不思議なアイスクリーム屋さんの話

小倉さつき

不思議なアイスクリーム屋さんの話

「あちー……」

俺はビル街に作られた広場の大木、それを囲むように置かれたベンチで、一人ぼやく。

季節は残暑。だが、文字通り、うだる暑さが嫌でも夏の残りを感じさせる。

そんな忌々しいほどの晴天の日に、俺は営業回りを命じられた。仕事とはいえ、あちらこちらへ足を運んで頭を下げ、炎天下を行き来するのはそれだけで重労働だ。汗で湿ったシャツが背中にべたりと貼り付いて、余計に心地が悪い。

そんな今日の外回りの仕事は今しがた完了した。あとは会社に戻り、事務作業を済ませるだけだ。一踏ん張りすればいいと脳は理解していながらも、それすら暑さにやられた体は億劫にしか感じられない。

ならばカフェにでも入ればいいではないかという話なのだが、生憎この辺りはオフィスビルばかりであり、一休みできる場所まで行くにはそこそこの距離を歩かなければ行けない。

この炎天下を再び歩くのは嫌だと、全身が訴えている。

そんなわけで、大して涼めるわけでもない木陰に隠れ、夏の太陽から逃げているのである。

ああ、今すぐキンキンに冷えたビールが飲みたい。

いや、まだ勤務時間内だった。

そんなことを考えながら広場を見渡してみると、一台のショップカーが目に入った。

少し遠くに停められているためハッキリとは見えないが、車に貼られたポスターには「アイスクリーム」と書かれているようだ。

(アイスか……)

普段なら口にはしない食べ物。だが、涼を取れるのならこの際なんでもいい。

俺は、残された最後の体力を振り絞り、よろよろとそのショップカーへ向かった。



ショップカーの店員は、意外にも若い女性だった。

「いらっしゃーい。おにーさん」

大学生くらいだろうか。派手な色をした髪を左右に分け、それぞれ丸めて団子のようにしている。他にも大きな飾りのピアスやらヘアピンやらをつけている。暑さにも負けていないような、夏の太陽とは別の方向性の眩しさを感じる。

「見るからにあっつそーにしてるね~。アイス買いに来たんでしょ?」

店員は軽い口調で俺に話しかけてくる。

「あ、ハイ……」

「んじゃー選んで!シングルかダブル、あとコーンかカップか!」

今にも身を乗り出してきそうな勢いで、店員は蛍光カラーのマニキュアが塗られた指でメニューを差す。これ以上絡まれると余計に暑苦しさを感じそうだ、と俺はショップのメニューへと視線を移す。

(……あれ?)

メニューには、店員の言った通りアイスクリームの数と、それを乗せる台が選べる旨が書かれている。

しかし、それだけなのだ。

肝心のアイスクリームの種類が書かれていない。

車の中を見渡すも、冷凍庫の中は空のようだった。

バニラだのチョコレートだのストロベリーだの、あの馴染み深い華やかな色彩はどこにも見当たらなかった。

「もー。おにーさん、注文まだ~?

