第62話︰好きな人を好きって胸を張れる生き方を、ボクも

「びっくりしたよなぁ」

「私は想像ついてたけどね」


 神妙な顔で言ったソラタに対して、マホがしたり顔で答える。


「何で分かったんだよ」

「そんなの考えればわかるでしょ? だって『SOGIEソジー』の話をしたの、宇照先生ウテちゃんだよ?」

「だって……担任がそういう人・・・・・だったなんて、普通思わねえじゃん」

「なに言ってんの。好きな人を好きって言える。体の性別にとらわれずに自分は自分って言える。自分の好きな格好を選べる。そういう生き方ができるっていうのを、先生が自分で示してみせたってことでしょ? カッコいいじゃん!」


 興奮するマホに、ソラタが、言いにくそうに言う。


「先生って公務員だろ? ひとにモノ教える立場なら、普通、ノーマルな人間だって思うじゃん?」

「私たちはソラタの言うノーマルなんだからいいじゃん。アンタ、幸せでしょ? 先生の幸せも認めてあげなよ!」

「……え、オレ、幸せなの?」

「ちょっと、そっち? アンタ、アタシのこと世界一イイ女って言ったじゃん! だったらアンタ、アンタの幸せは義務!」


 マホに首を絞められてゆすぶられるソラタに、ゲンキは苦笑いしながら言う。


「ソラタ、普通・・とかノーマル・・・・とか、簡単に言うなよ。一人一人に、その人らしさってのがあるんだからさ」

「い、いやゲンキ、だからってさあ……」

その・・ひと・・らしく・・・生きる、それを認めるってとても大事なことだと思うぞ?」

「……だって、女が、女と、だぜ?」

「アンタ、まだ言うわけ! 担任の幸せ祝福しないで、クラスメートが務まるっていうの?」

「あええええ」


 幸せそうな二人を前に、ゲンキはちらと、隣に目を移す。

 微笑むユウを見て、ゲンキは続けた。


「俺は先生が幸せになれれば、それでいいと思う。な、ユウ?」

「ボクもゲンキと同じだよ。好きな人を好きって胸を張れる生き方を、ボクもしたい」


 宇照うてる先生が結婚の発表をしたのは、夏休みに入る前日、最後の学活のさらに最後の5分間だった。

 先生は結婚相手を写真で見せてくれた。

 女性だった。ただ、格好は男性で、まるで宝塚の男性役の人が抜け出してきたような感じだった。


 もうすぐ、日本でも同性婚が認められる。

 それが執行されるその日を記念日として、婚姻届を提出するそうだ。


「ゲンキはびっくりしなかったのか?」

「そりゃびっくりしたさ」

「だろ? なんでそんな冷静に――」


 ソラタが首をかしげる。

 ゲンキは、ちらと、好きな人の方を見た。

 ずっとゲンキを見ていたのだろうか、目が合い、微笑んで小さく手を振ってくる。

 それを見て、視線をソラタに戻すと、ふっと笑った。


「俺だっていろいろあったんだよ」

「カッコつけてんじゃねえって!」

「いいだろべつに。結婚ってのは好き合ったひと同士が、ずっと好き合っていく誓いを結ぶ儀式だって、宇照先生ウテちゃんも言ってただろ? だったら、それで問題ナッシング、それでいいじゃん」

「そうよ、何か問題ある?」


 ゲンキの言葉に、マホも大きくうなずいて同意する。


宇照先生ウテちゃんが幸せ、それが一番大事なことだよ!」

「だよな」

「だよね」


 マホに同意して笑い合うゲンキとユウに、ソラタが恨めしそうに言う。


「ゲンキは変わったよな。そういうの、めんどくさいって言うと思ってたのに」

「……だから、いろいろあったんだよ」


 ゲンキは笑いながら、ソラタに答えた。


「とにかくさ、明日から夏休みだ。しばらく会わないんだし、今は俺らの担任の幸せを祝ってやろうぜ」


 その時だった。


「……馬鹿じゃねえの? 女同士で結婚したってガキできねえじゃん。そんなのいちいち許してたら人類が滅びるってーの。これだから脳みそお花畑なヤツらはヨォ?」


 心底馬鹿にしたようなことを言ってみせたのは、奮越ふるこしだった。その目は、ゲンキをまっすぐにらみつけている。


「なんだよ奮越ふるこし。お前まだ懲りてねえんだな?」


 ソラタが、敵意をむき出しにして立ち上がろうとした。マホがその腕をつかんで抑える。


「へっ、タマ蹴られてるうちにタマ無しの飼い犬になったのかよ、ダセェ」


 奮越ふるこしが、相変わらず前の席に足を投げ出しながらふんぞり返ってみせる。


「なにが好き合った、だ。ガキができねえ結婚しかできねえヤツらなんて、人類のクズだクズ。そんなヤツらが増えたら、マジで人類滅亡だっての。そんなことも分からねえのか、テメェらは」


 だが、それに同意する者はいない。数日前まで、中出なかいでをはじめとした取り巻きが真っ先に同意していたはずなのだが、中出なかいでたちはすでに別のグループを作っているようだった。


