第9話 裏部門の任務(5)
行き交う人々を器用に避けながら紬は大審院への道を急ぐ。気は焦るが、ぬかるんだ地面に足を取られて思うように速度が出ない。いつの間にか雨は止み、周辺の建物に明かりが灯り始めている。
こんな緊張感は久しぶりだなと懸命に脚を動かしながら紬は考える。勿論どんな仕事も責任感を持ってこなしているが、普段の依頼で身の危険を感じることは殆ど無い。
長かった髪をばっさりと切り、少年のような格好をするようになってからは、身を案じて必要以上に周囲を警戒することがなくなった。
今のように自由に息を吐くこともままならない、周囲の空気が限界まで張りつめているような感覚を味わうのは初めて一人仕事を任された時以来ではないだろうか。
運び屋に必要な素質とは何か……?
薄暗い路地を駆けながら、紬は再び思案する。本格的に運び屋の仕事を任されるようになって約2年。様々な任務をこなす中で悟ったことがある。
実績に基づく経験値、業務を遂行するための度胸や体力、依頼主への忠誠心……もちろんいずれも必要な要素だ。
加えて足の速さや、優れた武力など秀でた能力が有れば尚のこと重宝される。
しかし……と紬は乾いた唇を舐める。
自身の安全よりも「託された“モノ”を確実に目的地に届けること」の方を重視される職業においては、目立った技術や能力以上に「どんな状況においても任務を
故に、これまでの仕事でどんな状況に陥っても動じない冷静さと臨機応変な対応力を磨いてきたつもりだ。
そう、例えこんな場面であっても自分のやるべきことは決まっているのだ−−。
「動くな!!!」
入り組んだ路地を抜け、少し開けた場所に足を踏み入れた瞬間、怒鳴り声と共に現れた大きな影に行く手を阻まれる。反射的に立ち止まると、あっという間に鉄パイプや刃物など物騒な凶器を手にした屈強な男達に取り囲まれてしまった。
巨漢達は皆、素性を隠すためかが頭と口元を薄汚れた布で覆い隠しており、その隙間から覗く瞳がギロリと妖しい光を放ちながら紬へと向けられている。
1、2、3…………全部で全部で5人か。
周囲を警戒しながら、耳を澄まして微かに聞こえる足音を数える。自身を取り囲んでいる3人の他にも、建物の陰に身を潜めている者がいるようだ。紬は自身よりも一回り以上大きい男達を見渡し、慎重に距離を取りながら目を細める。
「へへへ……残念だったなぁ。さぁ、大人しくその鞄の中に入っている文書を渡して貰おう。お前に恨みはねぇんだが、そういう依頼でねぇ」
正面に立ち塞がってる一番巨体の男が作ったような猫なで声で告げる。顔は布で覆われているが、ニタニタと厭らしい笑みを称えているであろうと容易に想像出来る声色だ。
「文書? はて……? 何のことでしょう?」
紬は時間を掛けてゆっくりと答え、さっぱり分からないという風に肩を竦めた。その様子に向かって左側の男がチッと舌打ちをする。
「とぼけるな!! お前があの坊主の告発文書を持って大審院に向かっていることは割れてるんだよ! 痛い目みたくなかったらさっさと渡しやがれ!!」
短気な男はそう怒鳴ると、手にしていた太い鉄パイプを大きく振りかぶる。薄暗く治安の良くない路地道をこんな時間に通りがかる人はおらず、助けは呼べそうに無い。
割とまずいな。さて、どうしたものか……。
紬は冷静に周囲を観察しながら、肩から下げた帆布鞄にそっと片手を忍ばせる。ゴソゴソと中を探って、煙幕を張れる煙玉と、強力な粘液で身体の自由を奪う足止め液が入っていることを確認する。
これ程体格差のある男を、しかも複数人相手にして真っ向勝負を挑むのはどう考えても無謀だろう。どうにか隙をついて逃げるか、時間を稼いで応援を待つか……。
一緒に行動していた同僚は近衛兵に連行されてしまったため、応援は期待できないだろう。どちらにせよ自分の役目は鞄の中の告発文書を無事に大審院に届けることだ。
こんな時、子の状況を打開出来る特殊能力が備わっていたらなと思わなくもないが、ないものねだりをしても仕方がない。
「駒はただ、己の役目を果たすのみ」
紬は小さな声でそう呟くと、キャスケット帽の上に着けていたゴーグルを勢いよく目元まで引き下げ、片手いっぱいに握った煙玉を力いっぱい地面に向けて投げつけた。
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