第4話 若草色、アイボリーブラック
朝食に出した焼き魚を綺麗に平らげると、拓海は玄関に立った。扉の飾り窓から輪郭のはっきりした陽射しが差し込み、今年初の夏日を観測するだろうとニュースで耳にしたことを思い出す。
「もう、会うこともないだろうね」
「ずいぶん寂しいことを言うのね」
「嘘ついたって仕方がないから」
さざなみのような彼の言葉に釣られ、互いに「さよなら」と言って別れた。拓海の背中は擁壁に沿った下り坂をゆっくりと降りていき、やがて見えなくなった。
わたしは拓海を見送ったその足で近所の花屋に寄り、白百合を中央に据えた花束を買う。一昨日供えたばかりの花がまだ元気だろうけど、ひとりきりの家にいるよりはマシだと思った。
胸に湧いた苛立ちと虚無感の置きどころは、真夜中のタクシーに乗り込んだあの日からどこにも見つからない。ただ郷愁が無性に甘ったるい。
母のお墓までの道すがら、ユウレイカシの木陰にいつものおばあさんを見つける。湿った涼しさの風が通り抜け、樫の木は怪物のように両手を振り上げた。足元を木の葉の影が掠り、喰われる、と思った。
「お嬢さん?」
翳った足元に顔を上げると、裾広がりのワンピースが揺れていた。急な出来事に呆けていると、皺の刻まれた手がわたしの肩に触れる。
「顔色が良くないわね、こっちへいらっしゃい。座って」
手を引かれて木陰に腰を下ろす。太陽の音が消え、いるだけで息が整うような静けさが満ちていた。
「お嬢さん若いのに、お墓参りなんて偉いわね」
「他にすることもないので、」
仕事は、と聞かれなかったことに安堵しながら、抱えた膝の中から花束をそっと隣に置く。
「あなたは、いつもここにいるんですね」
「おばあちゃんは暇だからね、ただ気持ちのいい木陰の下でお迎えが来るのを待っているだけよ」
ジョークよジョーク、と付け足した含み笑いに合わせられず曖昧な表情を作ってしまう。
「でもあなたみたいな家族がいるなら、むこうへ行くのがちょっと惜しくなるわねぇ」
「そう、でしょうか」
胸の中で何かがうずいた。わたしの知らない怪物がうごめくような、押し流される予感がスカートで覆った膝の上に落ちる。
本当にそう、でしょうか。
「すぐに帰るつもりだったんです、」
そよりと頬を撫でる風の間に鋭い突風が混じる。若い葉が頭上から名残惜しむように落ちてきて、木陰と陽射しの間に落ちた。
「母が死んだことは悲しかった。でも家のことが片付いたら東京へ戻って、仕事して、時々母のことを思い出して、そうやって生きていくつもりだったんです」
つもりだった、と口にしてみると惨めさにも似た焦燥感が吹き出す。どこで違ってしまったんだろう。肩にかかるおばあさんの手の温度だけが柔らかい。
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