お姉ちゃんのホラ話

あさって

第1話 三郎の素人細工

「ちょっと、まゆみー? みかちゃん連れてきて~」

 二階からお母さんのくぐもった声がした。リビングの扉の向こうから大きな声で私達を呼んでいた。

「まゆみぃ、みかちゃーん? 康成おじさん達にご挨拶しなきゃだめでしょ~?」

 扉を開けたのか今度はクリアな声。私は不安になって玄関に座るお姉ちゃんの背中を叩いた。

「おねえちゃん、おかあさん呼んでるよ?」

「いいんだよあんなの。大人が騒いでるだけで楽しくないじゃん」

 5つも歳の離れた姉の座高は、就学前の私の身長と同じくらい。お姉ちゃんは靴紐をぎゅっと結ぶと立ち上がって振り向いた。

「みんな帰るまで、いつものとこで暇つぶそうよ」

 私の左右の手をそれぞれ握って、お姉ちゃんが言う。私は俯いて一歩も動けない。お母さんが呼んでるから戻らなきゃいけないと思った。それになにより。

「ごあいさつしないと。お小遣い、貰えない……」

 変身ピュアユニコーンパフュームリップ。リカちゃんのアイスクリーム屋さんセット。ミッキーのレゴ。自分のニンテンドーSwitch。

「そんなの、お母さんがもらっといてくれるよ。あとでお礼の電話すれば大丈夫」

 その一言に、私は目を輝かせた。

「ほんと?」

「本当本当」

 そんなこと世界の常識って感じで、お姉ちゃんは軽く言った。

『いいからいいから、恵美さんも座って座って』

『恵美さんこれね、うちで作ったゼリー。みかちゃんが好きでしょう?』

『毎年毎年ありがとうございます~、ぅわぁ、去年より沢山。ちょうど良いお皿あったかしら』

 二階のお母さんは、もう私達を呼んでいない。お姉ちゃんは私の手をゆるりと離して玄関の扉を開けた。

「行こ、新しいお話聞かせてあげる」

「――ッ、うん!」

 私は慌てて靴を履いて、お姉ちゃん追いかけた。強い日差しがクーラーに慣れた身体をじんわり温める。その感覚が気持ちいい。

 駐車場の前で待っていると、止めてある車の脇から自転車にまたがったお姉ちゃんが出てくる。私はいつものように自転車の後ろに飛び乗ってお姉ちゃんの背中にしがみついた。徐々に速度が上がる。まだ一人では感じられなかった風が全身を通り抜けていく。

 家から自転車で十分ほどのところに小さな神社があった。すっかり寂れていて常駐している神主さんもいない。その神社のお賽銭箱の前、階段になってるところに座って、私とお姉ちゃんはよくお喋りして過ごしていた。

「今日は昔話」

 この場所で、お姉ちゃんは沢山のお話を聞かせてくれた。本屋さんも、幼稚園の先生も知らないお話。

「むかーし、むかし、この辺りで本当にあったお話です」


***


 むかしむかし、三郎という名前の男がいました。三郎といっても一人っ子で、お父さんが二郎、おじいちゃんが一郎という名前だったので順番で三郎という名前でした。当然、祖父の父は零郎だし祖父の祖父はマイナス一郎でした。

 えっとそれで、三郎の悩みはとても貧乏なことでした。ご飯は一日一回しか食べられないし、服の替えもありません。そんな中、三郎が一番困っていたのは草鞋です。昔の靴のことね。どんなに大事に使ってもしばらくしたらボロボロになってしまって、新しいのを買わなければいけません。その度に三郎はご飯を買うお金を使って新しい草鞋を買っていました。

 そんなある日、ふと、三郎は思い立って自分で草鞋を作ってみました。出来上がった草鞋は見た目こそ悪いものの靴としての機能は充分でした。少しでも節約に成ればと三郎は手作りの草鞋で日々を過ごします。それからしばらくして、三郎は異変に気づきました。買った草鞋ならとっくに壊れてしまっている頃なのに、手作りの草鞋は全く傷んでいないのです。三郎は草鞋屋さんに怒鳴り込みました。

「俺みたいな素人が作った草鞋でも長く使えるのに、お前のとこのはすぐに駄目になってしまう。まさかとは思うが、不良品を売っているんじゃないか?」

 草鞋屋さんはビックリした顔をしてから、下を向きました。

「お気づきになられましたか……」

 震えて話し始めます。

「私達も商売です。そりゃあ最高の素材を用意して、私達職人が本気で作れば決して壊れない草鞋がつくれます。でも、そんなもの高価でとても売れません。仮に売れたとしてお金が入るのは一度きり。私達の店はたちまち潰れてしまい、家族は路頭に迷ってしまいます」

 お店の奥で障子の隙間から、痩せた女の人と三人の子供が三郎を見ていました。草鞋屋さんは上等な布の包みを三郎の前に置きました。

 その中身は、今まで想像もしたことがないようなピカピカの、上等な草鞋でした。

「私も家族を守らなければなりません。どうか、どうかお許しください」

 草鞋屋さんは深く、深く頭を下げました。


 もらった草鞋は三郎の足をピッタリと包みます。普通の草履とは比べものにならないほど歩きやすく、なんだか姿勢まで良くなった気がしました。

 背をピンと伸ばした帰り道、三郎と同じく貧しい人達と何度も何度もすれ違いました。誰もがボロボロの草鞋を履いて、俯いていました。三郎は空を見て目を閉じます。草鞋屋さんと、その家族、寂れたお店の風景が頭に浮かびます。

