第10話 裏部門の任務(6)

 煙幕が一面に立ち込め、視界が遮られる。刺客達の呻き声や悪態を吐く声で一気に周囲が騒がしくなった。混沌とした状況でも源太から支給されたゴーグルのお陰で紬の目に煙が染みることは無く、ぼんやりとだが敵の位置を把握することが出来る。



「おい、逃すな! 退路を絶て!」



 目眩しをして早々に逃げるつもりだったが、紬の目的地を察している男達は苦しみながらも大きな身体で進路を塞ぐ。狭い通路は一瞬にして男達の巨体で塞がれ、上手く場を離れることが出来ない。



 人目を避けて路地裏の道を選んだことが裏目に出たか……。仕方ない。



 紬はキャスケット帽の中に忍ばせていた痺れ薬をポケットから取り出したハンカチに染み込ませ、薄っすらと見える人影を頼りに慎重に刺客の背後へと回る。


 そして大きな背中に素早く飛び付くと、迷いのない手付きで男の顔を覆っているぼろ布を剥ぎ取り、ハンカチでその鼻と口を塞いだ。



 少しでも手間どえば、ひ弱な紬などすぐ捕えられてしまうだろう。双子に簡単な体術の稽古をつけて貰っていたことが役に立った。体術といっても圧倒的にパワー不足なので、こうして相手の視界を奪いでもしないと使い物にならないのだが……。



 体格差が大きく薬を嗅がせることが出来ない相手は、足止め液で動きを止める。高濃度の煙幕と即効性のある痺れ薬が効き、刺客達は次々に地面に膝をつき苦しそうに悶えている。



 よし、あと1人……。



 刺客の中でもひと際体格の良い男が、悪態を尽きながら刃物を振り回している。追加した煙玉のお陰で、まだ視界を奪えているようだが、吠えるように悪態を吐く巨漢からは、紬を逃さないという気迫が感じられた。



 あれだけ激しく振り回されると、背後から飛びかかるのは難しいな……。



 最後の1つになってしまった足止め液を使うことを決め、紬はジリジリと男との距離を詰めていく。



 今だ……!!!



 全神経を集中させ、力いっぱい粘着液の入った玉を投げつけた筈だったのだが……。


 男に向かって低い放物線を描いたそれは運悪くブンブンと振り回されていた刃物に当たって跳ね返されてしまう。ベチャッと非情な音を立て、紬から少し離れた地面で破裂してした。



 あ、やばい……。



 そう思った時には紬の華奢な身体は宙に浮き上がっていた。節くれだった大きな手で細い首を掴まれ、持ち上げられている。


 屈強な男の握力で呼吸器官が圧迫され、息が詰まる。「離せ」と叫ぶが、口から出たのはヒューと空気が漏れる音だけだった。



「……残念だったなぁ。俺ら相手に健闘したことは褒めてやるよ。あの坊主が近衛兵に連れていかれた時はどうしたもんかと思ったが……別行動をしてくれて助かった。眼鏡の男がお前にこっそり指示を出しているのを見て告発文書ブツはここにあると分かったからな」



 男は意地の悪い笑みを浮かべ、空いている方の手で紬の背中に回っている帆布鞄を指さす。聞けば紹介所を出た時から既に追っ手が付いていたらしい。




 告発文書これは絶対に渡さない……!




 息が出来ない苦しさで、視界が霞み始めたが構わず男を睨む。運び屋の意地にかけて、やすやすと依頼品を奪われる訳にはいかない。


 紬は力をふり絞って両手で男の腕を掴むと、身体を前後に揺らして反動を付け、男の顔面に勢いよく両足蹴りをお見舞いした。

 



 渾身の一撃は見事男の顔面に命中し、突然の衝撃に狼狽えた男の腕の力が弱まる。蹴りの反動で地面に放り出されるように解放された紬だったが、開いた器官から勢い良く入ってくる空気と煙を盛大に吸ってゴホゴホと咽てしまった。


 打ち付けた背中の痛みも相まって思わず涙が零れる。なんとか男へと向き直って最後の煙玉を投げた後、痛む身体を引き摺って距離をとる。




「おいおい、反撃はこれでお終いか?」



 真っ白な煙幕の奥から嘲笑うような声が近付いてくる。気は焦るが身体が重く、全く思うように動いてくれない。このままではすぐに追いつかれてしまうだろう。



 どうする、どうする、どうする……?!



 どうにか打開できないかと必死に周囲を見回すが、倒れている刺客達が持っている武器は重すぎて紬の腕では使い物にならない。最後の煙玉の効き目が切れてしまったら丸腰の紬に勝機はないだろう。



 もっと護身用具を貰っておけば良かった。



 心の中で自分の判断の甘さに舌打ちをする。かき集めてもらったとはいえ、出発までに準備できた護身具には限りがあった為、命を狙われている環と彼を警護する紫苑や双子に多くを譲ったのだ。



 止まらない咳のせいで視界を奪っているにも関わらず、男はどんどん距離を詰めてくる。とうとう頭上に大きな影が現れ、紬は蛇に睨まれた蛙のように身体が硬直してしまった。



 あぁやはり、慣れないことはやるもんじゃない……。でも、ここでやられるわけには……。



 両手で口を押さえ、咳を押し殺しながら紬は身体を硬直させて渾身の体当たりを繰り出そうと身構えた。

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