第8話 裏部門の任務(4)
いつもなら
紬達も二手に分かれて辻馬車に乗り込み目的地を目指しているものの、はやる気持ちに反して馬車の動きは鈍い。
「チッ……全然進まねぇな」
キャビンの小窓から外の様子を確認していた海斗が溜息を吐く。馬車は、あと少しで市街地を抜けるというところで立ち往生してしまった。
「小降りになったから、今のうちに移動しようとする人が多いのか」
外の喧騒が次第に大きくなってくる。腕を組み、右脚を小刻みに揺らしている海斗を向かいで眺めながら「歩いて向かった方が早いかもしれないな……」などと考えていると、コンコンと控えめにキャビンを叩く音が聞こえた。
「俺だ。経路変更。馬車を降りて裏通りから向かう」
扉を少し開くと隙間からにゅっと岳斗が現れて小声で要件を述べる。大審院まではまだ少し距離があるが、賢明な判断だろう。紬は海斗に視線を送り了承の意を伝えると、御者に料金を支払い、素早く馬車を降りるーー。
「ったく! だから帝都は嫌ぇなんだよ! 人が多すぎる!」
行き交う人の波に揉まれ、思うように進めず岳斗が悪態を吐く。それでもなんとか人混みを掻き分け進む双子に置いていかれないよう、紬も自身の身体を懸命に動かして彼らの背中を追う。
「おい……
流石に人酔いしてしまいそうになり、歩みを弱めた紬の正面で何故か突然立ち止まった海斗がボソリと呟いた。
「あ? チッ……このクソ忙しい時に」
海斗の呟きに岳斗は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、すぐに理解したようで「間が悪すぎる」と大袈裟に舌を打つ。
え?? 狸……? 犬……?
人間でさえも息苦しいこの人混みに動物が紛れるだろうか? 不思議に思った紬が精一杯背伸びをしてあからさまに苛立ち始めた双子の視線の先を確認すると、環に付き添っている紫苑が軍服を着た二人組に絡まれている光景が目に入る。
「おやおや、こんな天気の日までお出掛けですか? 紹介所の仕事はそんなにお忙しいんですかねぇ?」
髪を短く刈り上げたいかにも軍人という風貌のガタイの良い青年が嫌味ったらしく紫苑に語りかける。その青年の脇にはひょろりと線の細い同じ軍服姿の男が付き従うように控えていた。細身の男は目の下まで伸びた長い前髪に顔の半分が隠れており、その表情を読み取ることは出来ない。
「……一市民に構う時間があるならこの混雑をどうにかしたらどうだ。近衛兵は暇なのか?」
紫苑は顔色一つ変えず、馬鹿にしたような態度を取る相手に冷静に言葉を返す。
「お前らの様ないかにも怪しい輩を監視する為に俺達は仕事してるんだよ。鼠のようにちょこまか動かれて秩序を乱されちゃたまんねぇからなぁ! あ、悪ぃ、鼠じゃなくてずる賢い
軍人らしき男は更に煽るような言葉を紫苑に投げ、意地の悪い笑みを浮かべる。この男の言葉に双子の方がカチンときたようだ。
特に岳斗は腹に据えかねたようで、周囲の人間をなぎ倒すように掻き分け一瞬にして紫苑の隣に並ぶと、敵意を剥き出しにして威嚇するように男を睨み付ける。
「おいおい、監視した方が良さそうな輩なんぞ、そこら中にいるじゃねぇか! そんな判断できねぇとは.....偉そうなだけで衛兵さんってのは無能なのかなぁ?!」
岳斗はそう吐き捨てると、紫苑を煽る男に詰め寄ろうとする。しかし、彼の後ろで静かに控えていたひ弱そうな男にその動きを制される。
何? ……どういう状況??
上司と同僚が皇居周辺の秩序を守る為に設けられた精鋭部隊である近衛兵……と思われる軍人に絡まれ一発触発の険悪な雰囲気になっている。紬が目の前の状況を飲み込めず、困惑していると「彼奴らは国に仕えている近衛兵だ」と海斗が耳打ちしてくれた。
「ガタイの良い方が近衛三番隊隊長の
お
「俺らは仕事中で忙しいんだ。暇をつぶしてぇなら他所でやれ」
紬が思考を飛ばしている間に岳斗と合流した海斗がそう言って犬養を睨む。長い前髪に隠れているため表情を窺うことはできないが、痩身の男は二人の青年から圧をかけられていても飄々としているように見えた。
「おい、余計なことをするな。ちょっと殴らせてやればそのガキを公務執行妨害でしょっぴけたのに」
岳斗をいなした部下に向かって綿貫がつまらなそうに告げる。犬養は上司の言葉に「申し訳ありません」と頭を下げた。
「……いつまで茶番に付き合わせるつもりだ?」
それまでのやり取りを静観していた紫苑だったが、埒が明かないと思ったのだろう。ゾッと鳥肌が立ってしまう程の冷気を孕んだ声で綿貫に問いかける。
紫苑の凄みに一瞬怯んだ綿貫だったが、すぐに調子を取り戻しニヤリと唇の端を歪ませると銀縁眼鏡の奥にある冷めた瞳を覗き込む。
「残念だが、まだ付き合ってもらうぜ。お前達はどう見ても怪しい。俺が
「……ぁんだと?」「職権濫用だろ!」
綿貫の無理矢理な言い掛かりに双子が声を揃えて喚き始めた。おろおろと両陣営の様子を窺っているだけだった環も、流石におかしいと感じたようで「権力の不当行使も甚だしい!」と憤っている。
少し離れたところで「どうしたものか……」と頭を悩ませていた紬だったが、ふと紫苑に視線を送られていることに気が付いた。
あ、ですよね……。承知しました。
想定外の事態ではあるが、連行される相手は近衛兵だ。まさか近衛屯所に乗り込む追っ手はいないだろうから、依頼主の安全はとりあえず保障されるだろう。
であれば、大審院が閉まってしまう前に託された告発文書を届けることを優先しなければ。関わりたくなくて距離を取っていたため、幸い綿貫は紬の存在には気付いていない。
紫苑の顎の動きで「先に向かえ」という指示を受け取った紬は小さく頷き、人の波を擦りぬりけるように大審院に向かって駆け出した。
※登場人物が多く、印象が薄いかもしれませんが、紫苑の家名が
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