「どうにかならんものだろうか」

 三郎がそう呟いた時、ふわりと良い香りがしました。お味噌汁の匂いです。思わず目を開けると、前からお盆を持った女の人が歩いてきました。お盆にはお茶碗といくつかの小鉢が乗っていました。

 女の人は三郎の横を通り過ぎていきます。三郎が振り返って目で追うと、その人は粗末な長屋の戸を叩きました。すると長屋からおじいさんが出てきて、女の人からお盆を受け取りました。二人は少し話して、お互いにお辞儀しました。

「すまない、ちょっと聞いてもいいか?」

 なんとなく三郎は、長屋から戻ってきた女の人を呼び止めます。

「何故にあそこの老人に食事を届けてる? あの老人は貴方の家族か何かか?」

 女の人は最初キョトンとしましたが、すぐにニコリと笑いました。

「あの方は私達夫婦の恩人でいらっしゃいます。行き倒れていた私達を拾ってくださいました。そして、自分は歳で子もない、もう管理ができないと仰って、僅かなお金で農地と農具を貸してくださっているのです。おかげで私達は日々の糧を得ることができています。ですからせめてものお礼にと、こうして毎日お食事を―――」

「それだッ!!」

 女の人が話してるのを遮って、三郎は大きな声で言いました。女の人はビックリして『きゃあ』と悲鳴をあげますが、三郎は気にせずに、もらったばかりのピカピカの草鞋を脱ぐと女の人に押しつけました。

「これは礼だ。貴方のおかげでみんな助かる」

「はぁ……」

 三郎は困惑する女の人を置いて、裸足で駆けていきました。


「草鞋屋! 草鞋屋ぁあ!!」

「ひぇえ! また来たぁ…!! なんです?決して壊れない丈夫な草鞋をお渡ししたじゃないですか?これ以上ウチに何の用があるってんです!? もう勘弁し――」

「草鞋屋聞いてくれ! 俺と商売をしよう。新しい商売だ」

 狼狽していた草履屋さんでしたが、鬼気迫る三郎に思わず黙り込み息を呑みます。

 三郎は、ゆっくりと誇らしげに口を開きました。

「決して壊れない、丈夫な草履を、貸す商売だ」


***


「それからしばらくしたある日、三郎はピンと背筋を伸ばして道を歩いていました。そこに後ろから他の人々が並びかけます。同じようにまっすぐ背を伸ばして、次から次へと。みな、ピカピカの草鞋を履いていました。決して壊れない丈夫な草鞋を月額課金制でレンタルすることで、顧客は本来手の届かない高価な草鞋を格安で利用できるようになり、事業者は継続的な収入が見込めるようになりました。三郎の妙案によって人々のQOLは大きく向上し、みんな幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

 空を見上げてそこまで語ったお姉ちゃんは、少しの余韻を置いて私の顔を見た。

「面白かった?」

「うん! ……でも今の、ほんとうに、ほんとにあった話?」

「そうだよ。三郎が考えたこの商売の仕組みは、出来事の発端になった手作り草鞋からとって、『三郎の素人細工』縮めて『三素工サブスク』と呼ばれて世界中に広がったの」

 お姉ちゃんは一切の淀みなく、髪の結び方を教えてくれた時と同じように優しく丁寧に説明してくれた。

「美佳がアニメ見てるNetflixも、お母さん達が使ってるAMAZONも、みんな三郎の子孫にアイデア料を払ってるんだってさ。だから三郎の子孫は超大金持ちなの」

「へぇ~~!!!」

 私は目をぐりぐりに丸くして感動を示した。

「あとでお母さんに聞いてみな。よく勉強してるって褒められるよ」

「うんっ!!」

 帰り道、すっかり日が暮れて真っ暗になった道路を自転車のライトが照らして進む。私はお姉ちゃんの背中にぎゅっと身を寄せた。私は優しいお姉ちゃんが、あの神社でお姉ちゃんのお話を聞くことが、大好きだった。

 『だった』と過去形になってしまうのは大して深くもない理由がある。

「まゆみ!!! 今までどこに行ってたのよ!?」

「美佳がお外でたいってグズってたんだよ。しょうがないじゃん」

 鬼の形相で玄関に立ちはだかるお母さんに、お姉ちゃんは飄々と言った。お母さんがキッとこちらを見る。

「あ、あの、みか、勉強してて…三郎がNetflixを三素工でね、お金を沢山……」

 私はお母さんに許してもらおうと言い訳を試みたが、お母さんは心底疲れた様子で深く長い溜息をつくだけだった。

「―――あぁ、康成おじさん達が二人にお小遣いくださったけど、挨拶もできない子に渡すお金はありませんから。お母さんが預かっておきます」

「え?」

「じゃ、私もう寝るから。お休みなさい」

 優しいお姉ちゃんと、お姉ちゃんのお話が大好きだった。『だった』と過去形になってしまうのは、

「うあああぁぁぁぁああっ!! お姉ちゃんが嘘吐いた~~ッ!!!!!」

 お姉ちゃんがタチの悪い嘘つきだと気づいたからだ。

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