第6話

 デートの日は天気も良く、絶好のドライブ日和だった。

 少し緊張しながら玄関のチャイムを鳴らす。

「はーい。」

「かずきです。ご無沙汰しています。」

「ちょっと待ってね。」

 応答したのは、はなさんだった。

 すぐに玄関の扉が開き、まゆが腕に飛びついてきた。

「かずき君、おはよう。」

「おはよう。まゆ、少し離れてくれない?」

「こんなの昔からいつもの事じゃない。」

 困っていると、まゆの後ろから声がした。

「かずき、おはよう。この間は悪かったな。」

「うん?おはよう、こうた。何の事かな?」

「卒業式の日だよ。」

 ドキンと心臓がなり、冷や汗が流れそうになった。

「ああ、気にしないで。大丈夫だから。」

「今日だってせっかくの休日に子守なんてさせて悪いな。」

「パパ、邪魔しないでよ。それに子守じゃなくてデートなんだから」

 腕にくっついたまま、面白がるようにまゆが言った。

「デートとは聞き捨てられないな。よし、俺も一緒に行こう。」

 こうたも面白がってふざけだした。

「絶対ダメ。今日のパパにはママがいるんだから、久しぶりに二人でお出かけしてこればいいじゃない。」

 まゆはそう言うと僕を促す。

「かずき君行こ、行ってきまーす。」

 まゆが言う。

「おう、気をつけて楽しんで来いよ。」

 こうたが笑って手を振る。

「ちゃんと送り届けるから。」

 引っ張られながら、僕も慌ててそう言った。


「あー、さっきのかずき君、面白かった。」

 車に乗り込み動き出すと、心底楽しそうに笑いながらまゆが言った。

「そんなに笑わなくてもいいだろう。」

「だって、慌てちゃって。あんな顔初めて見たかも。」

 確かにどんな顔でこうたに会えばいいか分からなかったのは初めてだった。

「誰のせいだと思って…」

「うん?誰のせいかな?」

 からかうように僕に言う。

「ほんとの事全部言ってすっきりすれば、あんな顔しなくていいのに。」

 グサリ、核心を突かれて黙り込む。

「でも、困ってるかずき君もかわいくて素敵だから、しばらくは内緒でもいいかも。」

「まゆ…これ以上困らせるの?」

「今日はもう許してあげる。」

「それはどうもありがとう。」

 何だか、弱みを握られてしまったようだが仕方がない。

 しばらく運転していると、いつしか憂い事など忘れてしまっていた。

「そう言えば、言ったかな?」

「何?」

「髪、ずいぶん長くなったね。良く似合ってる。」

 まゆの髪はやがて腰に届きそうになっていた。

「そう?嬉しいな。かずき君のためにずっと伸ばしてるんだから。」

 僕は手を伸ばして、ふわふわとした柔らかい髪にふれる。

「くすぐったい。危ないな、今は運転に集中してください。」

 まゆが笑いながら言った。


 たわいもない話をしていると、水族館まではあっという間だった。

 チケットをスタッフに渡して中に入ると館内はひんやりと涼しく、ぼんやりと薄暗い空間だった。

「かずき君、手つないでいい?」

「いいよ。」

 どこにでもいる恋人同士のように僕たちは手をつないで歩き始めた。

 青く幻想的に光る大きな水槽、その中をキラキラと泳ぐ魚たち、そしてそれを楽しそうに見つめる僕の秘密の恋人。

「きれいね。」

 まゆが呟くように言う。

「そうだね。きれいだね。」

 僕も答えたが、魚よりも水槽の照明に照らされたまゆに見とれている自分がいた。

 じっと見られている事に気づいたまゆは、訝しげに聞いてくる。

「どうかした?何かついてる?」

「いや、何でもない。」

「何でもなくない。いいから言って。」

「…まゆがきれいだなと思って。」

 口に出すとすごく恥ずかしくなって、思わず口に手を当てた。

 薄暗いことに感謝する。僕の顔は耳まで真っ赤だったに違いない。

