第2話

 部屋の大掃除の疲れもあってか、アニメやゲームなどの娯楽にいそしむことなくベットの上に横たわった。

 

「明日は学校か」


 ベッドの上で目を閉じると、彼は夢のような四か月後の生活を想像するのだろう……オタクライフという名の高校デビューを。


 翌朝、いつもより数時間は早く寝たであろう甲斐あって、七時の目覚ましが鳴る前にスマホを手に取り、SNSのつぶやきを確認する。


 一通りタイムラインを確認し終わったころには、目は完全に覚め本格的な完全に覚め本格的な朝のルーティンが始まる。


 中学入学直後から始まったわけではない。そもそも彼は一年と二年学校に行ってない。学校に行っていない時の今の時間帯はまだ夢の中であった。


 賢人はただ、中学卒業資格を得て、高校でのオタクライフを満喫させるためだけに、中学3年生の1年間を嫌々ながら毎日登校する。


 朝食を食べ、歯を磨き、顔を洗い、制服を着る。最後に牛乳瓶のビン底のような、黒縁眼鏡をかけて、玄関の扉を開ける。


 学校までの道のりは、徒歩15分とそれほど遠くはない場所。であるにもかかわらず、彼が歩けば、二十五分の道のりになってしまう。


 なぜなのか。

 

 一切の時間を無駄にしたくないが為に行きついた通学方法。それはアニメを見ながら登校するというもの。


 普通に歩けば15分で着いてしまう。15分ではアニメのBパートに差し掛かった時に学校へ着いてしまう。


 登校し終えてから、学校で続きを見ればいいのだと思われるが、校内には、生徒同士の会話や教師の説教、リア充と呼ばれる群れの騒ぎ声。周囲のノイズが多すぎてアニメを鑑賞するという環境ではない。


 シルエットだけでも傍から見ると、猫背でゆっくり歩くノロマなオタク。

 

 オタクだと思われても仕方ない点は他にもある。前髪は鼻まであろうかというくらい長く、襟足も襟袖がかかるくらいある。


 それでもきちんとセットすれば多少の見てくれは担保されそうだが、そのようなことは一切せず、ボサボサだ。それにビン底黒縁眼鏡。


 極めつけは、一人で歩いてアニメを見ながら発せられる奇妙な笑い声。他人の目を気にしてないことは一目瞭然だ。


 好奇な目で見られてオタクという第一印象を植え付けられて当然な行動をとっているのは彼自身であり、彼自身もそれを変えようという気は全くないらしい。


 アニメのエンディングに入ったところで、校門を抜ける。教師たちが日替わりで"あいさつ運動"をしているせいで、ひっきりなしに「おはよう」の声が聞こえる。

 

 その対象は彼にも当てはまる。

 

「おう、おはよう」

 

 野太い声で声をかけてくる体育教師。

 

 イヤホンからはエンディングの曲が流れ、アニメ本編を見る時よりも周囲の音は聞こえづらく、体育教師の鍛え抜かれた声帯であってもその壁を貫通することはない。


 Cパートと次回予告を待ち焦がれている最中の賢人の耳に、衝撃が走る。


「イヤホンとらんかっ!!」

 

 あいさつを返さない彼に対し、体育教師はイヤホンをもぎ取るという強硬手段をとる。

 

 自分の時間を邪魔された賢人は殺気立つ目をしながら、もぎ取った犯人を睨み上げた。

 

 イヤホン主人の身から離れた胸元で宙ぶらりんになるが、賢人はすぐにイヤホンを耳につけなおした。


「お前何回目か?毎回毎回イヤホンしてきて挨拶もロクにできない奴がふざけんなよ?」

「………」


 辺りの登校中の生徒全員に聞こえるくらいの大声で怒鳴られるが、言われた張本人と言えば、目線を教師の目からそらすことなく、無言の反抗をしている。

 怒鳴り続けられる説教の最中でも歩みを止めずに、スマホを片手に校門へと向かっていた。


 家であれば愚痴に似たものを吐き散らすところだが、学校という場である建前の上では、それ以上のことはできないことは彼も重々分かっている。

 賢人の無言の反抗が五分続いた時、ようやく口を開く。


「すみませんでした」


 上辺だけの謝罪をして、右耳に着けていたイヤホンを外し、速足で校舎へ向かう。


 なぜイヤホンを外したのかというのは、アニメを見終わったからであり、速足で校舎へ向かったのもアニメを見終わったからであった。理由は何であれ説教というものはいい気がしない。この場から一目散に逃げたい状況ではあった。その思考をアニメが遮っただけに過ぎない。


