第61話:ゲンキ、ほんとに、ボクでいいの?

「ユウ? だれか、お客さん?」


 リビングに顔をのぞかせたのは、ユウの母親――シオリさんだった。


「あら、ゲンキくんじゃない。様子を見に来てくれたの?」

「あ、ああ、えっと! ひょ、ひょんなとこれす!」


 かなりうわずった声を出してしまったと、ゲンキはひやひやする。


「ユウ、ごめんね? お母さん、朝出るとき、こんなに遅くなるなんて思ってなかったから。メール入れておいたけれど、なにか、自分で作って食べた?」


 ぶんぶんと激しく横に首を振るユウ。

 そして、いたずらっぽい目で、そっと上目遣いにゲンキを見上げる。


 たぶん、がちっと歯がぶつかる音がするほどにぶつけてしまった唇が痛いのだろうと推察する。ゲンキも痛いからだ。


 唇の裏が若干切れて、血の味がする。ユウの方は無事だろうか――そんなことを思いつつ、努めて平静を装う。


 ドアのカギをガチャガチャやる音で驚きのあまりぶつけた唇、そしてドアを開ける音で慌てて体を起こして離れた二人。

 シオリさんが顔を見せたのは、その直後。

 本当に危なかった、ギリギリだった。


「あらあら……お夕飯、食べてないの? じゃあ、これから何か作らないと……ゲンキくんも、食べて行くわよね?」


 言われて気づく。

 7時45分。


「うわっ……! またおふくろに殺される……!」

「あらあら。だったらもう、いっそ帰らないで、うちのお婿さんになってくれるかしら? 歓迎するわよ?」

「ちょっ……そんな冗――」


『……ボク、およめさん、ぽかったかな?』


 言いかけたところにフラッシュバックしたユウの言葉が、シャレにならないことに気づく。


「ユウと時々、お話してるのよ。ゲンキくんが長男さんでなかったら、うちにお婿さんに来てもらおっかって」

「ちょ……!? な、なに言って……!?」

「お、お母さん!? ばらさないでよ!」


 ゲンキ、立ち上がって不思議な踊りを踊る。

 ユウ、立ち上がって真っ赤な顔をして叫ぶ。


「いいわねえ。できればユウにはドレスを着てほしいけど、ユウは嫌がるだろうし。なんなら二人揃ってタキシード、っていうのも悪くないわよね?」

「ちょ、マジで言ってますかお母さん!?」

「あら、もうお義母かあさん? 嬉しいわあ」


 ころころと笑うシオリさんに、ゲンキが慌てふためきながら「いえ、そういうわけじゃなくて」と訴える。


「うふふ、冗談よ」


 そう言いながら電話の使用を許し、シオリさんは、ユウと共にキッチンに入ったのだった。




「どうせそんなことだろうと思ってたけどね」


 今度はどんな怒鳴られ方をするのか――ヒヤヒヤしていたゲンキは、かえって不気味なものを感じる。思いのほか、電話口の母親の声が穏やかだったことに。


「どうもこうも、どうせまたご飯のお呼ばれってことはユウちゃんの家なんだろう?きちんとお礼してくるんだよ」


 どうもここしばらくの間の出来事から、ゲンキの母親にとってユウの家は安全圏の一つに認定されたらしい。


「ただしひとつだけ条件がある、よく聞きな」

「条件? なんだよ母ちゃん」

「近いうちに、そのユウちゃんって子を家に連れてきな」

「え……? それだけ?」


 意外な条件に拍子抜けするゲンキ。たったそれだけで、母からの落雷を回避できるとは。


「それだけでいいのか?」

「なに言ってんだいまったく。ソラタちゃんは何度か連れて来たくせに、ユウちゃんはまだ連れてきてないじゃないか」


 母親に言われて気づく。そういえばソラタは一年の時からたまに家に遊びに来ていたが、ユウはまだ、呼んだことがなかった。


「……ホントに母ちゃんに会わせるだけでいいのか?」

「馬鹿だね。父ちゃんも一緒に決まってるじゃないか」

「まあ別にいいけどさ……本当にただの友達だけど?」

「四の五の言わずに、ウチに連れてくればいいんだよ」

「近いうちって、いつならいいんだよ」

「今度の土日、どっちかで。いいね!?」


 それで電話はおしまいとなった。




