夢喰い(1)

 お花屋さん。ケーキ屋さん。お嫁さん。看護婦さん(私が子どもの頃はまだ看護婦呼びだった)。うたのおねえさん。ピアニスト。小説家。ラジオパーソナリティ。Etc.

 昔はたくさん持っていた夢も、大人になる道のりの途中でこぼしてしまった。かろうじて掌に残っていたモノも、20余年もひきずっていたら擦り切れてぼろっかすになったから、捨てた。

 それでもやっぱり大人になっても夢をみてみたいのが人間。先ほどからせっせと夢の答え合わせをしては、ため息をついている。夢の残骸をひとつふたつと積み上げた小さな塔。彼はそれをテーブルの隅に押しやって、空いたスペースにカップを置いた。立ち上る湯気がため息で揺らぐ。カップを持ち上げ中をのぞくと、夢に破れた大人の顔が移っていた。



「なにコレ」


「ハーブティー。せっかくドリンクバーなんだから色々飲んでみたいでしょ?」


「私は別にコーヒーでいい」


「そんなコーヒーばっかりじゃ体に毒だよ。ファミレスのコーヒーなんて何が入ってるかわからないしね。それに美味しくもない」


「コーヒーを美味しいを思えないのはササメ君が子どもだからじゃないの?」



夢見盛り、とは言えなくもないかもしれなくもないお年頃。そろそろ夢と現実の折り合いをつけはじめる10代にコーヒーの味がわかるものか(たしかにこの店のコーヒーは美味しいとは言えないけれど)。

 墨を流したような夜色の学生服はちょっとコーヒーに似ているけど、彼にコーヒーは似合わない。飲んでいるところも見たことない。ササメ君は私の問いかけに「それよりも」と言いながら座りなおす。と、夜色の中に輝く星の校章が蛍光灯を反射した。

 人工的にチカリとまたたく綺羅星は、私のかつての夢だった。

 私立星英学園。県内でも指折りの中高一貫の進学校。有名ブランドも手掛けるデザイナーの考案した大人っぽさの中に可愛らしさもある制服。それとお星さまの校章に、幼かった私は憧れたものだ。

 そんな私の心中を知る由もないササメ君は「子ども」と言ったのは半分ひがみであることなんてわかるはずもないのだろう。おとなしくその言葉から目を背けて、自分のために持ってきたジュースのストローをくわえる。

何が入っているかわからないコーヒーなんかではなく、100パーセントの野菜ジュース。健全で健康的だ。ササメ君の体はファミレスのコーヒーのように混沌とした飲み物は受け付けないらしい。そういうところは羨ましくもあり、同時に己が失ってしまった何かを持っている彼は実に妬ましい。



「宝くじって、こんなに買っても当たらないものなの?」



100パーセント野菜ジュースを摂取した橙色の声は混じりっ気なしの素直さで私の胸をえぐる。



「当たったよ」


「うそ」


「…………3千円が2本」


「ふうん。こんなに買ったのにねぇ」


「えぇ、えぇ。他のはどうせハズレですよ」



さほど興味なさそうに夢の抜け殻をパラパラとめくる指は、女の私より細い。さすが、名は体を表すとはよく言ったものだ。

 彼の名前は『細』と書いて『ささめ』と読む。

 キレイな名前だと思う。思うのに、どうしてだが私が発音するとひらたい音の連なりにしかならない。



「はゆき」



彼が私を呼ぶときは、こんなにもあたたかに感じるのに。



「羽雪さん、でしょ。天下の星学生が目上の人に敬語もつかえないの?」



セーガクセー。私が言う単語は、やはり平坦に響いた。



「えー。だって僕、羽雪さんのこと目上のヒトだと思ってないし」



このガキ、いっぺんシメたろか。

 うっすら殺気のこもった視線を剛速球でとばす。それすらも育ちの良さがにじみでる笑顔で受けとめたササメ君は、素直に訂正をいれた。



「羽雪さん、一体いくら使ったの?」



だがしかし敬語をつかうつもりはないらしい。言葉が出てこないのはそんなササメ君に呆れたからではなく、言うのははばかられる額をつぎ込んだからだ。

 だって宝くじは夢を買うものだし、買わなきゃ当たらない。だからと言って、買えば買うほど当たるとも限らないのだ。確率が上がるだけで。しかもその確率は交通事故に遭うよりも低い。

 それでも買ってしますのは、やはり夢をみたいからなのだろう。その内訳が現金とは、いささか夢のない話ではあるが。でも欲しかったなぁ3億円。しかし手元に残ったのは6千円。これは恥ずかしい。

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