第34話 収束(2)
帝都の中心地を延焼させた業火が完全に鎮火したのは夜が更け、空が明るくなり始めた頃だった。皆が事態が収束したことに安堵したが、それを上回る喪失感から重苦しい空気が現場一帯に漂っている。
最後まで消火活動を手伝っていた紬と忍もようやく役目を終え、マイカと合流するために場所を移す。
「馬車を拾いたいところだけど、この状況じゃ無理ね……」
忍が疲れ切った表情で呟く。マイカがいるであろう救護隊の拠点に向かうには少し距離があり、夜を徹して動かしていた身体にはかなり疲労が溜まっていた。
物騒な事件も多発しているので、出来れば女二人だけで動くことは避けたかったが、焼け野原になってしまった通りには屋台の骨組みや爆風で飛ばされた建物などの瓦礫が散乱し、完全に通路が塞がれている。
結局、救護隊へ物資を届けにいくという近衛兵についていく形で重たい身体を引き摺り、いくつも簡易テントが並ぶ広場へと向かった。
「紬! 忍さん! 良かった!」
紬と忍の姿を見て、治療具を両手に抱えたマイカが駆け寄ってくる。マキを心配するあまり意気消沈していた彼女だったが、救護隊のもとにぞくぞくと運び込まれてくる負傷者を見て、ぼーっとしていてはいけないと自身を奮い立たせ、治療を手伝っていたという。
「結局マキ兄には会えてないの……」
「そっか……。私達が消火を手伝っていた辺りでも見かけなかったわ……」
忍の言葉にマイカは辛そうに眉を下げて視線を落とす。紬は落ち込むマイカの側に寄り添い、その背中を優しくさする。
「治療を手伝っている時に店長に会ったの。あの小火で死者は出ていないと言っていたから、きっとどこかに避難してる……と思う」
不安気にそう言うとマイカは弱々しく微笑む。紬達を心配させないよう、気を遣っているのだろう。日が登ったら一緒に探すことを約束し、二人でマイカを元気づける。
「もう少し明るくなったら、一度紹介所に戻りましょう。みんなに強力を仰いで探したらきっとすぐに見つかるわ!」
忍の言葉に紬も力強く頷く。マイカも夜通しけが人の治療を手伝っていたようで、その顔には疲労の色が濃く浮かんでいた。
救護隊の邪魔にならない場所で身体を休め、ぽつぽつと会話をしながら明るくなっていく空を眺めていると、遠くから紬の名を呼ぶ声が聞こえてきた。一体誰だろう? と目を細めて声のする方を見やると、朝日を背にしてこちらに向かって駆けてくる二つの人影が見える。
「紬さん! 忍さん! 良かった……。皆さん無事だったんですね!」
近づいてきた人影は環とその婚約者である理絵のものだった。両者共かなり疲れているように見えるが、大きな怪我は無さそうだ。
「環さん! 理絵さん! 無事で良かったです! ……そちらは大丈夫でしたか?」
「はい。紬さんが早めに避難を促してくれたので爆発には巻き込まれずに済みました。
ただ、爆風で宿が倒壊してしまって……。とても戻れる状態では無かったので、近衛隊舎に避難した後、向こうの救護拠点で怪我人の治療を手伝っていたんです」
環が簡単に逸れてからの状況を説明する。理絵は足柄領の診療所で看護師をしており、怪我人の手当を手伝いたいと申し出ると、大変有り難がられたらしい。
「搬送されてくる人の数が多くて、救護隊もかなり混乱していました。重症患者を優先的に処置していたのですが、なかなか治療が追いつかなくて……」
理絵が辛そうに口をつぐむ。医療現場では苦渋の決断をしなければならないことも多かったのだろう。そんな理絵の肩を環が優しく抱いて慰めている。
「あ、あの……! そちらで私の兄を見ませんでしたか? 二十代前半で少し吊り目の私と同じ髪の男性なんですが……」
「喫茶店の黒服を着ていました」と最後は消えてしまいそうな声量でマイカが尋ねる。理絵は少し考え込むような素振りを見せた後、ふるふると首を横に振った。
「ごめんなさい。黒服姿の方は何名か手当てしたのだけれど、あなたのお兄様だったかどうかは分からないわ」
申し訳なさそうに話す理絵の言葉を聞いて、マイカが「そうですか」と肩を落とす。紬が遠慮がちに手を握ると、その手をギュッと握り返してきた。
「治療を受けた患者は記録されている筈だから、確認してみてはどうかしら?」
「そうですね。この後行ってみます」
その後も互いの状況を報告し合っていると、突如周囲から「わぁぁぁぁぁ!!!」という大きな歓声が聞こえてきた。何事かと皆で一斉に振り返ると、大通りの真ん中に大きな人集りができている。
「控えよ! 皇子殿下のお通りであるぞ!」
鋭く発された言葉を合図に歓声が止み、蜘蛛の子を散らすように人の波が引く。人集りの中心だった場所には高貴な装束に身を包んだ麗しい青年が佇んでおり、その周囲を護るように軍服姿の男達が取り囲んでいた。
「第一皇子殿下、本当にありがとうございました!!」
「こんなに早く事態が収束したのは皇子の指示があってこそです!」
「殿下は夜を徹して事態の収束にあたって頂いたと……ありがたや、ありがたや……」
あれが第一皇子殿下……。
疲れた様子も見せずにこやかに手を振る公人に向かって、皆が口々に礼を述べ、崇めるように手を合わせ、頭を下げる。
近衛兵を侍らせ、差し込む朝日に照らされる皇子の姿は息をのんでしまう程に神々しく、多くの者が感嘆の溜め息を洩らしていた。思わず見惚れてしまっていた紬も慌てて頭を下げ、皇子殿下に敬意を表明する。
「あ……」
皇子殿下一行が目の前を通り過ぎる瞬間、理絵が小さく悲鳴をあげた。少し身体が震えているような気がする。
「理絵さん、どうしたんですか?」
一行が通り過ぎた後、不思議に思った紬が尋ねると、理絵は青ざめた表情でゴクリと喉を鳴らす。
「第一皇子殿下の後ろに控えていらっしゃる近衛隊の方……あの方を足柄領主の屋敷で見かけたことがあるんです。裏門からコソコソと出ようとしていて、どうもお忍びでやって来ていた様子でした。
孝治様が“この度はいいお話をありがとうございました”とか、“今後もどうぞ取引を……”などと話していらっしゃって……あの方に“声が大きい”と咎められていたのです。
……今思うとその後、孝治様が硫黄の産出量を上げるべきだと言い始めて、領民に不当労働を強いるようになった気がします……。あの……孝治様に硫黄の取引を持ち掛けたのはあの男ではないでしょうか?」
そう話す理絵の視線の先には、近衛二番隊の隊長であり、和の国四大貴族の一つである烏丸家の当主、烏丸亜須真の姿があった。
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