「じゃあ、今週末は、ゲンキくんのおうちでユウのお披露目会になるのね?」

「ウチの親、食い意地張ってますから、ユウの料理の腕前を見せたら一発じゃないすかね」

「ぼ、ボク、ゲンキのお父さんお母さんに納得してもらえる料理なんて、作れる気がしないよ……!」


 豚肉ともやしのチャンプルーをゲンキの小皿に取り分けながら、ユウが頬を染める。チャンプルーはユウが作っていたはずだが、とろりとしたあんのからんだ豆腐が、ほとんど崩れずにできている謎の技術がすごい――ゲンキは目をみはった。


「大丈夫だって。ユウの料理は最強だから。行列のできる店に今すぐ出せるレベル」

「またそうやってゲンキは、ボクをからかうんだから……」


 ユウは目を合わせようとしないが、耳の先まで真っ赤になっているのが分かる。可愛い――ゲンキは、素直にそう思った。


「ぼ、ボクがお料理を作るのは、家族と、……その、げ、ゲンキのためだけなんだからね?」

「じゃあ確定だ、俺のために今週末、うちで飯作ってくれよ」


 にこにこと返すゲンキだったが、ユウは迷うそぶりを見せた挙句、結局、返事を返さなかった。




 玄関を出ると、空はすっかり星で覆われていた。二人して、星空を見上げる。


「もうすぐ、夏休みだね……」

「そうだな……」


 街ののもとでは、あまり多くの星は見られない。けれど、明日もいい天気を感じさせる。二人で明日への予感を楽しむには、それで十分だった。


「……ゲンキ、ほんとに、ボクでいいの?」


 うつむき、上目がちに言うユウに向き直ると、ゲンキはそっと、その体を抱きしめる。


「だ、だって、ゲンキのおうちって、オトコノコらしさ、オンナノコらしさにこだわってるみたいだから……だからゲンキも、とってもオトコノコらしくて、かっこよくて、それで……」

「ユウ」


 ゲンキは、そっと顔を近づける。

 星の煌きが映り込むユウの大きな瞳を、じっと見つめる。


 綺麗だ――ゲンキは、素直にそう思えた。

 この綺麗な瞳を独占したい、その瞳で、俺だけを見つめてほしい――そんな思いがよぎる。


 ユウは、目をそらして少しためらってみせたあと、すがるような目で、ゲンキを見上げた。


「……ボク、こわいんだ」

「……怖い?」


 何がユウを怖がらせる? 首を傾げたゲンキに、ユウは、ためらいがちにつぶやいた。


「ゲンキのこと、好きすぎて……。もし、もしゲンキのお父さん、お母さんに嫌われたらって……だから、ゲンキの家に行くの、こわくて……」


 ゲンキは思わずユウを抱きしめる腕に力をこめた。

 ――ユウはきっと気にしているんだ。自身の、性別のことを。


 宇照うてる先生の話を思い出す。

 ひとが、そのひとらしく生きる――その生き方を選んだそのひとを肯定できる、そんな生き方をしたい。


 かすかに震えるユウの肩を、ゲンキは改めて抱きしめる。


 ――大丈夫だ。ユウはユウなんだ。 ユウという、ひとりの人間なんだ。

 俺は、ユウというひとりの人間を好きになった。それだけだ。


「俺の親父もおふくろも、ユウを見て嫌うなんてこと、しないって」

「でも、でも、ボク、その……こんな、オトコノコの――」


 それ以上、言わせなかった。

 しばらく、そのまま、互いに無言の時を堪能する。


 ただ重ね合わせるだけの、稚拙な行為。

 わずか十数秒。

 ――けれどそれは二人にとって、万の時間を共に過ごしたに等しいと思える時間だった。


 ほう、とため息が漏れる。

 ゲンキを見上げながら、ユウは、その潤んだ唇を、そっと開いた。


「……ゲンキ、ボク……」


 ユウの腕が、ゲンキの腰に回される。


「……週末、ゲンキの家、行くね……?」

「楽しみにしてる」

「うん……ボク、がんばるよ。お料理、楽しみにしててね?」

「……約束、だぞ?」

「うん……約束、だよ?」


 今度は、ユウがそっと目を閉じた。

 二人の影が、もう一度、重なった。

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