第66話:ゲンキが可愛いって言ってくれるから
「ああ、怖かった!」
ユウは怖かったといいながら、ゲンキの腕に自分の腕をからめて、ケロッとしてソフトクリームをなめている。
今朝までは、手をつなぐまでが精一杯だったというのに――スーパーで、ドキドキしながら手をつないだことを思い出す。
まるで、お化け屋敷で散々しがみついたことがいい予行練習になったとでも言いたげに、ごく自然に肩を寄せ、腕をからめるユウに、ゲンキはどうにも形容しがたい感情を覚える。
だが、お化け屋敷の中で絡め合った舌の感触は、ゲンキにとって、あまりにも鮮烈すぎた。あれが大人のキスという奴だろうか。
本当に強烈な体験だった。
暗く、お互いの顔も分からない中で、唇が触れ合い、舌が絡み合うかすかな音が、いやに耳に大きく感じられていた、あのとき。
カップルが通るたびに、見つかりはしないかという焦りと、けれどそういう時になるとかえって舌を差し込んでくるユウに、どうしようもなく高ぶっていたのもまた、事実だ。
▲ △ ▲ △ ▲
「ふふ……ゲンキ、おっきくなってるね?」
ゲンキの上で、カップルが二組通過するのを、キスと共にやり過ごしたユウは、いたずらっぽく笑ってみせた。
それを言うならどうしてユウは大きくなってないんだ、てかどこに付いてんだお前のブツは――そう問い返したかったが、なんだかセルフコントロールの精度で負けを認めるみたいで、結局ゲンキは言い出せなかった。
「それより、お前、ひょっとして隠れぽっちゃり?」
「……ど、どういう意味?」
「だってお前――」
ゲンキが言いかけたとき、カップル叫び声と足跡が近づいてきた。
とりあえず、いつまでもこうしているわけにはいかないと、ゲンキは気合を入れてユウごと体を起こす。
たまたま通り過ぎようとしていた三組目のカップルは、そんなゲンキたちを見てアトラクションの一つと思ったらしく、すさまじい悲鳴を上げてゲンキたちの前を駆け抜け、そして曲がったところでさらに泣き叫ぶような悲鳴を上げて逃げていったようだった。
身を起こしたゲンキの、その腰の上に乗ったまま、ユウは首を傾げた。
「……ボクたち、お化けのひとつ、って思われたのかな?」
「多分な」
「……ふふ、こんなにかっこいい陸上部員と、可愛いマネジャーのことを、怖いって思ったってこと?」
「自分で可愛いって言うなよ」
「ゲンキが可愛いって言ってくれるから、ボクも言ってるだけだよ?」
「可愛いって言っていいのは、俺だけだ」
きょとんとして首をかしげていたユウだったが、小さく笑うと、そっとゲンキの顔に、顔を近づける。
「ボクも、ゲンキになら、可愛いって言われるの、うれしいよ?」
そっと、もう一度軽く重ねられた唇は、少しひんやりとして、しっとりと濡れていた。
▼ ▽ ▼ ▽ ▼
あのときのことを思い出すと、またしても股間が元気になりかねない。
ユウをまともに見ていられず、ゲンキはソフトクリームをまっすぐ見てがつがつと口の中に押し込むと、残りのコーンを一息に口に放り込んだ。
「ゲンキ、ほんとに食べるのが早いね?」
「ユウが遅いんだよ。ほら、垂れてるぞ?」
「え? ――あ、ほんとだ!」
垂れてきていたクリームをぺろりとなめたユウの鼻に、クリームがつく。
ゲンキは笑いながら、ティッシュで鼻をふいてやった。
「……ねえ、ゲンキ。ゲンキはもう、食べちゃったでしょ? ボクのぶん、少し、あげようか? ボクにはちょっと、多すぎて……」
「いいのか? んじゃ、遠慮なく」
まだうず高くらせんを描いていたそれを、ぱくりと半分くらい、ひと口で頬張ってしまうゲンキに、ユウが目を丸くする。
「ふわあ……。ゲンキの口、ほんとにおっきいね?」
「だから、ユウが小さいんだって」
「そんなことないもん、ふつうだよ」
そう言いつつ、ユウは改めてゲンキが作った断面をまじまじと見て、そして、恐る恐るといった様子で、そこをなめる。
「……えへへ、間接キス……だよね?」
ユウがそうやって上目遣いに照れてみせると、ゲンキのほうも、わけもなく胸が高鳴ってくるのを自覚してしまう。
ソラタとドリンクの回し飲みをしたりパンを分け合ったりするのは普通にできるのに。まして、ユウとの間では、いまさっき、抱擁と、熱いキスをかわしたばかりだというのに。
――やっぱり、俺にとってユウは特別な存在、ってことなんだろうな。
にこにこと左腕にぶら下がるユウを見て、ゲンキはなんだか、ひどく自分が周囲に対して優越した存在に思えてきてならなかった。
ユウという、この世で最も素晴らしい宝と出会えたという、優越感。
お化け屋敷のあと、屋台を冷やかしたり買い食いをしてみたり、二人で歩き回っているうちに、いつのまにかネオンの輝きが感じられる程度には薄暗くなっていた。
「ねえ、ゲンキ。今夜、花火大会だよね?」
「……そうだっけ?」
「そうだよ!」
そう言って、ポスターを指差す。
「ほら、見て?」
ユウが指差すポスターには、花火をバックにグラビアアイドルとおぼしき女性が、浴衣姿でこちらに向かって微笑んでいた。
「へえ……。『日本の文化を、日本の文化で楽しみましょう』? 浴衣、レンタルしてくれるのか」
ゲンキも、鮮やかなキャッチコピーに頬が緩む。
「そっか、どうりで――」
浴衣姿の男性、女性が増えてきたはずだ――ゲンキは一人納得する。
レンタルの浴衣には襟に商工会議所の名が刺繍されていた。男性用の浴衣は基本的に暗色系のシックなものばかりだったが、女性の方はじつに華やかで、商工会議所の極太明朝の刺繍がどこか無粋に見えてしまったくらいだった。
気になる貸出料も
ちゃんと着替えコーナーも確保してあった。
「ユウ、浴衣、着てみないか?」
「……え? ゆ、かた……?」
「ああ、500円で借りれるんだってさ。せっかくだし、二人とも浴衣で――」
ユウの方を見たその瞬間、ゲンキは、ユウが酷く顔をこわばらせていることに気づいた。
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