06話.[さっき聞いたぞ]


 最近は俺の席で篤希がよく寝るようになった。

 毎日夜遅くまで勉強をしているかららしいが、いまからそんなに頑張ってどうするんだってツッコミたくなるときがある。

 あとはそう、結局こうして外で寝てしまうならバランスが悪くなってよくないだろう。


「一正君、いちご牛乳あげる」

「お、それなら金を払うよ」

「ううん、ひとつ多く買っちゃっただけだから」


 仮にそれで貰ってしまうのもなんだかなあと。

 色々な場所を見て、最後にすやすや寝ている篤希の背が視界に入った。


「これ、篤希にあげてもいいか?」

「うん、それをどうしようと一正君の自由だから」

「あ、いや、やっぱりこれは飲ませてもらうわ」


 俺にくれたんだからやっぱり飲ませてもらうべきだ。

 篤希には普段世話になっているからということで後で買えばいい。

 ストローをぶっ刺して飲んでみたら冷たくて甘くて美味しかった。

 こういうのは中々買わないから新鮮でインパクトがある。


「なんか最近はこういうことが増えたね」

「ああ、そうだな」


 しかも来たと思ったら急に座って寝始めるからすごい話だった。

 大体二分ぐらいで反応しないぐらい夢の世界へと旅立つからどうしようもない。

 これもまた虹花のときみたいに放置はできないから残る羽目になるわけだが、こうして彼女が来てくれるから暇しないで済むという形だった。


「いいことでもあったのかな?」

「んー、どうなんだろうな」


 この前のあれが昔からしたかったことだと言うのなら、そうかもしれない。

 でも、それで目的を達成してしまったということでもあるからなあと。

 普通であれば俺のところに行く理由もなくなってしまったわけで。


「横田君」


 小さく揺らしたが反応することはなく。

 まあでもそれは当然だと言える。

 何故なら俺が思い切り揺らしても起きることはしないからだ。

 ちなみに、延々に寝続けるわけではなくて二時間になろうとしたところで必ず起きるようになっているから呆れ半分、面白い部分が半分というところだった。


「一正君が抱きしめようとしているよ」


 なにを言っているのかとため息をついていたら普通に起きた。

 きょろきょろ見回して、最後にこっちを見てくる横田君。


「もう二時間過ぎました?」

「いや、いまはまだ一時間というところだな」

「まあ、待たせてもあれですから帰りましょう」


 それこそあのとき彼が言ったことをぶつけたい。

 家で寝ればいいじゃないかとぶつけたい。

 そこは年上として我慢していたのだが、容赦ない虹花はそれをぶつけていた。

 物凄く複雑そうな顔で「もう言いませんから」とほとんど降参発言をしていた。


「最近、夜ふかししているの?」

「別にそこまでじゃないですけどね」

「じゃあなんでそこまで眠たいの?」

「……放課後なんですからいいじゃないですか」

「でも、一正君が可哀想」


 嫌というわけではないものの、自分の椅子に座れないのは困るところだった。

 だって他人の椅子に座ってぼうっとしているところに本人が来たら終わりだろ?

