第59話:ゲンキの好きなボクでいたいから

「……だって。だってボク、こわかったから――」


 ちらちらと、ゲンキの顔を伺うようにしながら言うユウに、ゲンキは面食らう。


『なにかユウを怖がらせるような、よっぽどのことでもしたんじゃないの?』


 これじゃ、昼休みにマホが言っていた言葉、そのままじゃないか――ゲンキは驚きを隠せなかった。でも、いったいどうして。


「……怖かった? 何が?」

「なにがって……ゲンキと会うのがだよ!」

「なんで俺が怖いんだ?」

「だって! だって、陸上の選手のひざだよ? それを、ボクのせいでこわしちゃったんでしょ!? ボク、どんな顔して会えばいいかわかんなくて……!」


 風邪を引いたのは事実らしい。朝起きたときには、三十八度を超えていたそうだ。だが、そんなことよりもずっと恐れていたのが、ゲンキを怒らせていないか、ということだったという。


「……ハルカって子だって、ゲンキのケガはボクのせいだって……!」


 言われてゲンキは思い出す。

 昨日、競技場に戻って応急処置を受けたあと、ゲンキのエナメルバッグを持ってゲンキのことを探していたらしいハルカは、ゲンキの怪我と、そしてユウがいるのを見て、ユウをなじったのだ。




「ゲンキくんが頑張ってるの、あなただって知っているんでしょう! どうしてこんなことになるんですか!」


 ハルカの叫びに、ゲンキもユウも固まった。

 屋内練習場には、雨宿りのために集まった選手たちが大勢いる。その目の前でだから、ゲンキもユウも、とっさには何も言えなかったのだ。


 さすがに人目が気になって、ゲンキは場所を移すことを提案し、ハルカも同意した。競技場の外にでると、雨はだいぶ小降りになっていた。


 ハルカは、ゲンキの怪我の具合を心配し、そして、その原因をつくったユウを非難した。

 ユウは、ハルカの言葉に、一切、抗しなかった。ただ黙って、唇をかみしめるようにして、うつむいていた。


 もちろん、ハルカが心配してくれた、その事実はゲンキにとって嬉しかったが、しかし引き換えにユウが責められるというのは、ゲンキにとっては何倍もつらかった。


 何より、ハルカは誤解している。ゲンキはユウによって傷つけられたのではなく、自分の判断で行動し、そしてミスを犯した――それだけなのだと、ゲンキは分かってもらいたかった。


「……だから、ユウを責めるのは筋違いだ。ハルカ、俺を心配してくれたのは嬉しいけど、俺は筋を通したい。もう一度言うけど、怪我をしたのは俺が勝手にコケたからだ。ユウは関係ない」

「でも、そもそもその子が勝手なことしなかったら――!」

「ハルカ」


 ゲンキは、奥歯を噛み締め、極力自分を押さえながら、静かに言った。


「……俺は、俺のスタートの改善を提案して、練習にまで付き合ってくれたハルカに感謝してんだ。本当に、心から。

 ――だから、そんなハルカを、俺は、嫌いになりたくない。ハルカとは、これからもいいトモダチで、いいライバルでいてほしいんだ」




 あのときのハルカの、本当につらそうな顔を、ゲンキは忘れられないだろう。悔しそうで、哀しそうで、そしてなにより、泣き出しそうだった。

 振り返らなかったゲンキに対して、ユウは何度、ハルカの方を振り返ったか分からない。

 

「……ボク、ゲンキにひざを大怪我させちゃった……。あのハルカって子も傷つけちゃった……。ゲンキがあんなにも楽しみにしてた、選手さんと会うチャンスも潰しちゃった……。

 ――ボク、ゲンキの応援をしたかったのに、そのはずだったのに、ゲンキにひどいこと、しちゃった……。だから、だからこわくて、学校、行けなかったんだ……」


 ユウはうつむき、ぽろぽろと涙をこぼす。


「それに、ボク、昨日気づかなかったけど、ゲンキ、昨日、顔も怪我したの? なんか腫れてるよ……?」

「ん? ……ああ、これは今日、ちょっとな」


 ユウが、あからさまに安堵のため息を漏らす。よほど気になっていたらしい。


「 だいじょうぶ? 痛くない?」

「 大丈夫だ、なんともねえよ」

「本当に? だって、そんなに……」

「 ユウは心配性だなあ。俺が大丈夫だって言ってるだろ? 俺のこと、信じてないのか?」


 おどけてみせると、ユウはやっと、小さく笑ってみせた。

 

「だって……」

「しつこい」


 そう言ってゲンキは身を乗り出すと、テーブルの反対側に座るユウの頬に手を伸ばした。

 両頬を、かるく、むにっとつまむ。


「い、いひゃいよ、ゲンキ……」

「俺がそういうめんどくさいことを言うやつが好きじゃないの、知ってるだろ?」


 ゲンキは、ユウのつきたての餅のようにふわふわぷにぷにの頬の感触を十分に堪能したあと、今度はユウの頭をくしゃくしゃとかきまわす。


「わ、わかったよ……。ぼ、ボクだって、ゲンキの好きなボクでいたいから……だから、やめて……?」


 困ったような笑顔で、けれども別段抵抗してみせないユウに、ゲンキも席に着く。


「ユウの髪ってホントに柔らかいな。綿でも触ってるみたいだ。俺の髪なんかこんなにゴワゴワなのに」

「髪が柔らかいせいだと思うけど、起きたときは爆発してることが多いから、これでも大変なんだよ?」


 すぐに直せるのはいいんだけどね、そう言って笑う。

 ――ああ、やっと笑顔が戻った。ゲンキは、内心ホッとした。

 やっぱり、ユウの柔らかな笑顔は、見ているこっちが落ち着く、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る