決めらんないなら、あたしのオススメにしちゃうよー?」

唖然として口を半開きにしたままメニューを見つめる俺とは反対に、頬を膨らませた店員がさらに急かしてくる。

俺は、いくつも浮かぶ疑問を尋ねようと、店員の目を合わせた。が。

「オッケー! じゃ、本日のオススメでご用意しまーすっ♪」

店員は注文内容への無言の肯定と受け取ったようで、ウインクを返された。

いや違う、と言葉を紡ぐ間も無く、店員はしゃがんで何やらゴソゴソと準備を始める。

再び姿が見えた時には、両手に物を携えていた。

左手にはコーンを、右手にはアイスクリームを掬う道具――確か、アイスクリームディッシャーとかいうやつ――をそれぞれ持っている。

しかし、アイスクリームが無いのに何を用意するというのか。

「よいしょ……っと」

店員は今度こそ身を乗り出し、雲一つない夏の空を見上げる。

「んー……」

空を眺める店員の目は、眩しそうに細められている。微かな間を空けてから、よし、と嬉しそうに呟いた店員は、ディッシャーを空に掲げる。

そして。


「えいやっ」

そのかけ声と共に。


――空が、抉れた。


「え?」

俺は、唖然として空を見る。

店員がディッシャーを掲げていた場所の空は、「抉り取られて」いた。

バッ、と店員を見ると、どこからか現れたアイスクリームをコーンへ乗せているところだった。

そのアイスクリームは、間違いなく今見上げていた空と同じ色をしていた。

訳もわからず、アイスクリームと空とを交互に見比べる。

「あー、大丈夫大丈夫。そのうち元に戻るから」

店員はにこやかに微笑んだまま、視線も自分の手元にしか向けていない。何も変わったことなどないとでもいった風だ。

そして、今度は顔を上げ、満面の笑みで出来上がった商品を俺へ向ける。

「はい、どうぞ~。今日のオススメの青空アイスでーす」

空色のアイスクリームが俺の顔前へずい、と迫っている。しかし俺は、今しがた目にした不可解な現象へ思考を奪われたまま、どうしたらいいのかわからなくなってしまっていた。

商品を受け取らず固まる俺を、きょとんとした表情で見つめ返す店員。「あっ!」と、店員が気づいたように声をかけてきた。

「もしかして、雲が入ってる方がよかった!? ごめーん! 気がきかなくて!!」

もはや、店員が何を言っているのかすら理解できなくなってきた。

硬直を続ける俺を、店員は相変わらず無言の肯定と捉えたようで、再度空へディッシャーを掲げる。

「ん~……もーちょい、もーちょい欲しいな~」

店員は小声で呟く。その表情は眩しそうで――否、品定めをしているようだった。

「おっ、いー感じのがキタ!」

嬉しそうに店員が言う。つられて俺も空を見上げると、空には白い入道雲が流れてきているところだった。

「ほいっ、と」

店員が、先程と同じようにかけ声を上げ、ディッシャーを空から降ろす。入道雲のある空はやはり「抉れて」いた。

そして、今度は白の混じった空色のアイスクリームが、ディッシャーの中に現れていた。

店員は二段になったアイスクリームを差し出し、笑顔で言う。

「じゃあ、はい!今度こそどーぞ!」

「あ……はい」

俺は回らない頭のまま、商品を受け取る。

「お金だけどー、勝手にダブルにしちゃったから、いっこオマケってことにしとくね~」

「……はあ……」

店員が言う通りに、俺は財布からシングル分の料金を支払った。

「まいどあり~。良い夏を!」



俺は再び木陰のベンチに戻っていた。手には買ったばかりのアイスクリームがある。

アイスクリームは綺麗に二つ、コーンの上に乗せられている。下段には真っ青な空色の、上段には白い雲の混じった空色の、それらが。

いくらオマケ料金で済んだとはいえ、お得感は一切ない。何しろ、目の前のこれは得体の知れない技術で生み出されたモノなのだ。口に入れても平気なのだろうか。

眉根を寄せて眺めていると、気温でアイスクリームの端が溶け出し始めた。水滴のように勢いよく垂れ下がる空色の雫は、今にも手へ到達しそうだ。

「おっと」

俺は、つい垂れ下がったアイスクリームを舌で舐め取った。普通のアイスクリームを食べるように。


その瞬間、目蓋の裏に何かが映った気がした。


(……?)