 別になにか変なことはしていなくても気持ち悪がられるかもしれないし……。

 せっかく教室の雰囲気はいいんだから少しでも悪くなるようなことをしたくなかった。

 で、そうなると立っているか、床に座っていることしかできないわけで。


「嫉妬、しているんですか?」

「え、なんで?」

「……なんでもないです」


 言葉では勝てないみたいだ。

 毎回こうして戦おうとしているが、彼女が冷静に返してしまって彼は黙る羽目になる。


「そういえば今日、夢で一正君と横田君が出てきたんだけど」

「そうなのか?」


 俺は知人や家族が夢に出てきたことはなかった。

 大抵は車のブレーキが効かなかったり、早く走れなかったりする夢ばかりだ。

 怪物に追われたりとか、怖い夢を見ること自体はないからこれからも見ないままで済むように願っている。


「うん、それで現実みたいに仲良くしていたんだけど」

「そうか、争っているとかじゃなくてよかったよ」

「でも、横田君が思い切り抱きしめてた」


 これは嘘をついているのか本当なのかがよく分からなかった。

 先程のあれがなければそうなのかと信じることができたわけだが。


「現実の横田君は抱きしめることができる?」

「できますけど?」

「じゃあやってみて」


 篤希の駄目なところは煽られると勢いだけで行動するところだな。

 彼はこっちの腕を掴んで引っ張るとそのままがばっと横からやってきた。

 虹花はそれを見て「合格」と。


「いつまでやってるの?」

「余裕ですから」

「うん、もう分かったよ?」


 煽られたからしているというのもありそうだが、なんか今回は本当に余裕そうだった。

 まあ、今回も平和なまま終わってなにより、というところだ。

 で、今日もまた虹花と別れてからのことだった。


「おいおい、そんなことをして楽しいのか?」

「楽しくはありません、けど、なんかこうしていたくなるんです」


 すっかり腕を掴んでいることも癖になってしまったようだ。

 もしかしたら、俺の勘違いでなければ本当は手を掴みたいのかもしれない。

 いやだってなんか露骨すぎるし、そういう感情がなければこんなことはしないだろう。


「別にいいけど、後悔しそうならやめておけよ?」

「しませんよ、俺が……こうしたいんですから」

「じゃあ家に行こう、流石に見られるのはあれだからな」


 実際は虹花の夢みたいなことも毎日していましたよ、というのが現実だった。

 俺はとにかくやりたいようにやらせておくだけだが。


「これがしたいなら寝ている時間はもったいなくないか?」

「……でも、やめたところでやらせてくれませんよね?」

「別に課題とかがなければ暇人だからいいけどな」


 困っていたところを助けただけでこうなってしまうのはちょろいとしか言えない。

 死ぬかもしれないという状況で助けてもらったなら無理はないのかもしれないが、そういうことでもなかったし、なにより俺らは同性同士だからなと内で呟く。


「ほら来い」

「……気持ち悪いとか思わないんですか?」

「思わないな」


 あるのは先程も言ったように後悔しそうならやめておけという気持ちだけだ。

 したいということなら自由にさせてやる。

 他の人間にぺらぺら話すような人間でもないから安心してくれていい。


「させてやるからあんまり夜ふかしするな」

「……実は三上さんに勝ちたくて頑張っていたんです」


 こう言ってはなんだが、虹花はレベルが違いすぎた。

 残念だが、仮に彼がいまから頑張っても追いつけることはないと思う。

 でも、そうやって努力しようとすることは悪いことじゃないからいちいち言ったりはしない。

 というか、本人が多分一番分かっているだろうからだ。


「正直、そうやってライバル視していなかったときの方が集中できていましたね」

「焦ると効率が悪くなるからな、たまには手を止めてゆっくりした方がいい」


 ちくりと言葉で刺されてしまう前に俺ぐらいになると駄目だけどと言っておいた。

 事実を突きつけられるのは結構堪えるからこうして自衛するしかない。

 自分で自分のことを少し悪く言う程度ならそんなにダメージを負わなくて済むから。


「……一回だけでいいので抱きしめてくれませんか?」

「結局篤希にいちご牛乳を買ってやらなかったからな」

「ん? いちご牛乳? なんの話――」


