第12話「ギャップはずるい」

「水、飲むか?」


 コクコク――!


 あまりにも悶えているので可哀想になった陽が尋ねると、真凛は一生懸命首を縦に振った。

 だから陽は真凛の水を目の前に置いてあげようとするが、真凛はそれよりも早く陽の近くにあったコップを手に取ってしまった。

 そして、グビグビと勢いよく飲んでしまう。


「…………」


 陽はその姿を見て固まってしまい、周りの男子生徒たちも愕然として真凛を見つめている。


 知らぬは本人ばかり。

 辛さが消えずさらなる水を求めて周りを見回した際に、真凛はようやく違和感に気が付いた。


「あへぇ……? にゃんで、ここにコップがありゅのでしゅか……?」


 真凛は舌がおかしくなってしまったのか、活舌悪くそう陽に尋ねた。

 体は小さく震えており、顔は真っ赤に染まって涙目になっている。

 この様子は辛さが原因なのか、それとも本当は自分がしてしまったことに気が付いているのか――おそらく、両方が原因だろう。


「…………」


 陽は真凛がしたことには何も言わず、本来の彼女のコップを手に取って飲み始めた。

 それによって更に周りは騒然とするが、実はこのコップにまだ真凛は手を付けていない。

 そのことを知っていたからこそ、陽は真凛のコップに口を付けることができたのだ。


「はじゃくりゃきゅん……」

「どうした? 水が足りないのなら注いで来るといい」


 恥ずかしそうに見つめてくる真凛に対し、陽は素っ気なくそう返した。

 それにより真凛はすぐに席を立って水を注ぎに行く。


 陽の意を汲んだのか、それとも辛さが我慢できなくなったのかはわからないが、陽はそんな真凛の後ろ姿を見つめながら小さく溜息を吐く。

 そして、嫉妬の視線を全身で受けながら箸でからあげを摘まみ、口にへと入れるのだった。


「からっ――」



          ◆



「かりゃかったでしゅ……」


 水を注いで戻ってきた真凛は、若干恨めしそうに涙目で陽の顔を見つめてきた。

 戻ってくるのが少し遅かったため、辛さが引くまで何度も水を飲んでいたのだろう。


 先程間接キスをしてしまったことに対しては、真凛もなかったことにしたようだ。


「そんな目を向けられても予め激辛というのは伝えていたし、見た目からも十分わかっていただろ?」

「しょうていしたかりゃしゃのしゅうばいかりゃかったでしゅ……」


 想定した辛さの数倍辛かった――その言葉を聞き流し、陽はパクパクとからあげやご飯を口に入れていく。

 真凛はその様子を信じられないものでも見るかのような目で見つめていた。


「どうした?」

「かりゃく、ないのでしゅか……?」

「いや、辛いぞ? その辛さは十分味わっただろ?」


 では、なんで水も飲まずにそんなにバクバクと食べられるのですか――と真凛はツッコミたくなるが、その言葉をグッと飲み込んだ。

 陽の様子を見るに、その質問を投げかけたところで理解できる言葉が返ってくるとは思えなかったからだ。


(舌と唇が痛いです……)


 真凛は自身のお弁当を食べながら、激辛の食べ物を食べた影響でまた涙目になる。

 すると、目の前で食べていた陽が急に椅子から立ち上がった。


「どうしゃれました?」

「ちょっと席を外す」


 陽は素っ気なく答えると、そのまま気だるそうに歩いて行った。


(おトイレですね)


 誤魔化すような素振りから、真凛は陽がどこに向かったのかを予測立てた。

 そして、男子なのに食事の席でちゃんと言葉を選んだことから、真凛の中では少しだけ陽の評価が上がる。


(意外と気遣いはできる人なのですよね)


 普段周りに冷たいけれど、実際はわかりづらくも周りに気を遣っている姿を何度か真凛は見かけたことがある。

 だから真凛の中で陽は、『ツンデレみたいな人』という印象だった。


 ――そんなことを考えながら食事を勧めていると、目の前にトンッと何かが置かれた。


 反射的に顔を上げると、陽が素っ気ない表情で真凛の顔を見下ろしている。


「これは?」

「ヨーグルトだ」

「それは見たらわかりましゅが……」


 真凛が聞きたかったのは、どうして真凛の目の前にヨーグルトを置いたのか、ということだった。


 しかし――陽のもう片方の手を見て、真凛は陽の意図を察した。


「俺のを買うついでに買ってきただけだ。奢りだからお金も取りはしない」


 陽はそう言うと、もう片方の手に握っていたヨーグルトの蓋を開けて食べ始めた。

 そんな陽の顔を真凛はジッと見つめる。


「なんだよ?」


 見られることを不快に感じた陽は不機嫌そうに真凛を睨むが、真凛は小さく首を横に振って笑顔で口を開いた。


「ありがとう……ごじゃいましゅ……」


 陽はそんな真凛の顔から視線を外し、黙ってパクパクとヨーグルトを食べ始める。

 そして真凛も同じようにしてヨーグルトを食べ始めるが、視線はずっと陽を見つめていた。


 真凛は知っている。

 陽は面倒くさがりに見えて、実は準備がいい男だということを。

 その陽が後からヨーグルトを買いに行くなどという手間なことをするはずがない。

 激辛のものを食べるのはわかっていたのだし、必要なら一緒に買っていたはずだ。


 それなのに今しがたわざわざ買いに行ったのは、真凛が辛さの後遺症に苦しんでいるとわかったからだろう。


 二つ買ったことや、ついでだと言ったこともただの照れ隠しでしかない。

 現に、陽はどこか居心地が悪そうにしている。


(ギャップ、ずるいですね……)


 この時ヨーグルトを食べる真凛の頬は緩みきっていたのだが、周りの生徒たちはそれが本当にヨーグルトによるものなのか、それとも目の前にいる男のせいなのか気になって食事どころではなくなるのだった。

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