 そんな僕のことをまゆは満面の笑みでのぞき込む。

「何、嬉しい。きれいなんて言ってくれた事ないじゃない。」

「そうだった?聞き流しておいて。」

「ううん、忘れない。ほんとに絶対忘れないから。」

「そんな大げさだな。」

「最近幸せすぎて、何だか罰が当たりそう。」

「まゆに罰なんか当たらないよ。」

 こんな些細な事で喜んでくれるのなら、もっと前から言っておけば良かったと思った。


「まもなくイルカショーが始まります。」

 館内放送が流れる。

「イルカショーだって。見たいな、行こう。」

 つないだ手を引っ張られ、僕らは外のエリアに出た。

 屋内エリアとは異なり外は明るく、太陽に目がくらんだ。

 会場は座るところが少ししか残ってなくて、僕はあたりを見渡した。

「ちょっと待ってて。」

 僕はそう言うと、つないだ手を離し、近くにいた女性グループらしき人に声をかけた。

「すみません、少し詰めてもらえませんか?」

 にっこりと愛想笑いをしながら声をかけると、女性たちはすぐさま席を詰めてくれた。

「ありがとうございます。まゆ、おいで。」

 まゆを呼び寄せると、

「かわいいですね。妹さんですか?」

 何やら隣の女性が話しかけてくる。

 まゆが何やら不満げに言いかけたのを手で制して、

「かわいいでしょう。僕の自慢の恋人なんです。」

 そう言うと、まゆの肩に手を回した。

「デート中なので、静かにしていただけますか?」

 慇懃無礼に微笑んでそう言い放ちまゆの方を見ると、まゆは嬉しそうに笑った。

 女性は一瞬何か言いたげな顔をしたが、それ以上僕に声をかけては来なかったので邪魔が入る事もなく、僕たちは思う存分イルカショーを楽しんだ。


 本当はずっと一緒にいたかったけれど、こうたに送り届ける約束をしたのでまゆを促した。

「そろそろ帰ろうか?遅くなってしまうからね。」

「今日、かずき君の家に行っちゃ駄目?」

「今日は送るよ。まゆが来たら返せなくなっちゃう。」

「別にいいじゃない。」

「でも、こうたに送るって約束したしね。」

「またパパ?」

 まゆはうんざりした風だ。

 車に少し早歩きで向かいながら、僕に聞こえる様に愚痴をこぼす。

「そんなにパパが大事なら、パパと付き合えばいいのに。」

「まゆもこうたも大事だよ。だから、祝福してもらいたいんだ。ねえ、もう少し我慢して?お願いだから。」

 僕は甘えるように言う。

「…もう、仕方ないな。ほんとなるべく早くパパに報告してね。」

「分かってる。こうたの機嫌を見計らってちゃんと話すから、今日はお家に帰ろうね。」

 しまった…ついつい子供をあやすような話し方になってしまい、まゆは不機嫌だ。

「ねえ、僕もすごく我慢してるよ。本当なら連れて帰ってしまいたいんだから。」

「じゃあそうしてくれればいいのに。」

「今後のためにも約束は守らないとね。」

 機嫌を損ねたまま車に到着したまゆは、僕に向き直り両腕を広げた。

「…わかった。じゃあぎゅってして。」

 抱きしめるといい香りのする柔らかい身体をぎゅっとくっつけてので、本当に連れて帰りたくなって困った。

「かずき君大好きよ。やっと捕まえたんだから、もう離さないからね。」

「僕も好きだよ。離れていてもまゆの事ずっと想ってるから。」

 これ以上くっついていると本当に連れて帰ってしまいそうだったので、まゆをそっと離すと、助手席のドアを開けて乗り込ませた。

「今度は、お泊まり出来るように準備してくるからね。」

 運転席に乗り込む僕に、まゆが念を押す様に言う。

「分かった。じゃあ、会える日が決まったら連絡するよ。」

 そう言ってこの日は何とかまゆを送り届けた。

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