第10話 ……マ、マジで?

 童貞を卒業すると、世界が変わって見える。


 いや、そんな大げさなことじゃないかもしれないけど。


 それでも、僕には……


「でさ~、昨日のドラマがさ~!」


「あの動画おもろくなかった~?」


「新作のリップがさ~」


 相変わらず、2年A組の教室は賑やかだ。


 陰キャでぼっちな僕は友達などいないから、ひっそりと教室に入って席に座る。


 その際、ひと際目立つ3人の女子たちの方に目を向けた。


 僕以外のみんなも注目をしている訳だけど。


 ふと、その内の1人、市野沢麗美いちのさわれいみが僕の方を見た。


 そして、ニコッとする。


 僕はドキッとしつつ。


 とっさに、視線を逸らしてしまう。


 すると、スマホが震えた。


『無視しないで』


 また顔を向けると、少しふくれ面になっていた。


 そうか、市野沢さん……麗美ちゃんはもう、僕の彼女なのか。


 あまり、実感は湧かないけど……


 ていうか、他の2人には僕らの関係をどう説明しようか……


 バレたら、きっと面倒なことになる。


 特に前島さん辺りは騒ぎまくって……


 もし、三大美女の一角を僕みたいな冴えない奴が落としたとみんなが知ったら……


 それこそ、とても面倒なことになる。


 だから、どうにかこうにか、僕と彼女の関係は隠さなければいけない。


 付き合わないという選択肢もあるが……もう既成事実が出来てしまったから。


 あんなことをしておきながら、やっぱり付き合えませんじゃ、あまりにも失礼だ。


 それに何だかんだ僕も……あんな飛び切り可愛い彼女が出来て、少し舞い上がっている。




      ◇




 放課後。


 僕が一足先に家に向かっていると、


「お~い、まーく~ん!」


 元気な前島さんの声が聞えた。


「今日もお邪魔するよ~ん♪」


 その背後には、いつも通り天音さんと……


「うふ」


 パチ、とウィンクをする麗美ちゃん。


 僕はドキドキが止まらない。


「どした?」


「い、いや、何でも」


「ほらほら、早くぅ~!」


 前島さんに背中を押されながら、僕らは家にたどり着いた。


「ふぅ~、ちゅかれた~。まーくん、ジュース!」


「私もお願いします」


「あー、はいはい」


 僕はせわしなく動く。


「私も手伝うわ」


 ふと、麗美ちゃんが言った。


「あ、良いよ。僕がやるから」


「遠慮しないで。真尋も疲れているでしょ?」


「あ、ありがとう」


 僕は照れながら言う。


「へぇ~、麗美ってば優しいじゃん。この前まで、下僕みたいに扱っていたのに」


「ちょっと、その言い方はやめてよ。あなた達も、もっと真尋を気遣いなさいよね」


「気遣っているよ~。まーくんは、いつになったら童貞を卒業するんだってね~」


 ギクリ、とする。


 チラと横の麗美ちゃんを見ると、


「むふふ」


 意味ありげにニヤニヤしていた。


 そして、2人から見えないのを良いことに、キッチンに立つ僕の背中に触れて来た。


 ふ、普通は逆なんじゃないかな~?


「れ、麗美ちゃん……」


「良いから、続けて。コップ出そうか?」


「あ、うん」


 僕らはヒソヒソ話をしながら、ジュースを用意する。


「はい、コップ」


「ど、どうも」


 僕はジュースを注ごうとする。


 その時……


「……ふっ」


「おひょっ!?」


 耳に息を吹きかけられた。


「へっ? 今の声まーくん?」


 前島さんが眉をひそめながら言う。


「い、いや、ちょっと……」


「そんなキモい声を出していないで、早くジュース持って来てよ~」


「は、はいはい」


 僕は返事をしつつ、となりの麗美ちゃんを見た。


「や、やめてよ」


「ごめん、つい」


 小さく舌を出す様は、正直に言ってチャーミングだ。


 元よりそこまで怒っていないけど。


 すっかり許してしまう。


 そして4人分のジュースを注いで、テーブルに運ぶ。


「はい、お待たせ」


「んっ、んっ……くぅ~、おいちい!」


「いただきます……うん、美味しい」


 前島さんと天音さんが言う。


 それぞれスマホをいじり、ノートにペンを走らせながら。


 そして、麗美ちゃんもジュースを飲む。


「そういえば、麗美。週末、彼氏とデートだったんしょ? どうだった?」


 またギクリ、としてしまう。


「あー、うん。実はさ……私、彼氏と別れたの」


「えっ、マジで!? 何があったの!?」


「ちょっと、ひどいことをされて……」


「ひどいこと? マジで?」


「私のことを調教するとか言って……」


「それは最低ですね。安っぽい男のプライドと言いますか」


「本当だよ~! 陸斗ってイケメンだけど、ちょっと性格悪い感じしてたもんな~!」


「うふふ、それくらいにしてあげて」


 そんな風に3人が喋っている間、僕はどこか居たたまれない気持ちになりながら、黙ってジュースを飲んでいた。




      ◇




「いやぁ~、今日もまーくんのお家は居心地が良かったなぁ」


 ゆかりがグッと背伸びをして言う。


 ご自慢の豊かなバストが強調されていた。


「ええ、そうですね。わたしもおかげで、勉強が捗りました」


「和沙たんはマジメだな~」


 とか言っていると、


「2人とも、ごめんなさい。私、ちょっと用事があるから」


「あれ、また?」


「うん、ちょっと……じゃあ、またね」


 麗美はそそくさと去って行く。


 いつもは大人びて落ち着いているはずの彼女。


 ゆかりは少し違和感を覚えた。


「……ごめん、和沙たん。あたしもちょっと用事」


「分かりました。では、また明日」


「りょっ」


 そして、和沙と別れたゆかりは、麗美の後を追った。


 まさか、とは思うけど……


「……えっ」


 何と、麗美は再び真尋の家の門をくぐっていた。


「ど、どういうこと……? あ、忘れ物かな?」


 何だか胸の内で冷や汗をかきつつ、自分に言い聞かせる。


 麗美が中に入ったことを確認すると、ゆかりは様子を伺いつつ、玄関ドアの前に立つ。


 おもむろにドアノブに触れると、カチャリと開く。


 閉め忘れたのか。


 ていうか、これって不法侵入かな?


 いや、まあ自分たちの仲だし、別に良いか……


「……もう、真尋。ずっと、ドキドキしっぱなしだったんだから♡」


 えっ?


「そ、それは僕のセリフだよ……麗美ちゃんが、イジワルをするから……」


「だって、真尋が可愛いから……ねえ、キスしよ?」


 な、何これ……


 ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ……♡


「……あんっ♡」


 すごく、嫌らしい音と声が聞こえる。


 いつから? まさか、あの2人が……


 けど思い返せば、少し前から違和感があった。


 あの2人の間に流れる空気感が……少し変わっていた。


 まさか、前の彼氏と別れて、今は真尋と……


「――ああああああああああああぁん!」


 ビクッとする。


「真尋すっごい……しゅきいいいいいぃ!」


 バタン、とドアを閉じた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 自然と動悸が激しくなっている。


 厚い脂肪に覆われながらも、自分の心臓の鼓動が確かに伝わって来た。


「……マ、マジで?」


 ゆかりはしばし、玄関ドアの前で愕然としていた。







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