兄と妹の受難

 ミーンミンミンミンミー…

 ミーンミンミンミンミー…


 今年も夏が来た。

 外ではミンミン蝉が元気に性行為の相手を見つけるために鳴いている。蝉がどんなに風流だとしても私には「子作り相手募集中」としか聞こえない。何を隠そう、あの声は雄が交尾する相手(雌)を呼ぶための叫び声なのだ。

 それはさておき、私は去年の夏の災難を忘れていない…

 去年の夏、私は通常ならあり得ない災難に遭った。それは、蝉とは特に関係ない。いや、同じ夏の虫という点では関係なくもないが、とにかく蝉とは関係ないということにしておく。

 去年、私は兄と共に家で巨大なゴキブリの大軍に襲われた。大ではない。大だ。

 あのサイズのゴキブリは兵器だ。大群というにはあまりにも恐ろく、あまりにもおぞましい大軍だった。だが、私は生き残った。

 どう生き残ったかというと…


「里美ぃ!!助けてくれえ!!で、出た!!出た出た!!猫のバ…ぐえっ!!」


「言ったらこの作品どころか作者も終わるかも知れない様なボケをかまそうとするのはやめろ!つか出たってまさか…!?」


 私は危険な兄の言葉を殴ることで遮り、話を続けた。

 兄は例によって全裸だ。

 股間には半年前に出来た私の新しい彼氏よりも6センチ程でかい憎たらしい棒がぶら下がっていた。去年よりも明らかに大きくなってるのがムカつく…

 そもそもこいつは風呂に入っていた訳でもないのに何故全裸なんだ?自室で全裸になって何をしていたんだ?

 もはやその話題に突っ込むのすら気持ち悪いので私は兄が全裸だという点は無視することにした。


「いやチゲーよ!精…ごぼあっ!!」


「んなもん出たとは思っちゃいねえよ!!ぶっ殺されてえかバカ兄貴!!」


 今の発言で私はこいつが部屋で何をしていたか悟ってしまった。

 おえ…

 マジで反吐が出る。考えたくもない。つかこいつは私が「まさか精子が出たの?」と訊くと思ってんのか?

 だとしたらマジで頭おかしい。正直、人間性を疑うレベルだ。即精神病院に監禁…じゃなくて心療内科に診せるべきだ。

 私が顔面と腹部ボディーに一発ずつ喰れてやったことで少しはマシになることを願いたいが、恐らくこの兄は永遠に童貞のロリコン野郎なのだろうと思う。ある意味これは妹にとって去年の災難よりも余程由々しい絶望的な問題なのかも知れない。

 それでも私は本気でこいつが嫌いなわけではない。こいつはこいつで良いところがあり、気持ち悪い部分を差し引けばだと思っている。それに実のところ、去年はこいつに助けられた。

 私は兄の回復を待って話を聞くことにした。


「…で?何が出たん?」


「ああ…それがな……」


 兄が出たモノを説明をしようとしたその時だった。


 ギーンギンギンギンギー!


 いや、これはおかしい。

 ん?デジャヴか?

 いや、デジャヴではない。私は去年と同じ反応をしている。

 そう言えば、デジャヴはデジャなのか?それともデジャなのか?全くもってカタカナ表記は面倒だ。

 いや、それは今どうでもいい。


「おい!バカ兄貴!今の何だよ!?ギーギー言ってたぞ!!オナガの鳴き声よりもギーギー言ってたぞ!!」


 オナガはギーとかギュイーと鳴くことがよくある。というより、ほぼこの鳴き方が通常営業としか思えないくらいにギーギーうるさい鳥だ。

 まさか今年は巨大オナガなのか?

 もしそうだとしたら本気でヤバい…

 なぜならオナガはスズメ目カラス科オナガ属だ。つまり、要約するとカラスの親戚みたいな習性を持つ。雑食性でゴミは漁らないものの何でも喰う。そして、オナガは必ず群れで行動する。

 そのオナガが巨大化したとすればそれは即ちヒッチコックのの再現になりかねない。


「いや、オナってはいな…ごえっ!?」


「てめえ!いい加減にしろ!!マジで兄妹きょうだいの縁切るぞ!?」


 兄を自発的に喋らすのはまずい。

 私はそう感じて質問することにした。


「おいバカ兄貴、今の…」


 ギーンギンギンギンギー!

 ギーンギンギンギンギー!

