5

 イエローストーンの大規模噴火から、3年が経っていた。各国で急ピッチに建設が進められた冬眠施設に、今では多くの人たちが眠っている。世界中で活動している人間は、1億人に満たない。それもほとんど全員がまだ暖かい赤道付近で暮らしている。だけど僕は妻のいる日本から離れる気はなかった。


 僕がいるのは、冬眠施設の中の一室。研究設備もすべてここに移動した。この施設を維持管理している職員に紛れてここで暮らしている。


 神岡鉱山の地下を改装して作られたこの施設には、約3千万人の人間が冬眠しているらしい。人間の職員は10名ほどで、他は全てロボットだ。絵瑠沙はここの冷却システムのコアになっているという。


 予想通り、噴火から1年もしない内に厳しく長い冬が始まった。やれ地球温暖化を食い止めろ、だとか、やれ持続可能性サステナビリティを重視しろ、なんて言ってた時期が懐かしく思えるほどだ。つい最近までそうだったのに。人間の文明なんて、所詮この程度の事で一瞬で持続不可能になってしまう程度の物なのだ。


 だけど、僕は希望を捨ててはいない。そして、そういう人間は僕だけじゃない。


 人類復興計画「プロジェクト・フェニックス」。ここでは様々な分野の「諦めの悪い」科学者たちが一致団結し、地球の寒冷化を食い止める方法をオンライン会議で模索している。もちろん僕もその一員だ。


 噴火は終息しつつあるが、これまでに放出された噴煙の量だけでも地球を十分氷河期に追い込んでしまうほどだった。まずは大気中に漂うこれらを何とかしなければならない。


 ここでナノ工学の研究者たちから提案がなされた。日光をエネルギー源とし、大気中の粉塵を吸着して地表に降下させるナノ粒子を放出してはどうか、と。彼らはそのようなナノ粒子を開発することが可能だという。


 しかし、それだけで済めば苦労はない。問題は、寒冷化に伴い極地の雪氷域が拡大し、地球表面の反射能アルベドが上がっていることだ。アルベドが上がると太陽の光が地球の表面に吸収されず、熱が宇宙に逃げてしまい、寒冷化がさらに進むことになる。そしてそれは雪氷域の加速的な拡大を招き、ついには全球凍結――スノーボール・アースという最悪の状況に陥ってしまうのだ。


 だが、その解決にもナノ粒子を使えばいい、というアイデアが地球物理学者のグループから出された。要するに、雪氷域に粉塵を吸着したナノ粒子を降下させて、雪氷域を黒く塗りつぶしてしまおう、ということだ。彼らの計算では、放出された噴煙をすべて均一に雪氷域に降下させれば、氷河期突入を食い止めることができるという。


 それでも、大きな問題がある。たとえ雪氷域に粉塵をばらまいたとしても、またその上に雪が降り積もったら、何にもならないではないか。


 この解決については、気象学者のグループから素晴らしいアイデアが提案された。つまり、雪に粉塵を混ぜて一緒に落とせばいいのだ。そうすれば雪の色が若干黒くなる。それだけでも十分アルベドは下がるだろう。


 しかし、それを行うためには粉塵が雪氷域にうまく移動するように、ある程度コントロールする必要がある。自律的に移動するナノロボットなら問題はないが、未だそんな物が作れるレベルに人類のナノ工学は達していない。


 そこで、ようやく僕の出番だ。僕の専門は複雑系物理。複雑系には「カオスの淵」という概念がある。秩序と混沌カオスとの境界領域。この領域では自己組織化や創発という興味深い現象が起こることが知られている。生命活動もこの「カオスの淵」上での現象だと言われているのだ。


 気象というものはバタフライ効果が支配する、まさにカオスな世界。だが、ナノ粒子の吸着力と分子間力をうまく設定することで、それらを「カオスの淵」に持っていくことができるはずだ。そうすればそれらは自己組織化して、生命体のように振る舞い雪氷域に均一に配置されるだろう。考えに考えた結果、閃いたその理論を僕はスーパーコンピュータを使ったシミュレーションで検証し、オンライン会議で発表した。聴衆は全員拍手喝采だった。


---

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る