 これでもかってぐらい力を込めてしておいた。

 なにも言わせないようにしておく必要があったから。

 流石にこういうことをしているときに色々言われたくないんだ。

 まあでも、こうしてやれば黙らせることができるんだから必要はなかったのかもしれないがなと、依然としてしつつ内で呟いたのだった。




「なんか今日は嬉しそうだったよ」

「そうか」


 気になることはそこじゃない。

 やはり教室ではほとんどひとりでいるようだった。

 だからここはやっぱり、


「虹花、悪いんだけどいられるときは篤希といてやってほしい」


 これ、篤希と同級生である彼女を頼るしかない。

 彼女はこくりと小さく頷いて「分かった」と言ってくれた。

 ただ、これではしてもらうばかりで彼女にとってメリットがないわけで。


「そうしたらそうだな……あ、一週間に一回パフェを食べさせてやるよ」

「そういうのはいいよ。でも、行けるということなら一正君達となにかを食べに行きたい」

「そ、そうか」


 ここまでいい子に育ったのはやはり両親の影響か。

 厳しいばかりではないということなんだろう。

 俺がもし強制されまくる毎日だったら確実に歪んで不良みたいになっていた。

 もっとも、俺の両親も姉もそんなことはしないから考えても意味のないことだが。


「俺なら問題ないですよ。そもそも、ほとんど先輩や三上さんといるじゃないですか」

「いやー……」

「いいですから、こうしていられているだけで十分ですから」


 って、俺がこれから考えて発言をしたところで説得力がないぞ。

 だって俺の方が同級生に友達がいないという状態なわけだから。

 ……そこを突かれても嫌だったからこの話は終わらせて昼飯を食べることに。

 最近は教室ではなくて違う場所で食べるのが常のことだった。

 篤希が賑やかなところを避けたがっているのはあるし、虹花が食後に寝たいときに賑やかなところだと邪魔になるからというのはあるし。

 とにかく、主に後輩組の意見でこうなっていた。


「ここに座って食べる」

「俺が食べづらいんだけど……」

「大丈夫、量があるわけじゃないからすぐに終わるよ」


 俺が仮に兄だったとしたら不安になるような存在だった。

 こういうことを篤希以外の人間にしているところを想像するだけでなんか嫌な気持ちになる。

 まあこういう思考は間違えば危険だからあまりしないでおきたいわけだが、残念ながら時間を重ねれば重ねるほど大切な存在になっていくから難しい。


「あなたのご両親に怒られても知りませんよ」

「好きな人なら問題ない」

「ぶっ!? す、好゛き……なんですか?」


 やはり冷静に対応しきるということができない横田君だった。

 あくまで淡々と「うん、一正君のこと好きだよ」と答える虹花。


「でも、邪魔をするつもりはないから」

「な、なんの話だか……」

「抱きしめているの、この目で見たから」

「そりゃそうでしょうねっ、あなたの目の前でやったんですからっ」


 もう無理だと理解した方がいい。

 動じずに対応できる虹花には俺だって勝てないから。

 頭がいいなら、いや、いいからこそ上でなければ納得できないのかもしれない。


「よいしょ……っと、ごちそうさまでした」


 小さいのに中々いい動きをする。

 バスケなんかでは小さいのに俊敏に動いて活躍、なんてことになりそうだ。

 逆にスポーツ全般は苦手という可能性もあるが。


「もう戻るのか?」

「うん、邪魔したくないから。あ、だけど放課後は相手をしてほしい」

「分かった、今日も教室で待っているから来てくれ」

「うん、また後でね」


 ふぅ、嫉妬人に怒られる前にやめてくれてよかった。

 その嫉妬人は黙々と自分の弁当を食べることに専念しているが、なんでそうしているのかなんて聞かなくても分かってしまう。

 そうすれば残りの時間、ゆっくり自由にできるからだ。


「ごちそうさま」


 最初から慌てるようなことはなかったからいつでも構わなかった。

 ここなら滅多に人も来ないからいつものことぐらいはすることができるぞと構えていた自分。


「あ、今日はなしでいいです」

「そ、そうか」


 ……やっぱり同性相手になにやってたんだろうと我に返ってしまったのかもな。

 なんかこうなると普通に寂しかった。

 だってこれまでは気にせずに甘えてきていたんだぜ?

