ひとの価値と、いきる意味

第57話:生きる価値を

 何度、ユウの席を見たことだろう。

 空っぽの席を。


『ユウってね、去年はけっこう休む子だったんだよ』


 昼休みに、マホが言っていたこと。それは、ユウが昨年は月に何度か休んでいた、という事実だった。


『それが今年になって、まだ一回も休んだことなかったじゃない? がんばってるんだなあ、くらいしか思ってなかったけど?』


 なぜかゲンキを見ながらニヤニヤしてきたマホの顔を思い出す。


「そのユウが休んだんだから、よっぽどのことがあったんだよ……なんて言われてもなあ……」


 今年になってから休まないようになったのは、きっと何か理由があるのだろう。その理由を曲げてでも今日休んでいる――しかもその理由として、昨日のことが関係するとしたら。


『なにかユウを怖がらせるような、よっぽどのことでもしたんじゃないの?』


 その『よっぽどのこと』に心当たりがありすぎるゲンキは、だから昼からずっと、ユウのことが気になっていた。




「だからよ、『ダイバーシティ』とかってわけのわかんねえこと言ってねえでさ、どうせ世の中オトコとオンナなんだろ? 動物だってオスとメスしかいねえじゃねえか」

「だよな。オトコはヤッて、オンナは子供産む。それ以外に考える必要、なくね?」


 現代社会の授業から端を発した『多様性ダイバーシティ』という言葉は、休み時間になってもホットな話題を提供し続けていた。

 ただし、下卑た内容で。


「だいたいよぉ、あの『多目的トイレ』ってやつ? アレ邪魔だよな! 変質者のホテル替わりになったりしてるしよ」


 個室で広いからヤり部屋としては言うことなしだけどよ、と下品な笑いを上げながら言ったのは、中出なかいでだ。奮越ふるこしも相槌を打ちながら、足を前の席まで投げ出してつまらなそうに続ける。


「だいたい、なんでオレらケンジョーシャが、シンショーの連中とかホモの野郎とかに配慮ってやつをしなきゃならねえんだ? ワケ分かんなくね?」


 何人かの男子が同意の声を上げる。


「ていうかさ、シンショーの連中って、生きてるの恥ずかしくねえの? オレがもし車いすとかになったらとっとと自殺するね」

「てかさ、ホモとかレズとか、子供残す気ねえならとっとと席空けろってか、死ねばよくね?」



 中出なかいで奮越ふるこしの聞くに堪えない雑言が、教室の後ろの方を支配する。


「LGBTQだっけ? 子孫残さねえなら人権なんていらなくね?」

「てか死刑でよくね? 生きてるだけで税金の無駄だろ?」

「そうそう、もう法律で死刑ってしちまえばよくね?」

「バッカ、死刑にすると人件費かかんじゃん。自殺させりゃいいんだよ」

「てかオレらのクラスにもいるじゃん? ほら、オトコなのかオンナなのかわっかんねぇY.Oとかさ? 柔道のS.Hとか?」

「そうそう! ワイオーってか、YOUユウどっちYOUヨウ? てか?」


 ぎゃははは、と耳障りな爆笑が炸裂する。

 

 顔をしかめる者もいるが、そういった過激な論調を面白がって、わざと過激な質問をする者もいて、ますますその放言がエスカレートしてゆく。


「……てかさ、あいつらが死んでくれねえかな」


 ソラタが、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「Y.Oって、大梁おおばる――ユウのことじゃねえか」


 そう言って舌打ちをするソラタ。

 ゲンキに至っては、ユウと、互いに好き合っていると確認し合ったばかりだ。いらだちは最高潮に達していた。


「ホント。宇照先生ウテちゃんのこの前の授業、何だと思ってんだろね。……って、ゲンキ? ねえ、どうしたの、怖い顔して――」

「……あ、おい、ゲンキ、待てよ、お前――」




「もうあいつらまとめて転校してくれねえかな、マジできもちわりぃってか生きる価値ねぇ――っておぁッ!?」


 投げ出していた足を引っかけられ、奮越ふるこしはそのまま椅子ごと後ろに派手に転倒する。


「悪い。生きる価値のねえ奴の足に触っちまった。腐るなよ? 俺のシャツ」


 ――ゲンキだった。

 