 ゲンキは、隣のユウが身を固くしたのが分かった。そっとその手を握ると、微笑んでみせる。ユウの表情がすこし柔らかくなったのを見て、ゲンキは体をひねった。


「だから、なんだ?」


 ゲンキは、すこし、憐れむような目で奮越ふるこしを見下ろした。


「あ゛?」

奮越ふるこし、今のお前にカノジョがいるかはどうか知らないけどな。同性結婚が始まったら、お前、男と結婚したくなるのか?」


 ゲンキは言葉を選んだつもりだったが、奮越ふるこしは瞬時に立ち上がった。


「あ゛あ゛!? てめ、ケンカ売ってんのか! オレをテメェと一緒にすんじゃねえ、ホモ野郎が! 殺すぞ!?」

「だったらいいだろう? お前は女を好きになる、それで」

「だから何だってんだ、スカしてんじゃねえぞクソが!」


 口をひん曲げて威嚇してくる奮越ふるこしに、ゲンキは努めて冷静に続けた。


「憲法や法律がどうあろうと、別に国が何かを強制するわけじゃないだろ。これまで通り国は結婚する二人を認定するだけだ。ただ、これまでは異性婚のみだったのを、今後は同性婚も認めるようになるというだけだ」

「……は!? ワケわかんねえこと言ってんじゃねえ、日本語しゃべれや殺すぞ!?」


 日本語だろ――ソラタがこめかみを押さえてため息をつく。

 ゲンキは改めて、言葉を砕いて辛抱強く話しかけた。


「べつに法律がどうなったって、お前は女の方がいいんだろ?」

「当たり前だろが、テメェみてぇなホモと一緒にすんな殺すぞ!?」

「誰かが誰かを好きになる。その相手は異性かもしれないし、同性かもしれない。先生は女性同士だった。お前はいずれ、カノジョを作るかもしれない。国はどちらも認める。それだけだ」

「最初からそう言えやホモ野郎、偉そうなしゃべり方すんな殺すぞ!?」

「分かったんなら十分だ。LGBTQのひとたちにも、本当に好きなひととの結婚のチャンスが与えられるってだけだ。もちろん、お前にもな」

「だからホモと一緒にすんなって言ってんだろテメェ、殺すぞ!?」


 物騒な言葉を吐き続ける奮越ふるこしだが、先日のことがあったからか、とりあえず手を出してこようとはしない。

 そして、だれも、奮越ふるこしの尻馬に乗ろうともしない。

 いつもつるんでいたはずの中出なかいでなど、離れたところで別の男子と夏休みに遊びに行く計画の話に夢中で、奮越ふるこしの方を見ようともしない。


 ゲンキはそれを見て、哀れな奴だと思った。


 ゲンキには、大切なトモダチがいる。

 自分のことを認め、励ましてくれるトモダチが。

 そして、心から好きだと、胸を張って言えるひとがいる。

 相手も自分のことを好いてくれていると、自信を持って言えるひとが。


 ――奮越ふるこしには、いま、そんなひとがいるんだろうか。


 相変わらずゲンキをにらみつけて、威嚇のつもりか顔を歪め不自然に体を歪め、口汚くののしり続けるそいつを、ゲンキはすこしだけ、哀れな奴だと思った。




 明日から夏休み――いや、学校を出た瞬間から夏休みだ。

 そんな高揚感の元に、教室から我先にと飛び出してゆく生徒たち。


「前も言ったけれど、勉強と思い出作りの夏休みにしてね? 決して誰かを悲しませるような夏休みにしないでね?」

「わかってるって宇照先生ウテちゃん! ってか、オレがあいつを泣かすなんて無理! オレが毎日泣かされてぶぉっ!」

「ホント懲りないヤツよねアンタって」


 ソラタの背中をどついたマホが、いつもの事務処理を事務的に終えたような感情のない目で見下ろす。


「おっ――お前の金的キックを先読みブロックしたはずなのに……背中をどつくなんて卑怯……!」

「あんまり蹴って、アンタが将来使、私……っ、アンタを拾うようなが困る……かもしれないからね」

「あ、今赤くなりやがった! 一丁前にオンナの振りしやがって! お前がはにかんでみせるなんて百万年早――」


 顔を真っ赤にしたマホのキックで沈んだソラタの背中の鞄を右手でつかむと、ゲンキは廊下に引きずってゆく。


「バカやってないで、帰ろうぜ」

「ゲンキ、そういうとこ、容赦ないね?」

「ユウも、こいつらがただじゃれ合ってるだけって、分かってるだろ?」

「まあ、そうなんだけど」


 廊下は、一斉に下校する生徒たちであふれていた。

 ゲンキはソラタを立たせて廊下に押し出すと、


「あ、おいゲンキ――」


 たちまち飲み込まれて流されてゆく。マホが慌ててソラタを追いかけて、同じように巻き込まれていった。


「……みんな、すっごいね?」

「いよいよ夏休みだからな」

「そう、そうだね……」


 そう言って、ユウはそっと、ゲンキの左手に手を伸ばす。


「……いい、かな?」

「めんどくさい確認なんていらねえよ」


 そう言ってゲンキはためらうことなく、ユウの手を握ると、廊下に出た。


「……ゲンキの手って、やっぱり、おおきいね?」

「お前が小さすぎるんだよ。もっと飯、食えって」

「ボクはもう、これ以上大きくなれないよ……?」

「あ? なにって?」


 すぐそばにいるのに、その声もよく聞き取れないくらいに廊下は騒がしい。

 どの顔も、実に明るい。

 午後からの希望に満ち溢れているのが感じられる。


 こんなにも人があふれている場所で、けれどもゲンキはしっかりと手を握っている――ユウから離れまいとして。

 自分が好きなひと――自分を好いてくれているひとの手のぬくもりを離すまいと、ユウもその手をしっかりと握った。

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