「ルルの赤い手」part8

「トール。わたしはルル、お前のat your下部service.(しもべ)だ」


 そう言うとルルは丁寧に頭を下げて俺を見つめた。


「し、しもべ?」


 突然の申し出に面食らってしまった。ルルはルルで怪訝な顔で俺を見ている。


「ああ、すまん。人間の挨拶とは大きく異なるか。要するに『私はあなたのお役に立ってみせましょう』とか『なんなりとお申し付けを』といった感じの意味だな。わたしは自分の世界が嫌だという理由でここに来た。要は逃げてきたわけだ。自分のことだけ考えて、真に苦労しているお前のことは考えていなかった。だが、お前は親身に話を聞いてくれた。こんな理不尽な世界に放り込まれたにも関わらず優しかった。それはわたしの価値観が変わるきっかけを作り、この手袋に出会った。わたしはお前に大きな恩を感じている。だから、わたしは今後、お前の役に立ちたい。なんでもいい、困ったときは話してくれ!わたしはお前の下部しもべなのだからな!」

「お、おう」


 何やら強く宣言された。どう返事をすればいいのかわからず、また間抜けな返答をしてしまった。


「そろそろ戻るか。ああ、そういえば、わたしは皿洗いの途中、いや、始めてすらいなかったな。リーフに悪いことをしてしまった」


 満足げにそう言うと、母屋に戻ろうと促してきた。


「まずはリーフの役に立たなきゃだな」

「確かにそうだな。ああ、ちなみに、さっきお前はほうけていたが、ああいうときは名を名乗り『私もあなたの下部ですat yours.』と返すのがドワーフの礼儀なんだ。つまり助け合いだな」

「そうか……。まあ、礼儀なら言えるようにしとくよ」


 喜びからかニコニコしていつもより饒舌なルルだが、俺はまったく逆の心持ちだった。その心情は表情に表れたようで、ルルにも容易に波及した。


「トール、どうした?ずいぶん眉間に皺が寄っているぞ」


 いぶかしげに俺を見つめるルルだが、俺は指摘するべきか否か、この期に及んで悩んでいた。


「?」

「ああ、いや……」


 この状況で隠してなんの意味がある、ちゃんと伝えなければ。それが受け入れがたい話であろうと。


「あの、お前の額なんだけど……」

「額?そう言えば、さっきから少し痒いな」

「その……いま掻いてるところ、赤くなってるんだ」

「な……」


 俺はルルの額、ちょうど掻いているあたりが赤くなっていることに気づいたのだ。先程まで喜びの絶頂にいたルルにはあまりにも残酷な現実だった。掌には何も問題がなかったのに、今度は額だなんて。


「ルル、手を見せてくれ!」

「結局、鉄の精霊は欺けなかったということか……」


 ルルが虚無感に満ちた様子でつぶやいた。今にも消えてしまいそうな声だ。ああ、クソが!さっきまでルルはあんなにも救われていたのに。なんて残酷な話だ!神も仏もあったもんじゃない! 


 ……神?


 そういえば、ルルの故郷のドワーフたちはルルが鉄の精霊に嫌われている、呪われていると言っていたらしい。彼女の世界ではそれが正しいかもしれない。俺には何もわからないが、本当に鉄が意思を持っていたり鉄に精霊が宿っていたりする可能性だってあるだろう。呪いというものも本当にあるかもしれない。魔法使いであるオリサの世界なら尚更ありそうだ。

 だが、俺が生まれ育ったこの世界では違うはずだ。神様本人のあの話しぶりでは、この世界の神はあの爺さんだけだろう。ルルを嫌って手に異常を起こす神や精霊の類はこの世界にはいないと思っていいはず。

 俺はルルの手をとり、両手をよく観察した。今にも泣き出しそうな顔で歯を食いしばり必死に堪えているのが痛々しい。たしかに、手には何も異常はない。俺はルルの額を見た。両手でルルの小さな頭を包み、赤くなっている辺りを拭うように親指を移動させた。瞬間、ルルが俺の手を払う。


「だめだ、触るな!お前まで鉄に嫌われるぞ」


 ああ、そうか……。ルルが故郷でどのような扱われ方をしていたのか、今わかった。

 まるで伝染病のように扱われていたんだ。

 だから、昼間あれほどまで悲しんでいたんだ。

 だから、ゴム手袋に希望を見出したんだ。

 だから、何もしていない俺なんかにあそこまで恩を感じたんだ。


「トール……、いいんだ。幸い、いま嫌われているのは額だけだ。この手は赤くなっていないし、痒くもない。額が痒くなるだけなら、金属の加工はできるさ。ゴム手袋にはしゃぎ、スコップを額に当てて祈っていたのが嫌がられたらしい」

 気になる言葉が出てきた。


【この手は赤くなっていないし、痒くもない】

【スコップを額に当てていた】


 昼間話したときは具体的な症状を聞かなかったが『手に異常が出る』というのは、赤くなることと痒みなのか?


「いま話したスコップってこれだよな」


 足元に転がる、全体が鉄製のスコップを手に取りながら聞いてみた。丈夫なので俺が小さい頃からずっとこの家にあるものだ。


「そうだが」

「さっき、どんな体勢でこれを持ってたか教えてくれるか?」

「ああ」


 ゴム手袋を着け俺の手渡したスコップを受け取ったルルは椅子に座り腰を曲げて身体を『くの字』にし、両手でスコップを握りしめ、その先端をコンクリートの床に立て、持ち手のあたりを自分の額に当てた。まるで飛行機が不時着する際の姿勢だ。その持ち手が当たっているのは、ちょうど額の赤くなっている辺り。


「もういいか?」

「ああ……。これってもしかして、ルルは鉄に嫌われているわけじゃないかもしれないぞ」

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