリをしながら、口元が吊り上がった表情を隠すカイト。

 

ミオは、殺気立つ声で賢人に言う。


「その夢とやらを聞かせてもらおうか」


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