第67話:ボクが、人と比べて変わってるって気づいたのは
「……ご、ごめん。ボクはいいよ……」
「ん? どうしてだ?」
「あ、……あの、ぼ、ボク、その……浴衣、きっと似合わないから! き、着方も分かんないし!」
さっきまでの楽しそうな表情が消え、ひどくこわばった表情で、ユウは首を振る。
「大丈夫だって。ほら、着方の実演もしてるし、教えてくれるんだってさ。せっかくの花火なんだし、気分盛り上げてこうぜ」
「げ、ゲンキはそうしたらいいんじゃないかな! ぼ、ぼ、ボクは、その――」
まるでお化け屋敷にいたときのような、泣き出しそうな、そんな顔をするユウに、ゲンキは面食らった。浴衣ひとつで、そんなに拒絶されるとは。
「……そう、か。ごめんな、無理に誘ったみたいで。もう言わねえよ」
ユウを悲しませたくなくて、ゲンキは無理に笑顔を作る。
「いや、まあ、たかが浴衣だしな。気分もなにもねえよ。慣れない格好だと、転んでケガしたりするかもしれないしな」
そう言って、ゲンキは自分のひざをさすってみせる。
笑い飛ばした、そのつもりだった。
けれどそれは、ユウにとって辛い記憶を引っ張り出させてしまったらしい。
ふるふると顔を横に振って、ひどく、顔を歪めた。
「……ごめんね? ゲンキ、ごめんね?」
「だから、ユウが謝ることじゃねえって」
イベント用の公園の隅で、ゲンキとユウはベンチに座っていた。
ゲンキは買ってきたたい焼きの袋を持ったまま、にぎやかな会場を見つめている。
ユウは、ずっとうつむいたままだ。
ゲンキは、無理に聞こうとは思わなかった。
ただ、ユウが落ち着いたら、あとはユウに任せようと思っていた。
感情をコントロールできるなら花火を見ればいい、できないなら帰る。それだけだ。
ユウが悲しむようなことを強行する方が、ゲンキは嫌だった。
「……ボク、ね?」
ユウは、ともすれば喧騒にかき消されそうな、か細い声で話し始めた。
「……ボク、お父さんのこと、好きだったんだ」
ユウは母子家庭だ。兄弟もいない。ユウはそれを口にしたことはなかったが、ゲンキもその点については察していた。
「ボク、お父さんに憧れてた。消防士でね? かっこよかったんだ」
ところが街で火災があったとき、十分な対策を取っていたはずだったにもかかわらず、火に巻き込まれて殉職。ゲンキもおぼろげながら覚えている、ビル火災だった。
「お父さん、最期まで立派だったんだって。最後は男の子を助けて、窓から放り投げたらしいんだ。その子は助かったんだけど、お父さんは、火に呑まれちゃった――」
父のような、人の痛みを知り、人のために尽くせる、そんな心の強い人になってほしい――母親にそう聞かされて育ったユウ。いつしかユウは、父のような立派な人になるのだと、思うようになった。
「ボク、小さい頃は気がついていなかったんだ。でも――」
初めて違和感を覚えたのは、女の子を好きになったときだった。
はじめは友達として、その女の子とよく遊んでいた。
いつしか、その女の子のことが好きだと思うようになった。
始めはその感情がよく分からなかったユウだが、その女の子がいくつも持っていた分厚い漫画雑誌を読んで、それを、恋だと理解した。
「ボク、自分の恋を実らせたかった。その子にふさわしいオトコノコにならなきゃって、思うようになったんだ」
当時のユウは、漫画で覚えた「オレ」を名乗り、カッコいいと思った男の子のキャラクターの服装を真似たりして、その好きになった女の子にふさわしい自分になろうとした。
「お母さんは、おどろいてたみたい。でも、ボクがやりたいっていうことを、止めようとはしなかった。別に恨んだりとか、そんなことはないんだよ? ボクのことを大事に想ってくれる、すてきなお母さんだもん」
すぐに自分になじみ、一緒に遊ぶ男友達も増えたが、肝心の女の子からはいつのまにか、距離を置かれてしまったという。
「気がついた時はね? ボク、その子と、友達じゃなくなってた。その頃は、なんでなのかよく分からなかったんだ。よく分かんないまま進級して、クラスも変わって。そしたら、いつのまにかその子、転校しちゃってて……」
とつとつと語るユウの目は、前を見ているようで、どこも見ていない目だった。
「ただ、ね? ボクが、人と比べて変わってるって気づいたのは、小学校の四年生の時だったんだ」
プールの時間が苦痛でならなかったという。
ある時から、腹痛やら頭痛やらを理由に休み始め、以来、一度もプールの授業には出なくなったと聞いて、ゲンキは、ユウが体育の授業で一度もプールに入らなかったことに気付く。