まばたきをした間に、その感覚は消え失せていた。熱でおかしくなったか?いや、違う。きっと、このアイスクリームのせいだ。

謎だらけの空色のアイスクリーム。

普通なら、不気味だと思ってそのまま投げ捨ててしまうところなのだろう。

しかし、俺は、これを食べたいという衝動にかられていた。先程感じた「何か」は、恐れるものではない。もっと、あたたかくて、やさしくて――そんな確信があった。

俺は恐る恐る、アイスクリームへ口をつけた。



そこには、どこまでも広がる青空があった。

どこか遠くで、子供のはしゃぐ声も聞こえている。

いつもならうるさいとしか感じない蝉時雨も、心地よい旋律に思える。

爽やかな風が体を撫でていく。

ああ、これは、この景色は――



気がつくと、空は赤く染まっていた。いつの間にか日が暮れていたらしい。

手元にあった青空のアイスクリームも、すっかりなくなって、コーンがわずかばかり残っているだけだ。

俺は、コーンの残りを口へ押し込み、ベンチから立ち上がり、駆け出す。

風が、背中と乾いたシャツを通っていくのを感じていた。


「あ、さっきのおにーさん」

ショップカーへ辿り着くと、あの店員が店じまいの支度をしているところだった。俺の姿を見つけた店員は、作業の手を止めて、微笑む。

「良い夏は感じられました?」

「ああ。……ありがとう。とても良いアイスクリームだったよ」

「ならよかった~」

へにゃりと店員が破顔する。

空色のアイスクリームを食べたことで見えた景色。あれは、俺が子供の頃見た夏の空だ。何物にも遮られず、どこまでも続くと続くと信じていた頃の、純粋な瞳で眺めていた青空。あんな感覚は、いつから失われてしまったんだろうか。

「すごく、爽やかな気分になれたよ。こんなの久しぶりだ」

お礼を改めて伝えると、店員はさらに嬉しそうに笑う。

「なら、おかわりしていきます~?」

「あー、気持ちは嬉しい、けど……」

「ですよねー。ダブル食べたばっかりで、追加はムリっすよねぇ」

この時間の空もおいしいんだけどなー、と言いながら、店員は作業へ戻る。

その背中へ、俺は尋ねる。

「明日、また買いに来てもいいかな?」

「そんな気に入ってくれたんだ? うれしー!

でも、残念ながら明日にはここには来ないんだよねー」

「えっ……」

俺は返された答えに肩を落とす。考えてみれば、ショップカーは移動販売の店だ。あちこちへ移動するのも当たり前なのだ。

だが、諦めきれない俺はさらに店員に尋ねる。

「じゃあ、明日はどこで店出すの? ある程度近くだったら、買いに行けるし……」

「んー、どうだろうねぇ。近くかもしれないし、遠くかもしれない。わかんない」

店員は、空を見上げて、話を続ける。

「あたしね、空を探してるの。一面の空が見える場所を。毎日いろんなとこ行って、ここいいなぁ、って思った場所で、お店を開くの。

だから、あたしが今日ここでお店出してたのは偶然。

おにーさんが買いに来てくれたのも、偶然」

店員が俺へ視線を向ける。

「そんな偶然のひとときで、当店を気に入ってくださり誠にありがとうございまぁす」

店員は笑って言った。心から、嬉しそうな顔で。


結局何だかんだと閉店作業が終わるまで、俺と店員は会話をした。

嵐の日は開店できないから、客に味を知ってもらえないだとか、雷の時は落ちる瞬間を狙うのが難しいが、その分刺激的な味が楽しめるのだとか。

俺にとっては不思議だらけの――だが、きっと彼女には他愛もない――そんな会話をたくさんした。

そして、支度が完全に終わり、ショップカーがここを去る時が来た。車に乗り込んだ店員は、窓から顔を出して俺へ声をかける。

「明日は別の場所に行っちゃうけど、もしかしたらまたいつか会えるかもしれないね」

それじゃあね、と店員はあっさりと車を走らせ、ビル街から消えてしまった。

名残惜しさを感じ、もう見えないはずの車の影を追っていた頭に、ふと別のことが入り込む。

「しまった、仕事……」

そういえばまだやるべき仕事を残したままだった。一気に現実に引き戻され、はあ、と溜め息をつく。

ふと、風が吹いた。

空を見上げると、夕暮れの赤から夜の濃紺へと変わり行くところだった。

(この空は、どんな景色を見せてくれるんだろうな)

あの店員が言っていた、嵐や雷の味も気になる。

俺は、ビル街の明かりの灯る道を歩きながら、空色のアイスクリームが見せた味を思い返していた。



あの店員はきっと今も、どこかで魅力的な空を求めて車を走らせているのだろう。

いつかまた出会えたなら、今度はどんな空の下で会えるのだろう。

その時はどんなアイスクリームを差し出されるのだろうか。

夢想することはたくさんある。しかし、一つだけ確信できることがある。

差し出されるアイスクリームは、どれも素晴らしい空を見せてくれるのだということを。

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