第54話:ボク、トモダチでしかないの?

 駆け寄ってきたユウは、ゲンキの隣で肩を寄せるハルカを見て、足を止める。

 ハルカは、つまんだ芝生を手にしたまま、駆け寄って来たユウを見て、息を呑んでゲンキを見る。


「……ゲンキ?」

「……ゲンキくん?」


 ふたりから真顔で首をかしげられ、ゲンキは一瞬、言葉に詰まった。


「えっ……ええと! ユウ、こっちが、例のスタートダッシュのことでアドバイスくれた、ハルカ! で、ハルカ、ええとこっちが、俺のトモダチツレのユウ!」


 声が裏返ったゲンキの紹介に、二人はそれぞれをじっと見やる。


「……え、このひとが、ハルカ……くん……?」

「……このコが、ユウ……くん……?」


 目を丸くするハルカと、目が座っていくユウ。


「そう……なんだ」


 無愛想なユウの態度に戸惑ったようだが、ハルカはにこりとユウに笑いかけた。


「えっと……ハルカっていいます。はなぶさ工業高校の二年です。よろしくね?」

「……ゲンキと同じ、備井そない商業のユウです……」


 ユウはにこりともせずそう言うと、ゲンキを見上げた。

 

「……ゲンキ、どういうこと……? ボク、こんなの、聞いてないよ……?」


 ユウの冷えた視線に、ゲンキは言い知れぬ焦りを覚え始めた。別に何かを隠していたわけじゃない、自分はやましいことなど何一つない、そのはずなのに、ユウがひどく怒っていることは理解できるからだ。


「ユウ、どうしたんだ? なんでそんな――」

「『なんで』? なんでって、どういうこと?」


 ユウは、足元に視線を落とし、肩を震わせた。

 その肩を、本格的に振り出してきた雨が濡らしてゆく。


「ボク、ゲンキのためならって、この週末のこと、我慢したんだよ? ゲンキががんばりたいなら、楽しみにしてるなら――喜んでくれるならって……」


 『この週末』――そう、もともとはユウと遊びに行く約束をしていた週末。それを、ゲンキが記録会に出るために――今日の日本記録保持選手の助言を期待したために、ユウに譲ってもらった週末。


 そもそも、この週末を遊びに行く予定に割り当てたのがゲンキ自身で、それを自身の都合で延期させたことを、ゲンキはあらためて思い出す。


「だ、だけど、ユウは、特に反対したりしないで譲ってくれただろう?」

「そうだよ! ゲンキのためならって、ボク、我慢したんだ!」


 ユウが叫んだ。

 ハルカに、叩き付けるように。


「それなのに……それなのに! こんなのってないよ、ひどいよ!」

「ゆ、ユウ、落ち着けって」

「『落ち着け』? ゲンキ、ボクが今日、なかなか見つけられなかったゲンキをやっと見つけられたときの気持ち、分かる……?

 ――そのとなりに、この子がいるのを見つけたときの気持ち、分かる!?」


 頬を紅潮させて訴えるユウに、ゲンキはなんと答えたらいいか分からなくなる。

 頬を伝うしずくは、雨ばかりのせいではないのだろう。


「……だから落ち着けって、ユウ。ユウは俺の大事なトモダチで、ハルカは――」

「トモダチ? ――ボク、トモダチなの? ……じゃあ昨日の夜の、あれはなんだったっていうの……!?」


 周りが、ちらちらとこちらを見ていることにゲンキは気づく。

 雨宿りのために走りながら、こちらを見て、足を止める者たちがいる。


 首筋にぴりぴりとしたものが走る。

 雨に打たれるせいだけでなく。


 ユウを落ち着かせたい。

 なのにユウは止まらない。

 悲痛な叫び声をあげ続ける。


「ユウ、俺は――!」

「『俺は』、なに!? あれでも、ボク、トモダチの!? あれでトモダチでしかないなんて、じゃあ、ボクは、ボクは――!!」

「ユウ!!」


 思わず怒鳴ってしまったゲンキ。

 びくりと体をふるわせるユウ。


「……落ち着けって。まずは雨宿りしよう。そこで話、聞くからさ」


 ちらりと、ゲンキは隣のハルカを見た。

 ハルカのセミロングの髪は、すでに雨を吸ってしっとりとしている。


「……な?」


 だが、それを見たからこそだろう。

 ユウはゆっくり首を振った。


 ひどく顔を歪ませて。


「……話なんて……」

「ユウ?」

「いまのゲンキと、話なんてしたくないよ!」


 ゲンキの伸ばした手から逃れるように身をひるがえすと、ユウは駆け出した。


「あっ……おい、待てよユウ!」

「待って――待ってゲンキくん!」


 追おうとしたとゲンキの手を、ハルカがつかむ。


「ゲンキくん、教えて? あの子はなんなの? ゲンキくんの、なんなの?」

「言ったろ、俺のトモダチツレだって!」

「ツレ? 本当に?」


 ハルカは、信じられないといった様子で目を見開きながら続けた。


「あの子、本当にただのお友達・・・・・・なの? その……ゲンキくんの――」

「ああ、いつもつるんでんだ、大事なトモダチだよ! 放せって、ユウを見失っちまう!」

「うそ……! だって、だってあの子は――!」

「変わってるって言いたいのか? ああ、変わってるよ、変な奴だよ! だけどアイツは、俺の大事なトモダチツレなんだ!」


 そう言ってゲンキは、ハルカの手を振りほどいた。


「ユウ! 待てよ、おいっ!」

「待ってよ、お願い待って、ゲンキくん! 行かないで!」


 雨脚が強くなってきているというのに退避しない二人に注意をしに来たのか、それとも騒いで競技の邪魔になりそうな人間を場外に引っぱり出すためだろうか――どこかのコーチが走って来るのが、ゲンキの視界の端をよぎる。