「でもね、もうボク、そのころにはもう、どうしようもなかったんだ。ボクはもう、
ユウは、肩を震わせた。
「でも、中学の制服は男女で決まってて。ボク、ほんとうに苦痛だったんだ。だから担任の先生と相談して、お母さんもなんども掛け合ってくれた。それで、一日中ずっとジャージを着てた。みんなから変なやつって言われたし、いじめられることもあったけど、どうしても制服が着れなかったんだ」
絞り出すように、かすれた声で、なおもユウは続けようとする。
ゲンキはそれを遮ろうとした。辛そうなユウを、見ていられなくて。
「……ユウ、もういい。分かった。それ以上、言わなくていい。辛いことを吐き出すことがいいことばかりだとは、俺は思わない。お前の過去がどうだろうが、俺は今のお前のことを、いいと思った。――好きになったんだ。それ以上は――」
しかし、ユウは首を振った。
「やさしいね、ゲンキは。――でもね、ゲンキだから、聞いてほしいんだ。ボクが本当に好きになって、ボクを本当に好きになってくれた、ゲンキだから」
そう言って、ユウはまた前を向く。
しかし、そっとゲンキの肩に、身を寄せるようにして。
「今の高校を選んだのも、ボクが、ボクらしく生きられるって思ったからなんだ。ほら、ウチの高校、制服が
言われて、ゲンキは思い出す。
名簿は男女混合、体育だって男女で同じことを学習する。
身体検査すら、一人一人を部屋に呼んで行うことで、男女で分けたりしない。
性学習に至っては、性器の構造、妊娠や出産の仕組み、赤ちゃんの世話の仕方、避妊の種類と重要性、コンドームの付け方、各種性病についてなど、男女の別なく一緒の教室で一緒に学ぶ。
座学だけでなく、必要に応じて模擬演習まで一緒にするのだ。
「ただ、やっぱりボク、一年の頃はトモダチが作れなかった。ひとがこわかったんだ。――そんなときだったんだよ、ゲンキ。ボクが、ゲンキに、助けられたのは」
「一年の頃に?」
「ふふ、ゲンキは覚えていないみたいだけどね?」
それは昨年の夏休み明け、朝の通学時。
ユウはいつも通り、いつもの場所で電車に揺られていた。
そのときだった。
「おしりを触られたんだ。痴漢ってやつ」
最初は偶然だと思い、こんなことぐらいでと耐えていたが、そのうち、明らかになでさするようになった。
「マホがスカートからズボンにした理由、わかるよ。……あれ、こわいんだ、ものすごく」
「俺だったら胸倉つかんで、相手のつま先にかかとを思い切り叩きつけてるところだな。どうして抵抗できなかったんだ?」
「だって――知らない人が、どこから触ってるのかもよくわからない手が、自分のおしりをさわってるんだよ? こわくてこわくて、たまらなかったんだ」
ズボンの上から撫でさする手の動きが、内股に入り込んできたときの恐怖――ユウはそれを、目をぎゅっと閉じて続けた。
「どれだけ、やめてって言おうとしたか分かんなかった。もうやめるかもしれない、もうすぐやめるかもしれない――けど、止まらなかった。お尻の間に指が滑って来たとき、ほんとに、こわくて泣きそうだった」
ゲンキの左手を握るユウの指が、震えている。
けれど、ユウはその手をきゅっと握りしめた。
「そんなときだったんだよ? ゲンキが、助けてくれたのは」
『オイおっさん。オトコの尻はそんなに触り心地がいいかよ』
ゲンキは、そんなことを言った覚えなど無い。まして、停車してドアが開いたことをいいことに突き飛ばし、ユウの手を引っ張って、逃げるスーツの男を追いかけようとしたことなど。
「……そんなこと、あったっけ?」
「あったよ? ボク、すごくうれしくて。日付もきちんと覚えてるよ?」
その日は休み明けの確認テストの返却日で、実に笑える点数を取ったゲンキ。
そう、ゲンキにとっては、その日のうちに60点を取れるまで延々と再テストを続けさせられた地獄の補習があった日だったのだ。
「……すっかり忘れてたよ。そんなこともあったっけか」
「お母さんが言ってたでしょ? あれからボク、ずっとゲンキのこと、見てたんだ。陸上部で頑張ってるのも、体育祭のクラス代表リレーのアンカーとして走ってたのも、ずっと見てたんだよ?」
「ストーカーかよ」
ゲンキは笑いながら突っ込んでみせたが、ユウは真顔で返した。
「そう言われても不思議じゃないかもしれない。それくらい、ボク、ゲンキのことを好きになったんだ。だからボク、ゲンキと一緒のクラスになれて、ホントに嬉しかったんだよ?」
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