第弐話 英雄の子孫

「待て!金時!」

 男が張り上げた声が道場に響き渡る。


「はいはい、すぐ帰るから」

 袴を脱ぎ捨て、短髪の少年は浴衣に袖を通す。


「まだ稽古の途中だ!」

「もういいだろ。俺より強い奴なんて居ねえじゃねえか」


 それを聞いて面相を変えた道場の一人の少年が短髪の少年の胸ぐらをつかむ。

「なんだとてめぇ!」


「おめぇもだよ!」

 短髪の少年は、彼の腕をつかみ、投げ飛ばす。


「どうした、来いよ、お前ら。なんか文句があるんならよ」

 短髪の少年はそう言ったが、投げられた少年の他に彼に食って掛かる者はいなかった。


「ふん、こんなボンクラどもしかいないんなら、こっちもやる気がなくなるってもんだ」

 彼はほかの者たちに背中を向けて道場の扉を開けた。


 その時、男が一段と声を張って引き留める。

「馬鹿者! お前が学んでいるのは自分より力が強い相手と対した時のための武術だ!」


「じゃあ俺はこいつらの練習台ってことか?」

 そう言い捨て、彼は道場を後にした。


「全く……次に鬼が出たら……どうすれば……」

 男は頭を掻きむしった。


「お前達、あいつを見返したいと思うなら死ぬ気で鍛錬しろ!」


 門下生達の怒声のような返事が屋敷一帯に響いた。


「あの野郎……絶対ぶっ潰してやる……!」

 投げられた少年は復讐心に近いものを抱いていた。

 同時に、投げられたのにもかかわらず体に一切の痛みがないことに気が付き、まらなく悔しくなった。



「さてと、今日はどんな奴が来るかな……」

 町の力比べの寄合に向かう短髪の少年は、そこへ歩を進めるたびに胸が高まっていった。


 いつも歩く通りの風景。

 自分は武士の一家という立場ながら町民の知り合いは、年端もいかない子供にしては多すぎるほどだった。


「よお太郎! また寄せに行くのか?」

 絵を売る店の店主が、元気よく少年に聞く。


「おやじ、俺はもう金時だぜ」


「いやぁ、その呼び方なんかこう、腹にすっぽり収まんねえんだよなあ」

「あ、そうだ、じゃあ、金太郎ってのはどうだ?」


「ははっ。なんだよ、それ」


「いいだろう? この名前。なんとなく、ずっと歴史に残りそうな呼び名じゃねえか」


「勝手に呼んどけ」

 金時は、寄せ合いの方に体を向きなおした。

「俺先行くからよ、竜ちゃんに早く来いって言っといてくれや」


「全く、もうよしてやれよ。寄せ合いのやつらみんな『太郎になんか勝てるわけねえ』ってまたわめき散らかすぞ?」


「いい服着てバカみたいな稽古してるやつらより何倍もマシって伝えとくからよ」

 そう言うと、金太郎はまた歩きだした。

「しかし、あちぃな……」


「今年の夏はまた一段と暑そうねぇ。野菜がよう育ちそうやわ」


「ああ! うるさいわ! 蝉どもが! 寝れねえよ!」


「そうだけんどもよ、魚は一晩で腐っちまうよ」


 あちこちの店、家から、夏の暑さにうろたえる話し声が聞こえてくる。


 そして、歩を進めていくうちにひらけた場所が見え始めた。

 騒がしさが加速する。

 興奮する声と全力の叫び声があたりに響き渡っている。


「いけ! そこだ! やれ!」


「よし! いいぞ! ああ! やっぱだめだ!」


 金時が【寄合】に到着した時、二名の男たちの激しい喧嘩が繰り広げられていた。

 数十人ほどの男たちが集まり、中央で戦う二人を見ている。

 その全員、金時が日常的に知っている顔ぶれであったが、唯一いまだ見かけたことがない一人の男がいた。それは、今中央でこぶしを交わしている、青い浴衣を着て、後ろで髪をまとめている少年だった。


 青い浴衣の少年が高い蹴りを繰り出す。

 すす汚れたような薄褐色の着物をまとう青年が身をのけぞらせてそれを避け、正拳突きを放つ。

 こぶしが頬に擦れるギリギリの距離で、まとめ髪の青年は斜め前に飛び込むように躱す。重く速い拳に紙を結う紐が触れ、紐がはじけると同時に長髪が宙に舞う。


 二人の躍動する肉体からしぶきのような汗が散る。

 周囲では大勢の【寄合よせあい】の参加者の男たちが、取り囲み、白熱する戦いに声を上げている。


 勢いよく倒れこむような形で上半身が派手に砂と小石にこすりつけられる寸前、地面に手をつき、脚を大きく広げ、大きく回転させる。

 旋回する必殺の蹴りをまともに食らうまいと、もう一人の青年は顔面直撃する寸前に、両腕でそれを防いだ。

 毎日のようなの鍛錬ともいえる【寄合】での喧嘩により鍛え抜かれた双腕は、大した肉体的損害はなかったが、この試合において決定的な一打となった。


「そこまで!」

 行司の判決の声がはらわたにまで響く。

 その場にいる全員が体がしびれるような圧を感じた。


「勝者、桃灼とうや!」

 その瞬間、二人の周囲から弾けるような歓声が沸き起こった。


「すげえ! この町二番目の恭介に勝った!」

 ガタイがいい男たちが青い浴衣の桃灼のもとへ集まり、肩を組んで話しかける。

「お前強いんだな!」


「そんなことないです。恭介さんが手加減してくれたんですよ」

 彼は落ち着いた様子で謙遜けんそんする。


「っ……はあはあ、ふうっ!」

 髪をかき上げて、恭介は汗を飛ばした。

 限界を超えそうになった呼吸を整えて桃灼に言葉をかける。

「いやー凄いな! お前。太郎に勝てるんじゃねえか?」


「おお! 確かに!」

 恭介の言葉を聞いた一部の男たちが盛り上がる。


「誰なんですか? その、太郎さんていうのは?」


「俺だ」

 遠巻きから見ていた金時は、自ら名乗り出た。

 決して腹に響くような大声ではない、でも大勢の喧騒の中に一筋で通る。

 男たちは一斉に声のほうへ振り向き、また沸いた。

「おお! 来た!」

「桃灼! ぶっ飛ばしてやれ!」

「やべぇぞこれ!」


「あらあら、またやってるの?」

「今日も元気ねえ、お金を欲しいくらいだわ」


 周りの家々から大きな歓声を聞きつけた人々が口々に言う。

 金太郎が彼女らの顔を見ると、毎日のように戦いに明け暮れている男たちにうんざりしつつも、その元気の良さにどこかまんざらでもなさそうな雰囲気がある。

 女性たちは何よりも楽しそうに騒ぐ男たちを、笑顔で遠くから見守っていた。

 今日もそうだ。


「ところで、あの子誰?」

「ここらへんじゃ見ない子だねぇ……」

「あら、ほら見て、太郎が来たわよ」


 金時はその端正な顔と落ち着いた雰囲気から、男たちのみならず街の女からも注目の的だった。


「さっきの恭介との闘い見させてもらった。手合わせしたい。いか?」

 金時の問いに少し動揺しつつ、桃灼は答えた。

「は、はい、是非……」


しかし、桃灼は大声が飛び交う寄合のなかでは聞き取られないような小声でぼそりと呟いた。

「なんでこの人達は初対面の人をいきなり殴れるんだ」

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三英雄の伝説 ruckynumber @0326sg9

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