 教室の扉を開け一歩中へ入ると、教室内が一瞬静寂に包まれる。その後教室全員の視線、いや好奇の視線が賢人へ向けられる。

 

 幾多なる視線に耐えかねたのか、細々と周囲に向けて口を開けた。

 

「お…おは…おはよう」


 虚しくも教室にいる人々に聞こえているであろうが、届くことはなく誰一人と賢人の”おはよう”に返事をするクラスメイトはいなかった。

 

 いわゆる社交辞令のような挨拶を義務的に済ますと、賢人は足早に自分の席へ向かう。


 ホームルームが始まるまで残り20分。周囲のノイズをしっかり頭の中でカットしつつ、カバンの中から日替わりで常備しているライトノベルを取り出す。もちろんブックカバーなどの目張りの役割を果たすものは何もつけてなく、堂々と萌えキャラの表紙の本が机の上に君臨し、だれがどう見てもオタク向けのライトノベルだと一目でわかる。


 賢人が座った席の周りからは、好奇な視線を伴って小言が賢人に耳に入る。


「やっぱオタク度胸違うわ」

「俺がもしオタクだったとしても、堂々とあんなことしねぇよ」

 

 耳をすませば百と言わんばかりの、"みなさまのお声"を華麗にスルーし、自分の世界へ没頭する。


 自分の世界に没頭していられるのも、ほんの短い時間で、教室の前側のドアが開き担任教師が入ってくる。

 

 こういう時の俊敏さと団結力はすさまじいものがある。さっきまで、"超"が付くほどのハイテンションの教室内が一斉に静かになる。同時にまるでいす取り合戦をしているかのように、それぞれが自分の席へと着く。時間を忘れて他のクラスの連中は、足早にアウェーな空間から脱出する。


 朝のホームルームが始まり、同じルーティンの内容を淡々と綴り終えた担任教師は教室を去る。


 担任教師が去った二十秒後、徐々に会話が始まりだし、すき者同士の集団を皆思い思いに作り上げていく。

 

 賢人はその中で唯一の例外であり、机の下から先ほどの読みかけのライトノベルを取り出し、机の上に召喚させる。ライトノベルを閉じる前に記憶したページページを開き、再び自分の世界へと入り込んだ。

 

 10分も経たないうちに、授業開始のチャイムが鳴る。一限目は数学であった。


 少し遅れて教師が教室へ入ってくる。

 

 教師が扉を開ける音を察して、ライトノベルをササッと机の中にしまう。


「みんなー宿題やってきたかー」


 ――そういえば宿題あったか。プリントだったっけ?


 さわやか系でちょっとスポーツ系の数学教師が、クラスに問いかけるが、賢人は肝心な宿題の問題を解いた記憶がなかった。


 焦ることなく、興味本位で教科書を紙芝居のようにめくると一枚のプリントが挟まっている。内容は少し難しく、テストの後半に出そうなちょっとややこしい問題。しかも4問。教壇に立つ数学教師は、クラスの席の後方を指さしながら淡々と指示をだす。


「後ろの席の人、宿題のプリント回収して」


 ――白紙で出すのは後々めんどくさいだろうな。

 

 のんきに愚痴を自問自答している間にも、後ろの席のクラスメイトは、一枚一枚と宿題のプリントを回収しながら刻々と賢人に迫りくる。


 頭をフル回転させながら、設問を見る。答えにたどり着くまでの過程をプリントに書いている暇などない。全部の設問に目を通し終わった時にはすでに、自分の一つ後ろの席までプリントが回収されている。


