第58話:だってボク、こわかったから

「だいぶ遅くなっちまったな」


 靴を履いて外に出ると、まだ夕焼けは残るものの、真上を見上げれば星がまたたく、そんな時間になってしまった。


「生徒指導の雄根おねがしつこかったからなあ」

「仕方ないじゃない。あんたたちがケンカなんか仕掛けるから」

「始まっちまったもんはしかたねえだろ、トモダチのためだ」

「……悪かったな、二人とも」

「ゲンキは悪くねえよ。オレだってヤツらのこと、死んでほしいって思ってたくらいだし」


 三人はそろって校門を抜ける。


「てか、マホはオレたちと違って呼ばれてたわけじゃねえんだから、さっさと帰ればよかったのに」

「残ってあげないとアンタがぴーぴー寂しがるって思ったから、わざわざ残ってあげてたんでしょ。感謝の言葉は?」

「は? オレ別に残れなんて言ってねえし」


 なんだか久しぶりに、ソラタが股間を押さえて地面でのたうち回るのを見た気がする……いや、数日前に見たはずなんだけどな――ゲンキは苦笑しながら、ソラタに手を差し伸べた。


「でも、マジで悪かった。俺の喧嘩に二人を巻き込んで」

「……だから言ったろ。ゲンキはきっかけなだけでさ、オレも腹立ってたし、ちょうどよかったんだって……」


 強気な発言は見ていて頼もしいが、内股気味で下腹を押さえてぶるぶる震えながら言っていても、さまにならない。

 だが、ソラタが心配させまいとして言っているのは伝わってくる。ゲンキはあらためて礼を言った。


 あのあと、関係者はバラバラに生徒指導室に呼ばれた。

 ゲンキとソラタとマホ、柔道部の巨漢の菊坐はなあぐら、ついでに正直にしゃべればさっさと帰れると空気を読んだ元凶の中出なかいでは、何があったかを一切隠さずペラペラしゃべった。


 結果、五人の話がおおむね一致したこと、特に中出なかいでが認めたことから、ゲンキの行動は義憤に駆られてのこと、最初に直接、暴力的な手段に出たのはあくまでも中出なかいでであることが特定できたことで、中出なかいで奮越ふるこし以外は厳重注意にとどまった。


 さらにさっさと自白した中出なかいでに対して、奮越ふるこし中出なかいでを信じて反抗的な態度を取り続けていたらしい。奮越ふるこしだけ反省の色が見られないとして、処分が下されることになった。


「明日からあの二人、どうなるんだろうな?」


 職員室に一人だけ取り残された奮越ふるこしのヒステリックな叫び声が飛んでくる中で、中出なかいでは知らん顔をしてさっさと帰って行った。


 あの二人はトモダチじゃないのか――ゲンキは信じられない思いで見送ったが、ソラタは吐き捨てるように言った。


「ああいう連中はマウントの取り合いの中でつるんでいるだけで、本当のトモダチなんていなかったりするもんだよ。明日から見ものだぜ、しばらくは冷戦状態になるんじゃね?」