 俺はそれを拒むどころかカモーンぐらいの態度でいたというのに……。


「なんですかその顔……」

「……最近の若者は飽きるのが早いんだと思ってな」


 いいさ、後悔しそうならやめろと言ったのは俺だ。

 きっと冷静に考えてみて自分が変なことをしていたことに気づいたんだろう。

 年上としては決めたことを尊重してやらなければいけない。

 死ぬわけじゃないんだからこの距離感のままでだって別に……。


「まあいいさ、これまでの距離感でだって十分楽しかったんだからな」

「……勘違いしないでください」

「なにが?」

「……昼とかにやると午後の授業に集中できなくなるんですよ」

「そんな、乙女じゃないんだからさ」


 なんだいなんだい、そういう理由なら途端に可愛く見えてくるな……。

 これじゃあどっちがちょろいんだという話になってしまう。


「そうか、なんか安心できたよ」

「……それで安心ってあなたも結構やばくないですか?」

「今更な話だからな、俺は情けなくて年上らしくない人間だよ」


 救いな点は虹花にそういう場面を見られた回数が少ないということだ。

 言葉――発言の積み重ねで勝てないということは詰みみたいなものだから。

 淡々と指摘されたら発狂する自信があるからこれからもそうであってほしいと思う。


「ま、甘えたくなったらいつでも来い、俺が相手をしてやるから」


 決まったな、これは。

 こういうところで慌てないのは結構いいところだと思う。

 まだまだ姉や両親には負けるが、いずれはもっとどっしりと構えられるような人間になれればいいかなと。


「……やっぱりいましてもいいですか?」

「おう、ほら」


 両手を広げたらゆっくりしてきた。

 俺を抱きしめることで集中できるということならいくらでもすればいい。

 逆に集中できないということなら放課後まで待った方がいいかもしれないが。


「ありがとうございました」

「いや、言わなくていいぞ」

「はい、それでもそろそろ戻らないといけませんね」

「だな、午後も頑張るか」


 ゆっくりするのは放課後になってからでも遅くはない。

 なので、今日も特に問題にならないよう通常通りにやるだけだった。




「あなたが相川一正君、ですよね?」

「あ、はい、そうですけど……」


 公園でひとりのんびりしていたら若い女の人に話しかけられた。

 若いと言っても成人女性であることは見ているだけで分かるから余計に理由が見つからずに困惑するという流れになっていた。

 ただ、名字と名前を知っているということと、近づいて来ていることから虹花の母だと予想したが果たして。


「あ、私は虹花ちゃんの母です」


 虹花ちゃん、か。

 やはり厳しいだけじゃないということは確かなようだった。

 それにもし厳しいだけの家庭なら虹花がもっと荒れていてもおかしくはない。

 ……荒れている虹花を想像するだけで笑いそうになるぐらいだが頑張って抑えて。


「いきなりであれですけど、離れろ、そう言いたいわけですか?」

「え? いえ、お礼を言いたかったんです」

「お礼?」

「はい、あるときから虹花ちゃんが変わりましたから」


 それは出された条件を達成できたからではないだろうか?

 達成するために努力をしていたわけなんだから達成できたら嬉しいことだろう。


「三上さんと一緒にいるのは俺だけじゃないんですよ」

「そうなんですか?」

「はい、きっとその子の存在が三上さんにとって大きいと思います」


 強気には出られない人間だからなんだかんだ言いつつも付き合ってくれるような存在で。

 同級生で話せる存在がひとりでもいればそれはもう本当に心強いことだと思う。

 しかも困っていたら動こうとしてくれる人間だから余計にな。


「あっ」

「どうしました?」

「む、娘が……」


 どこだ? と見回してみたら何故か草むらの方からのしのしと虹花が歩いてきた。

 そのまま俺の横に座って自分の母親を見つめる。


「一正君、この人が私のお母さんだよ」

「お、おう、さっき聞いたぞ」


 俺はこのときになってこの虹花のせいだということが分かった。

 外出していた俺を探し回ったところで見つからない可能性の方が高いのに彼女の母はこうして俺のところに来ることができたからだ。


「なんでか分からないけど会いたがっていたから教えたんだ」

「よくここにいるって分かったな」

「だってお家のところで隠れていたから」

「変なことをしていないで普通に話してくれ……」

「分かった、今度からは気をつける」


 別に怖い家というわけじゃないぞっ。

 篤希も朝とかはインターホンを鳴らすこともしないから気になるところだった。

 とにかく、母親の前でいつも通りでいるのは不安だから気をつけようと決めて行動した。

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