 シャープペンシルを落ち着いた様子でペンケースから取り出す。シャーペンの頭をカチカチと押し、答えのみをプリントに記入し最後に自分の名前を書く。


 プリントを回収しにきたクラスメイトが席の横に来ると何事もなかったように、プリントを渡す。

 

 答えしか書いていないプリントをみて回収係は思うだろう。―こいつほかの奴の答えを見てから最後の答えだけ書いたのだろうと。白昼堂々不正をするバカな奴だと。


 プリントが教師の元にすべて届くと、授業が始まる。

 

 数学教師は授業中の生徒が問題を解く時間の合間に、ひたすら回収されたプリントの丸付けをしている。

 

 もちろん賢人の”答え”しか書いていないプリントも例にもれることなく丸付けの対象だ。


「ここ、解ける人いるか?」


 黒板を手の甲で叩きながら、教師が尋ねる。が、誰も進んで挙手する人などいるわけがなく、沈黙だけが流れる。

 

「じゃあ矢場」


 賢人は無差別な使命を受け席から立ちあがる。数秒悩んだフリを見せ、口を開いた。


「分かりません」

「分かりません?じゃあなんでこの宿題、全問正解なんだ?」

「……」

「しかもご丁寧に途中式なし。おかげで採点する手間が省けたわ。」


 賢人は軽く会釈をすると、静かに逃げるように席に着いた。


 同時に数学教師は賢人を指さし、語気を強めて言い放つ。


「お前、授業終わったら職員室な?すぐ来いよ?」

 

 決して問題が分からないとかそういうことではない。授業を受けることすら、そもそもがめんどくさいし、それに費やす頭のリソースすらももったいない。

 とりあえず「分かりません」と言ってしまえば、この場はやり過ごせられる。

 

 職員室へ呼び出されるという大きな犠牲を払ったうえでなら。


「矢場の代わりに答えられる人いるか?」


 生徒へ目星をつけるように、キョロキョロと教室を見渡す。


「じゃあ矢場の代わりに――」


 数学教師の指名を断るように、賢人は唐突に立ち上がる。規則正しくならんだ机をかき分けるように、ゆっくりと数学教師が立つ教壇へと向かう。


「おっと、矢場。急にどうした?」

「いえ……別に。」


 賢人は白いチョークを手に取ると、キーキーとひっかくような音を出しながら、5秒ほど黒板に書いていった。

 静かにチョークを手から離すと、気配を消すように自分の席へと帰りだす。


「おい!矢場!途中式書け!」

 数学教師の大きな声にうんざりするかのように、賢人は大きく息を吸い込むと、再び黒板へと向かいチョークを手に取った。


 先ほどとはまるで別人のように、何一つ無駄の動作のない素早いチョーク使いで、静かに淡々と途中式を書いていく。

 

 要求されたものを全て書き終え、自分の席へ戻りだす賢人は、去り際に聞こえないくらいの小さな声で言い放つ。


「答えが分かっているのに、なんで過程を記す必要があるんですか。」


 もちろんその声は数学教師にもクラスの人にも聞こえてはいない。

 数学教師は賢人が黒板に書いた途中式を一通り確認すると、何も言わずに拍手をするように手を叩き、再び授業を進め始める。


 授業が終わると賢人は職員室にはいかずに、ただ一人、教室の机の上でラノベを楽しんでいた。数学教師の呼び出しを無視しているが、この一件で賢人がこれ以上叱られることはなかった。

 

 次の授業は体育。なかでもハードなバスケットボールだ。


 ここで疲れては夜中の活動に支障が出る。極力戦線には参加せず、かといって棒立ちというわけにもいかず、プレイに参加している素振りをする。


 学生の体育レベルのバスケなんか、イキりたいやつがドリブルして、シュートまで自己完結ですべてやる。だから、ボールに触りに行く必要は全くない。

 とはいってもそういうわけにもいかない時はあって……。

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