第64話:なんだってシてあげる、ゲンキがボクに望むなら

「ゲンキ、大根のかつらき、できる?」

「カツラムキ?」

「えっと、大根の表面に包丁を当てて、薄く削って皮を剥くこと」

皮むき・・・があればできるぞ」

「……ええと、ピーラーはどこかな?」


「ゲンキ、卵割れる?」

「バカにするな、それくらい簡単だ」

「握りつぶすんじゃないからね? 綺麗に割って、中身を取り出すんだよ?」

「それはユウがやってくれ」


「ゲンキ、お醤油ある?」

「おう、あるぞ。多分、どっかに」

「……えっと、みつけたけど、一升瓶だね。なにか、小分けにしたものってある?」

「なんでそんなもんがいるんだ? お袋はいっつも瓶の口を親指でふさいで、いい感じに鍋にぶちまけてるぞ?」

「ゲンキのお母さんだもんね、ワイルドだねー」


「ゲンキ、卵、混ぜれた?」

「おう、見ろ、ばっちりだ」

「……ええと、三割くらい減っちゃってるね? そっか、飛び散っちゃったかー」


「ゲンキ、ご飯って、まだ炊けてないの?」

「スイッチは入れたぞ」

「……六時間後の予約になってるね。今から早炊きするしかないかー」


「ゲンキ、取り皿、用意できた?」

「任せろ、テーブルにもう置いてある」

「……大皿しかないんだけど?」

「え? 小さい皿なんかにどうやって盛りつけるんだ?」

「……そっか、ゲンキのおうちは大皿から直接、自由にとって食べるんだね」


 ユウとユウの母親がキッチンに立っていたときにはすさまじいスピードで料理が出来上がっていったものだが、ユウとゲンキの凸凹コンビでは、何をするにも連携がうまくいかない。炊飯ひとつとってみても、だ。

 ゲンキが、弟から「兄ちゃん、邪魔してんじゃねえよ!」と言われてしまったくらいに。


 けれど、ユウは実に楽しげにくるくると動いていた。いない方が絶対にスムーズ、妨害と言ってもよかったかもしれない数々のゲンキの所作そのものを、どこか楽しんでいるようだった。

 むしろユウは、そんなゲンキに辛抱強く付き合い、仕事を割り当て、動かすことに楽しみを見出している節さえ見られた。




「ねえ、ゲンキ」

「あ?」

「楽しかったね?」


 三角巾を取りながら、ユウがにこにことゲンキに話しかける。

 ゲンキは食品庫パントリーの脚立に腰掛けながら、大きなため息をついた。


「楽しかねえよ、もうヘトヘトだ……動きたくねえ」

「ふふ、これから食べるのに?」

「ユウ、お前が食わせてくれ……」

「ボクは構わないっていうか、むしろ喜んで膝枕であーんしてあげるけど、家族のみんなの前で、そんなことしていいの?」


 満面の笑顔のユウにそう返されて、ゲンキは身を起こした。


「……ユウの膝枕は、また今度、二人っきりの時な?」

「させてくれるなら、ボク、いつでもしてあげるから」


 くすくすと笑うユウに、ゲンキは再びため息をつく。


「……なんか、ユウ、お前強くなったな?」

「だって、ゲンキがボクを好きでいてくれるんだもん。なんだってできるよ?」

「なんだってできるのか? ホントだろうな?」


 少し意地悪な笑みを浮かべてみせたゲンキに、ユウは目を細めた。

 ここはパントリー。リビングからは死角になっていることを、ユウは理解していた。


 すうっと薄く笑みを浮かべたユウは、そっと、ゲンキに身を寄せる。


「できるよ? なんだってシてあげる、ゲンキがボクに望むなら」


 そのしなやかな指を、ゲンキのそこ・・にそっと這わせながら。


「――どんなことだって、ね……?」

「お、おい、ユウ、そこ・・は――む……」




「おい! 唐揚げばっか食うんじゃねえ!」

「いいじゃん! 兄ちゃんはもう食ったことあるんだろ! それより兄ちゃんのハンバーグ、どう見たってこっちのより倍くらいおっきいじゃん! ちょっとくれよ!」

「ユウが俺に作ってくれたんだからいいんだよ!」

「ゲンキ、うるせえぞ。いいじゃねえか唐揚げの一つや二つ。お前なんか、また作ってもらえりゃ食えるんだからさ」

「そういう兄貴は一人で大学芋を半分以上食いやがって! 糖尿病で死にくされ!」


 ぎゃあぎゃあと兄弟で骨肉の争いをしているその隣で、ゲンキの父親が静かに箸を動かしては、感慨深げにいちいちうなずきながらコメントをする。


「……いろいろと美味しくて迷うが、父さんは、やっぱりこの肉じゃがが気に入ったな。薄味だが味がよくしみていておいしい。母さんはどうだ?」

「あたしゃこのナムルだね! これ、小松菜ともやし、にんじんと大根だね? 使ってるのはウチの醤油とゴマ油とお出汁だし、ゴマと鷹の爪……あとは何かねえ。ユウちゃん、ほかに何を使ってこのお味を出したのか、教えてくれる?」




 ゲンキが、口いっぱいにハンバーグを堪能していた時だった。


「ねえ、ゲンキ……?」


 一度声をかけてきたユウだったが、しかしゲンキの口元を見て、言いかけた言葉を飲み込んでしまった。

 何かを言いたげだったことには気がついた。けれどユウはそのまま、どこか自分たちの家族を伺うような様子で、食も進んでいない様子だった。

 それがなんだか寂し気に見えて、ゲンキは口の中がまだ片付かぬままにユウに問いかけた。


ユウ、にか呼んか?」

「……え?」


 ユウはゲンキを見上げ、そして、その口にいまだにものが詰まっていることに気づいたらしく、苦笑いをしてから、両手の人差し指で、小さくバツを示してみせた。


「……ゲンキ、お行儀が悪いよ? もう、これだからオトコノゲンキは――」


 そう言うと、ポケットからティッシュを取り出して、ゲンキの口の周りに付着したソースを拭く。


「あ、わりぃ」

「ねえ、ゲンキ……。ゲンキのおうちって、いつも、こんな感じなの……?」

「こんな感じって?」

「なんか、すごく、戦いみたいに見えるから」

「んー……? いつもこんな感じだけど」


 ゲンキの答えに、ユウは小さく、笑った。


「そっか……。きょうだいって、こんな感じなんだね……」

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