闘病日記~13日目~(実話怪談と物流の怖さ)

〇実話怪談

今回は実話怪談をひとつ。お盆ですからね。それっぽいことしたい。


母が亡くなった日のことです。

夕方医師に「今夜か明日あたり」と宣告を受けたので、

父に「夕飯先に食べて来い」と言われ弟と二人、

1階にあるラウンジに向かいました。

コンビニが併設されている病院なのでそこで買って。

そんでいざ食べようとしたらスマホに父から

「様態が変わったから今すぐ来い」と。


買ったものを袋に詰め込んで急いでエレベーターに向かうとドアが開いている。

これ、後から聞いた話なんですけれど、おかしいんですよ。

病院のエレベーターって開いて待ってないんです。

閉じて待ってるはずなんです。


エレベーターに入って母のいる階のボタンと「閉じる」を押します。

ドアがしまる前、10cmくらいの間を空けて再度開いていしまう。

ウイーン(閉じる)、ガッコン(ひっかかる)、ウイーン(開く)って感じで。

もう一度閉じるを押すと今度はすぐにガッコンなって開いてしまう。

(「誰かイタズラしてるんか?」)

と思って一度出て確認するもいない。

弟はそれどころではありません。

もう一度「閉じる」を押してようやくドアは閉まりました。


母がいるのは10階なのでエレベーターで押したボタンは「10」だけです。

なのにここから準各駅停車。何度も途中で止まります。

人の出入りはありません。

このときさすがの弟も「あれ?」となりました。

車いす側のボタンを弟が押してしまったこともありません。

黒い影を見たとか、いつの間にか3人目がエレベーターにいたとか、

そういうこともありません。


ようやく10階につき母の元へ向かうと、既に亡くなっていました。

亡くなっていたというか呼吸がなかったというか。

私たち兄弟は死に目に会えていないのです。

落ち着いてから「邪魔された」そんな気持ちになりました。


既にコロナ禍でしたが今のように変異株などで騒がれていなかったためか、

緩和ケア病棟で亡くなる間際の患者親族に限り、

部屋に人の出入りができました。

恐らく今は無理でしょうね。


病院ってこういうことあるんだなって思ったお話です。

実話なのでオチはこんなものです。


一番怖かったのは、散々母を困らせてきた父が泣いていたことでした。

悲しいからではなくて「悲しんでいる夫」を看護師に見せたかったんだろうな。

私がサイコパスにこだわるのは、父をそうではないかと疑っているからです。

反社会性とサイコパスを似てるけれど別と言うのもそのせい。

父には反社会性な症状はありませんが、サイコパス傾向はあります。

同時に自己愛性とナルシシズムの違いにこだわるのもこのためです。


私は病室に入って現実を知ったあとは

文字通り記憶がかなり飛んでしまいましたが、

父が泣いていたことは覚えています。


余談ですが弟いわく、私、結構大変だったらしい。

言い方悪いですが気が触れたと思ったそうです。

いや、あながち間違ってはいない。


怪談は以上です。


〇おまけ

「あれ? あの人良いことしてるぞ」とか「反省してるんだな」と思ったときは、

一度立ち止まって、前後の文脈(ツイッターがわかりやすい)

と発言を言葉で区切って、似た表現に置き換えると良いですよ。

言葉を使い慣れている人には「自分を良く見せるトリック」は簡単です。

人は心配や不安に感じることはあっても、反省はあまりしません。

そもそも反省は超高級テクニックです。なぜなら意思の自発的修正だから。

このテクニックは頭の良し悪しではなく、人の本質でできるかどうか決まります。

頭が良くてもできない人は出来ません。

厄介なことに、他者に対する反省ならばしなくても本人は発展できる点です。

一方で心配や不安は自然と沸き出るもの。

だからうつ病があり全般性不安障碍がある(と思う)。


もう一つ、頭が良い人(何をもっての基準なのかわかりませんが)が

全てにおいて計算して含みを持って行動するわけではりません。

頭の良し悪しと性格の本質はまるで違います。

そうでなかったら歴史上で頭のいいと言われている人は、

何もやらかさず絶好調に生きてきたことになる。

反省するのではなくて次の、別の手を考えるケースが多いですね。

自分に非があるとは思わず。

「自分のせいで失敗した」ではなくて「ダメだったか、では次」こんな感じ。

トライ&エラー(トライアル&エラー)と言えば聞こえはいいけれど、

省みない人がやると大惨事を引き起こします。試行錯誤してないから。

頭が良いと言われる人でもこれ出来ない人本当に多いです。

ネットやテレビで見ていてそう感じます。知識人と呼ばれる人たち見ていて。

だから頭の良し悪しは関係ないんですね。

反省しないトライ&エラーは「下手な鉄砲数打てば当たる」でしょうか。


頭が良いのを売りにしている人が難しい単語、

聞きなれない単語を多用、

その説明をしない場合はあまりその単語について考えていないことも多い。

もしくは誰かの受け売り。私が大好きで良く使う

「神は留守だよ、休暇取ってベガスに行ってる」

とレベルは同じです。気持ちよくなってるだけ。

だから知識人?の話をごく稀に聞くと

「それって〇〇に載ってたよね?」ってのが割とある。


私は読書が超々嫌いですが、

書店員時代は1、2日に1冊読んでました。

モノを売る知識を得るためと、商品そのものについて知るためです。

何冊どれくらい読んだか、何を読んだのかではなくて、

読んだことが身になっているかが大切だと思いますよ。

だからイマイチわからなければ読み返しもしていました。

冊数はステータスになりません。

読書好きだけれど結局書かれていることを

よくわかってない同僚を何人も見てきました。

書店員は本好きが集まりますからね。

この仕事向かないなと思いながら見てました。


大学受験で手広く参考書に手を出しても、

結局理解してなかったらダメですよね。

基本的な考え方はそれと同じ。

そもそも何冊も読まなくても、

そのジャンルの本いくつか読めば書いてること大体一緒だから。

犯罪心理学の本を3冊読めば半分以上は内容かぶってますよ。

あとはわかりやすいかどうかの違いだけ。


週1、月1、2か月に1冊でもそれが身になっているなら十分で、

大量に読んでいる人に負い目を感じる必要はないです。

これまで習慣がなかった人は3か月に1冊からでも十分。

半年だと最初のほう忘れちゃうから、せめて3か月。

新書でいい。薄い本です。縦に長い文庫みたいなやつ。

私はしつこいですが読書が超嫌いですけれど、

仕方がなくこれだけはしています。仕方がなく。


これは完全に個人の好みになるんですけれど、

当時帯に顔写真のせて宣伝している本は買いませんでした。

なんか嫌だった。でも今は大体昔の名著には有名人が

「オススメ!」みたいなこと言ってるのかな。顔写真付きで。

書店員やってると帯の仕組みなんかもわかってきますよ。

私も書いたことあります。女性向けのラノベの帯。


私が書店員になった理由は、

・物流というか商品の流れを知りたかった

・モノを売る方法に興味があった

・ヒトを集める方法に興味があった

・返品しても店へのダメージが低かった(本は委託。ほかは買い切りが多い)

・偶然パートを募集していた

です。あ、最初はパートから入りました。

責任者には1年半くらいでなりました(ちょっと自慢)。

給料はべらぼうに安いです(悲しい)。

今上記のことで興味が続いているのは「ヒトを集める」だけで、

ほかは小売りレベルなら大体わかりました。


もちろん、個人の感想です(みんなも使おう、付ければ大体許される最強フレーズ)


気持ちが少しは安定してきたのかな?

大丈夫、またすぐ落ちます(波があるらしい)

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