 ギーンギンギンギンギー!


 質問をしようとした時、さっきの音が折り重なるようにして鳴り響いた。


 ギーンギンギンギンギー!!

 ギーンギンギンギンギー!!

 ギーンギンギンギンギー!!


 うるさい…煩い…五月蝿い…

 なんだこのバカでかい音は!?つかでっかいにもほどがあるだろう!!何デシベルあるんだよ!?

 その音が何なのか、私は嫌な予感を隠せなかった。

 そして、その嫌な予感を察知した直後のことだった。


 バルブルブルバルブルバル!!!


 凡そ文字として表現出来ない擬音と共にそれはリビングへと侵入してきた。


「ひいいいいいいいい!!!!!何でセミなんだよ!!!!!」


 それは、私の今の彼氏のチ○コの四倍以上はあり、兄貴の…いや、兄貴のはどうでもいい。

 ともかく、その蝉は私の彼氏のチ○コの四倍はあろうかというミンミン蝉だった。

 あまりにもでかいため、ミンミンどころかギンギンと聞こえる程の大きさであり、少なくとも体長50センチはあった。

 ふざけんなし!!!

 セミはマジで勘弁!!!

 つかでか過ぎじゃん!!!

 去年のゴキブリの倍以上じゃん!!!

 マジでふざけんな!!!

 でかくなるにしても段階踏めや!!!

 何で急に倍以上だし!!!


 カチャ…


 私は心の中で愚痴を言いながら戸棚にたどり着き、冷却式の殺虫スプレーを手にした。

 そして、私はそれを両手に持って構えると一気に噴射した。

 余談だが、去年の一件があって以来、うちには冷却式の殺虫スプレーが少なくとも十本は備蓄している。


 プシャシャーーーーーー!!!!!!


「いぎゃああああああ!!!!!」


 まさか蝉が断末魔を?いや、違う。これは兄の声だ。


「ちょちょちょちょ!?!?!?里美!!何で俺を狙ってんの!?敵はアッチだろ!?」


「あ…ごめん、つい…マジでごめん……」


「いや謝る前に…って里美後ろ!!!」


「えっ!?うわああああああ!!!」


 カラーン…

 バルブルブルバルブルバル!!

 カラカラカラーン!!

 バルブルブルバルブルバル!!

 ガチャガチャ!!

 バルブルブルバルブルバル!!

 ガスゴスゴス!!

 バルブルブルバルブルバル!!


 それは、悲劇の幕開けだった。

 突如背後に現れた二匹の巨大ミンミン蝉に驚いた私は思わず殺虫スプレーを手放してしまった。その後はもう雪崩式だった。

 三匹目、四匹目、五匹目と次々にリビングへと侵入してきたその巨大ミンミン蝉達はリビングの中をメチャメチャに荒らし、戸棚の上、テレビ台の横、その他各地に置いてあった殺虫スプレーを弾き飛ばし、もはや手の打ち所がなくなった。

 そして、私は…


 ガチャン…


「ちょっと!!里美!!何でドア閉めちゃうの!!お兄ちゃんまだここにいるよ!!脱出してないよ!!」


 ごめんなさい…お兄ちゃん。

 私は心の中で十数年ぶりに兄をお兄ちゃんと呼んだ。

 扉を閉めたリビングの中には恐らくは七匹か八匹の巨大ミンミン蝉がいる。

 私は兄をにしてそこから逃げることに決めた。

 そして、リビングからはこの世のモノとは思えないくらいのでっかい蝉の鳴き声が聞こえ始めた。


「待ってて兄貴…今燻煙式の殺虫剤を買ってくるから……」


 去年の教訓として、私は普段使っていない靴の底に一万円札を隠してある。

 私はそれで燻煙式の殺虫剤を買いに行こうとした。

 その時だった。


 ギーンギンギンギンギー!!!!

 ギーンギンギンギンギー!!!!

 ギーンギンギンギンギー!!!!

 ギーンギンギンギンギー!!!!


 玄関とその逆側にある廊下の奥からその巨大な音が響いてきた。


「あはははは…詰んだなこりゃ…もうやだ…トイレに隠れよ……」


 私はリビングのすぐ傍にあるトイレのドアのノブを掴んだ。


 バルブルブルバルブルバル!!

 バルブルブルバルブルバル!!


 その羽音はドアの向こうから響いていて、ノブを掴む私の手には確かな振動が伝わっていた…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る