 邪魔されてたまるか――ゲンキは、ユウが消えたほうに向かって走り続けた。




 強くなってきた雨のせいで、トラックにはもう、誰もいなくなっていた。

 代わりに少しでも雨宿りできそうなところに人がひしめいていて、だからゲンキもユウを探すのに手間取る羽目になった。

 ユウが走って行ってしまったときには、まだほとんどだれもいなかったのに。


 ユウの姿を探し、背伸びをし、あちこちと見回してみたが、ユウの姿は見えなかった。

 しばらくそうやって探したあと、ゲンキは思い直した。


 あの走って去っていったユウが、悠長に雨宿りなどするだろうか。

 きっと、競技場を飛び出していったに違いない――


 そう考えたゲンキは、人をかき分けるようにして外に出ることにした。

 だが、競技場を出た先は?

 バス? 駅? それとも、どこか別の場所?


「ユウ……ユウ! どこだよ、おい! ユウ!」


 迷惑だ、恥ずかしい――もう、そんなことを考えている余裕もなかった。声を張り上げて走る。


 階段を駆け下り、ゲートを潜り抜け、競技場を出て左右を見て、見当もつかずにとりあえず左に走る。


 ガッ、ガッ、ガッ――

 全天候型ゴム製トラックタータン用の平行ピンスパイクをつけたままでは、アスファルトやコンクリートの上ではひどく走りにくい。

 

 歩道には早くも水たまりができ始め、踏むたびに靴の中に水が浸入する。


 道路を挟んで反対の右側は商店が立ち並び、左側は生垣に囲まれた公園の柵が続く。

 ユウの姿は見当たらない。


 右に向かった方がよかったか――


 そう後悔し始め、引き返そうとしたときだった。

 ガリリッ――!


 スパイクのせいで、つんのめった上に滑って転倒する。

 むき出しのひざが、腕――ひじが、アスファルトにひどく叩き付けられる。


「いっ――!? くっ、ああ……クソッ!!」


 誰のせいでもない、自分がスパイクシューズでこんなところを走っているから悪いのだ。


 体を起こすと、ふくらはぎに走った幾条もの赤い筋、そしてひざの、白い肉の見えるえぐれた部分。


「くっ……そぉおおおっ!」


 どうしようもない苛立ちと無力感に襲われて、ゲンキは痛むひざを引きずりながら、とりあえず公園に入っていった。


 あの瞬間。

 ユウが身をひるがえしたその瞬間。

 どうして俺は、ハルカの手をすぐに振りほどかなかったんだろう。


 ベンチに座って雨に打たれていると、どうにもやりきれない思いに沈んでゆく。

 悔やんでも悔やみきれない――二度と返らぬことだと分かっていても、あの瞬間にこうしていたらと、ゲンキは果てしないループに捕らわれていた。


 ――明日から俺、ユウとどうやって顔を合わせたらいいんだよ……


 しばらくそうやって呆然と座っていると、ひざが、ひじが、ずくん、ずくんと、熱を伴った痛みに覆われてゆく。

 雨水はぴりぴりと傷口をさいなむが、同時に火照る傷口を冷やしてもくれる。


 顔を打つ雨は、一時の強さからだいぶ落ち着いてきた。このぶんだと、午後までには雨も上がるかもしれない。午後の陸上教室は――


 そう考えて、膝を見下ろした。


 ――今日はもう……


「……ああ、もうっ!」


 ゲンキは髪をかきむしると、そのまま勢いよく立ち上がった。ひざが酷く痛んで、おもわずしゃがみこみそうになるが、耐える。


 うだうだ考えても仕方がない――ゲンキはそう、自分に言い聞かせた。


 ユウを追うのは失敗した。

 スマホは壊れてしまったから持ってきていない。

 母の言う公衆電話とやらは見当たらない。

 そして、全ての荷物は陸上競技場に置いてきた。


 ――もう、自分に打つ手はない。


「……帰ろう」


 帰るのだ。そして、帰り道にユウの家に寄って、話をして――


 足を引きずりながら歩き始めたゲンキの耳に、かすかに、声が聞こえた。


「……泣き声?」


 雨音に紛れて、ちいさな、すすり泣く様な声。

 この公園に、自分以外の誰かがいる――自分のことばかり考えていたせいか、そんなこと、ゲンキは考えてもみなかった。


 誰かが、泣いている――

 迷子だろうか。それとも、なにか別の原因だろうか。


 ゲンキは、自分のひざの痛みも忘れて、その声の主を探した。

 そして、この世には、神と呼ばれるものがいるのかもしれない――そう思った。


 さっきまでのゲンキのように、

 雨に打たれながら、

 ベンチに腰掛け、

 うなだれて、

 ひとりで、

 すすり泣く、


「ボク……どう、して……あんな、こと……」


 そのひとが、いた。


「う、うう……ゲン、キ……、ゲンキぃ……っ!」


 ――ユウだった。

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