「てめ、なにしやがんだ!」

「生きる価値のねえ奴に触っちまっただけだ」

「ザケンな、このホモ野郎!」


 転倒して頭を抱えている奮越ふるこしの代わりに、中出なかいでが立ち上がると、ゲンキにつかみかかった。足を怪我しているゲンキは抗しきれず、そのまま二人は机を巻き込んで転倒する。


「オトコオンナと付き合ってるホモ野郎が、てめえは前から気に食わなかったんだよクソめ!」

「そうやっていきがってみせれば強くなったと勘違いできるってのは、マジでおめでたい頭してるよな、お前らみたいなクズは!」

「ざっけんなホモ野郎!」


 鈍い音が数発。

 悲鳴。


「走ることしか能がねえクセに、しゃしゃり出てくんじゃねえよ!」

「ユウを――アイツを悪く言う奴は絶対に許さねえ……!」

「けっ、ホモはきれぇなんだよオレは!」

「好き嫌いなんて関係あるか! 生きる価値がない? お前らこそ、人に胸張れる生き方してんのかよ! 俺には生きる価値があると言い張れるほど、価値ある人生送ってるのかよ!」

「うるっせえんだよ! 俺はホモがきれぇだけどな、てめえみてえな正論ばっか吐きやがるクソ野郎はもっと大きれぇなんだ……よッ!!」


 再び鈍い音。

 飛び散る血。


「てめえ! 怪我人に手、出すんじゃねえよクソが!」


 ゲンキの顔面を殴りつけていた中出なかいでに、今度はソラタが飛び掛かる。


「邪魔すんじゃねえ、このホモダチ野郎!」

「誰がホモダチ野郎だ、オレにはマホって立派なカノジョがいんだよ!」

「立派って玉蹴り女のどこがカノジョだ、アレこそオトコオンナだろがよホモ野郎!」

「ぶっ殺す、マホは世界一いいオンナだよクソ野郎!!」


 頭を押さえながらようやく立ち上がった奮越ふるこしが、ソラタに飛び掛かろうとしたときだった。


「……もとはと言えば、お前らが悪乗りして騒ぐのが悪い。胸糞悪い騒ぎは、これまでにしろ」


 それまで黙って我関せずといった様子だった菊坐はなあぐら精志郎せいしろうが、奮越ふるこしの胸倉をつかんで持ち上げる。柔道部のホープたる大柄な男は、暴れる奮越ふるこしを大して労せずといった様子で持ち上げたまま彼の席まで連れていくと、そのまま放り出した。


「……生きる価値を、誰かが勝手に断ずる権利なんてない」

「てめえ……! ぶっ殺すぞクラァ!!」

「そういうことは、言うべき相手を見極めないとお前が死ぬぞ?」

「いい度胸だよテメェ!! 今すぐ後悔させてやっからヨォ!!」

「いい度胸だな。お前がホモと呼ぶ人間の強さを、心の確かさを、いま、思い知れ」


「ソラタっ!? おい、よくもソラタをやりやがったな、このくそったれが!」

「うるせえホモ野ぶぇっ!」

「陸上バカで悪かったな! 俺のことが大っ嫌い? 上等だ、俺だって、お前みたいな奴は、大っ嫌いだよッ!」

「ぢぐじょぉっ……! 走るしか能がねえくせに……なんでこんなチカラ……ッ!」

「走るしか能がない? そのためにトレーニング積んできた人間のパワー、思い知れこのクソ野郎! ユウを馬鹿にしたこと、今すぐ謝れ!!」

「うる、せ……、手をはなし……やがれぇ……ッ!」

「放す……かよ! ユウを馬鹿にしたこと、……あ・や・ま・れ!!」

「だ、れが……ぐえっ」




 結局、いつの間にかマホが教師を呼びに行き、生徒指導主事と体育教諭と教務主任の三人が教室に飛び込んでくるまで、大騒ぎは続いた。

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