第3話
夜明け前、カーテンから漏れる光が眩しくて目が覚めた。
隣を見ると、まだあどけなさを残した表情で眠る僕の少女。
起こさないように気を付けながら、僕はベッドから出た。
リビングへ行き、吸い寄せられるように窓の外を見た。
そういえば今夜は満月だとニュースで言ってたっけ。
今夜の事はこの月が知っていると思うと、何だか後ろめたい気持ちになった。
いつの事だろう、まゆを意識し始めたのは。
こうたの家にはよく遊びに行っていたので、まゆの事は本当に赤ちゃんの頃から知っていた。
小さいときからクリクリとした瞳とふわふわした髪の西洋人形の様なかわいらしい女の子だった。
…あれは僕が高校生で、まゆが小学校に入る頃の事だ。
「かずき君、好きな人いるの?」
いきなりまゆが聞いてきた事があった。
「好きな人?いっぱいいるよ。」
「そうじゃなくて、お姫様の事。」
「お姫様?何の事?」
訳が分からずにいると、はなさんが笑いながら教えてくれた。
「この間、私たちの結婚式の写真を見たの。チャペルとウェディングドレスの写真を見てお姫様と勘違いしたのよ。」
「そうなんだ。やっと話が分かった。」
「ねえ、いるのいないの?」
「そんな子いないよ。今は勉強で手一杯なんだから。」
「本当か?こないだの子はどうしたんだ。」
こうたも気になったのか話題に参加してくる。
「もう振られました。一方的にね。」
「かずきでも振られる事あるんだな。」
こうたが楽しそうに言う。
「僕のスタンスは、去る者は追わずだからね。」
「かずき君、まゆは?まゆ、かずき君のお姫様になりたい。」
まっすぐ僕を見つめて言った。
「まゆはパパと結婚するんじゃなかったのか。」
こうたが割って入る。
「パパのお姫様はママでしょう。まゆはかずき君がいい。」
返答に困る僕を、こうたは不満そうに、はなさんは面白そうに見ていた。
「そうだな、まゆが大きくなって素敵な女性になったらね。」
「すてきって、どんな感じ?」
「うーん、例えば、髪が長くてスタイルが良くてかわいくて優しくて料理が上手で…」
「かずきの理想は高すぎるな。」
こうたが笑って言ったが、まゆは真剣に聞いていた。
「結局、好きになった人が素敵に見えるって事。」
僕がそう言うと、まゆは困った顔をした。
「よくわかんないな。まゆ、お姫様になれるの、なれないの?」
「もちろんなれるよ。まゆのパパが怒らなきゃね。」
僕は笑いながら答えた。
「ほんと?約束よ。かずき君のお姫様はまゆだからね。」
まゆの後ろに苦笑いのこうたが見えた。
その日以来まゆは髪を伸ばし始めた。
「かずき君の事好きよ。」
「かずき君が一番大好き。」
会うたびに呪文のように幾度となく繰り返されるそれは耳心地がよく、子供のいう事とは言え悪い気はしなかった。
もちろん、その時は恋愛対象として見ていたわけではなかったけれど。
けれど、中学生になり高校生になってもまゆのそれは変わらなかったし、年々伸びてゆく髪が幼い頃の淡い約束を時々思い出させた。
ここ数年、まゆの関心事はもっぱら僕の女性関係のようだった。
「ねえ、かずき君は付き合ってる人いないの?」
「今?本気で付き合ってるって事?」
「そう、いないの?」
「友達ならいるけど、恋人はいないよ。」
大抵そう言ってお茶を濁した。
実際、女性と真剣にお付き合いするのは若干面倒で、恋人といえる程深く付き合っている女性はいなかった。
「そういうまゆは好きな人いないの?」
「かずき君の事が好きよ。」
「そうじゃなくて、学校にもいっぱい男の子がいるだろう?」
「かずき君より素敵な人なんていないから大丈夫。」
「はいはい、ありがとう。僕もまゆが好きだよ。」
こんな会話は日常茶飯事だったので、日に日に成長してゆく外見とは裏腹に中身は子供のままだと思っていた。
キッチンに行き、冷蔵庫からビールを取り出すと一息に飲んだ。
はるおみの名前を聞いた瞬間、付き合う二人を想像しただけでもやっとした気持ちになってしまった自分に思わず苦笑する。
まさか9歳も年下の少年に嫉妬してしまうだなんて。
小さなころから、仲の良い兄妹のように、まるで恋人同士のように、まゆの隣にはよくはるおみがいた。
はるおみは端正な面立ちをしていて、眼鏡がそれを引き立てていた。
「はるおみってね、眼鏡外したらちょっとかずき君に似てるの。」
そういえばまゆにそう言われた事があったのを思い出す。
それが胸にチクリと引っかかったのかもしれない。
言われてみれば外見は学生の頃の僕に似てない事もなかったが、はるおみは物静かで礼儀正しい素直な少年だったし、昔の僕のようにやんちゃでも生意気でもなかったけれど。
今夜の事はどうしようか。
たばこに火を付け紫煙をため息と共に吐き出す。
考える時間はあまりにも少なく、気持ちの整理がつかない。
まゆの気持ちが一過性のものではない事は十分承知していた。
僕だってまゆの事が好きだと気付いたのだから何の問題もないはずだが、悩みの胤はこうたの存在だ。
何て言おう。優しいこうたを怒らせるかな?悲しませるかな?
絶対怒らせるだろう事は分かっていたし、それを想像するだけで身の縮む思いだが、やってしまったことはもうどうしようも出来かった。
我知らず深いため息がでたが、たばこの紫煙がそれを隠してくれた。
明日、いや今日か。まゆが帰る前に話し合おうと決めて残りのビールを飲み干し、ソファに横になる。
もうすぐ夜が明けるというのに今夜の月は明るく輝き、何か言いたげにこちらをじっと見ているようだった。
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