「……俺たちは?」

「マジのトモダチに決まってんだろ」


 ヘッドロックをかけてくるソラタに、ゲンキも笑顔を向ける。


「……そうだな、俺たちは一生、トクベツのトモダチだ」

「おう! オレたちは一生、トクベツのトモダチだぜ!」


 二人してわっはっはと笑い合う。

 ――でも、もう一人、足りない。

 そう感じたゲンキは、ソラタに提案をした。


「なあ、ユウの家、行ってみないか? その、俺……あいつの様子、見たくてさ」

「この時間に? 迷惑になるよ、やめとこうよ。心配なら、電話すればいいじゃん」


 たしなめるマホに、ゲンキもそうか、と思い直す。すでに七時を回っているのだ、確かに迷惑だろう。マホのスマートフォンで、ユウに電話をかけてみることにした。


「……出ないね?」

「マホの電話に出るのが怖いからに決まってんだろ。見てろ、オレのトモダチパゥアが火を噴くぜ!」


「……出ねぇな……」

「なにがトモダチパゥアよ、あー恥ずかしい。アンタこそユウに怖がられてんじゃないの?」

「うっせえな!」


 その後、時間をおいてかけ直してみたが、結果は同じだった。


「ひょっとしてさ、こんな時間だし、病院に行ったけど混んでてまだ帰ってない、とかかもしれないよ?」


 そんなマホの言葉に、ゲンキモソラタも納得して、その日は解散した。




 ――そのはずだったのだが、ゲンキは結局、ユウのことが気になって、ユウの家に向かった。

 窓の全ては暗く、誰かがいるようには思えなかった。


「……電気は……点いてない。病院に行ってるっていうマホの予想通りなのかもな」


 だが、せっかく来て何もせずに帰るのももったいない気がしたゲンキは、とりあえず呼び鈴だけ鳴らしてみることにする。


 応答はない。


「おーい、ユウ。いるかー?」


 応答はない。


「……やっぱり留守なんだな」


 諦めもついて帰ろうとしたときだった。

 急にばたばたと音がしたかと思ったら、がちゃがちゃとドアを内側から鳴らす音。

 なんどもがちゃん、がちゃんと音がして、もどかしそうな様子が伝わってきたあと、勢いよくドアが開き――


「ゲン、キ……」


 PIYOパジャマのユウが、そこにいた。

 急いで飛び出してきた、そのはずなのに、ユウはゲンキを見るなり、小さく横に首を振り、一歩、二歩と後ずさりする。


「顔、見たくてさ。……大丈夫か?」


 甘いものが好きなユウのために道中のコンビニで買った、ちょっとお高めのクリームタルトの入った袋を見せる。


 そんなゲンキの姿に、ユウは目を見開き、次いでくしゃくしゃに顔を歪めて、


 そして、飛びついた。

 ――泣きながら。




「お母さん、今夜、どうしても抜けられないみたい。お仕事、ちょっと遅くなるんだって。もうすぐ帰ってくるとは思うんだけど」


 泣き出しそうな顔で玄関から飛び出してきたときと違って、今はニコニコしながら、冷蔵庫から麦茶を取り出すユウに、ゲンキはどこか、落ち着かない思いだった。


 制服もそうだが、ユウはどこか、大きめサイズのものを着るのが好きらしい。ユウの手作りと聞いていたが、指の先がかろうじて見えるくらいのぶかぶかのパジャマは、どこかユウの幼さを強調しているかのように見える。


「だ、だって、作ったときは、もっと背が伸びるって思ってたんだもん」


 頬を膨らませるユウが、その服装と相まって余計に幼く見える。


「にしても、ダボっとしすぎだろ。まるで子供が大人の服を着てるみたいだ。体の線がまるで分らねえ」

「い、いいんだよこれで! 寝るときの服なんだし、ゆったりしてたほうがその……楽なんだから」


 まあ、本人がいいって言うならこれ以上言うことはないか――そう思いながら、ユウを眺める。


「え、えっと、……なにか、あったのかな? 来てくれたのはうれしいけど……」

「いや、ユウが休むなんて珍しいからな。一年のときには月に何日か休んでたってマホから聞いたんだけど、俺はユウが休むの、見たことなかったから」


 ゲンキの言葉に、ユウははにかんでみせる。


「……だって、今年は、……ゲンキがいるから」

「……俺?」

「うん――そう、だよ」


 ゲンキは首をかしげる。


「どういう意味だ? 俺がいると、なんでユウの欠席がなくなるんだ?」

「……ゲンキ、やっぱり、いじわるだね?」


 ユウはため息をつきながら、けれどふふ、と笑って麦茶に口をつけた。

 両手で持ったコップをかたむけ、こく、こくと喉を鳴らす。

 その白いのどが上下するのを見て、ゲンキは妙にどぎまぎしてしまい、目をそらすとコップを一気にあおった。


「言ったでしょ? ボク、ゲンキのこと、同じクラスになる前から好きだったんだよ? 好きなひとと同じクラスになれたのに、休んでなんていられないよ」


『ユウってね、去年はけっこう休む子だったんだよ』

『それが今年になって、まだ一回も休んだことなかったじゃない? がんばってるんだなあ、くらいしか思ってなかったけど?』

『そのユウが休んだんだから、よっぽどのことがあったんだよ』


 マホの言葉が、立て続けによみがえってくる。


「……俺のことはどうでもいいとして」

「どうでもよくないよ!」

「今日休んだのは、じゃあ、なんでだ?」


 そんなに風邪がひどかったのか、と続けようとして、ゲンキは思わず息を呑んだ。

 ユウが、顔を急にゆがめたからだ。

 ――さきほど、玄関で、ゲンキを迎えた瞬間のように。


「ユウ……?」

「……だって。だってボク、こわかったから――」

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