第51話:ゲンキのをおっきくして

「ごめん! ユウ! スマホぶっ壊れて返事できなかった!!」


 玄関の前で、土下座するほどの勢いで頭を下げるゲンキ。

 その手には、画面が酷く割れて、微妙に変形したスマートフォンが握られていた。


「電話番号もスマホの中で分かんないし、それで、こっち来ることくらいしか思いつかなくて、だから――」


 頭を上げ、目の前にいるであろうユウの顔を伺おうとしたゲンキだったが、しかし、それは叶わなかった。


「ゲンキ……! きて、くれた……! ゲンキ、ゲンキ……!!」


 飛びついてきたユウによって押し倒され、かじりつき泣きじゃくるユウのほうなど、まともに見られなかったためである。


 ゲンキは、なんとか目だけ玄関のほうに向けると、そこに立っていたのは、ユウの母親――シオリさんだった。

 右手を頬に当て、小首をかしげるようにして、嬉しそうに微笑む。


「あらあら、ユウったら、お留守番に飽きた子犬みたいに。ふふ、じゃあ、いまからお夕飯、温め直さないといけないわね」

「……ユウのお母さん、すんません……」




 ゲンキはテーブルに並べられた器を見て、違和感を覚えた。

 昨日と違うのだ、器が。

 いや、客用のために違うのだ、と考えればそうなのかもしれない、と思っただろう。

 しかし、今まではユウやシオリさんと同じ、そろいの器だったのだ。

 それが、小さなどんぶり並みに大きな茶碗、大きめのお椀。

 そして、何やらくすんだ焦げ茶色が渋い、少し大きめの箸。

 客用というには、どこか違う気がする。


 ゲンキが素朴な疑問を口にすると、ユウは急に顔を赤らめ、うろたえた。

 シオリさんが、笑って教えてくれた。


「ゲンキくんのためにって、ユウが買って来たんですよ。いつ来てもらってもいいようにって」

「俺のために……ですか?」

「だ、だって、ゲンキ、いっぱい食べてくれるから……! お茶碗、ゲンキのをおっきくして、いっぱい食べてもらいたくって……!」


 慌てているのか、ユウがわたわたと手を振り回し、変なしゃべり方をしているのがなんだか可愛らしくて、思わずゲンキは笑ってしまった。ユウが頬を膨らませて母親に抗議するところも含めて。




 ――いくらトモダチだからって、風呂にまで入っているってのは、俺、さすがに図々しすぎないか?


 ゲンキは、湯船につかりながら自問自答する。


『ゲンキくん、今日、試合か何かだったなら、予備の肌着とか、持ってきているんじゃないかしら?』


 シオリさんの言葉に「はあ」とうなずいてしまったのがいけなかったと、ゲンキは湯船に顔を沈めた。ユウに、「お風呂、わいてるよ!」と連れてこられ、ユウの母親にも「ゆっくりあったまっていらっしゃい」と言われ、だからいま、ゲンキは風呂にいる。


 ――ユウ、泣いてたな……。


 すさまじい罪悪感。

 玄関で飛びついてきたユウは、ゲンキを見るなり涙をこぼし、そしてゲンキの言葉が終わるのを待たずに飛びついて、声を立てて泣いていた。

 なのに、別の人物の声が脳内に再生される。


『わたし、立候補したら、……だめ、かな?』


 ハルカの、ためらいがちな、言葉。

 あの直前まで、ゲンキは、ハルカが、「そういう意図」で話しかけてきているということに、頭が回っていなかった。


 ――女子なんてめんどくさい。


 ゲンキとて健全な男子高校生。女性にだって当然興味はあるし、カノジョというものの存在にも憧れる。

 けれど、中学、そして高校と、

 くっついてはケンカをして離れ、

 陰では悪口を言い合うくせに表面上では仲良さげに振舞ってみせ、

 しかし嫌なオーラを醸し出す「女子集団」というものを見てきたゲンキにとって、女子とは果てしなく「めんどうくさい」ナマモノなのである。


『ひと様の悪口を言うな』

『ひと様の失敗は笑って流せ』

『ひと様の恩は絶対に忘れるな』

『自分が一番と思うな、ひと様の良さを見つけて頭を下げて取り入れろ』

『失敗していいから、何事もまず自分でやって大変さを知ってから人に頼れ』

『失敗は自分のせい、成功はひと様のおかげ。自慢するならまず恩を返してから』


 そうやって躾けられてきたゲンキにとって、女子集団のあの陰湿なねっちょりとした絡み具合は、見ていて近寄りたくもなくなるモノだった。だから、同世代の男子たちがカノジョだなんだと騒ぐなかでも、ゲンキはそれを欲しいと思えなかった。


『ゲンキ、オレ、もう逃げてぇ』


 そう言って泣かんばかりだった中学生時代の友人。

 念願のカノジョを手に入れたぞ! そう自慢してきた彼に「そう、関係ないね」とすげない返事をして変人扱いされたその一カ月後に、束縛がきつくてもう嫌だと、延々と愚痴を聞かされたこともある。


 ひと月ほどで次々とカノジョを変える奴の自慢を聞き流す一方で、女子が裏で散々にそいつの悪口を言っているというのを聞いたこともある。ついでに、付き合った女子も悪口を言われていたのも、見たことがあった。


 ――女子って怖いよなあ。


 仲がよさそうに見えて、その実、囲い込みと排除の論理で動く「女子集団」を目の当たりにして、どうしてあのナマモノを好きになれるというのだろう。ゲンキにとっては、男同士のほうがはるかに気楽で、はるかに楽しかった。


 マホみたいにあまりオンナを感じさせないような奴なら例外だけどな――いずれにせよ自分にカノジョができるなど、ゲンキは夢想だにしていなかった。


『わたし、立候補したら、……だめ、かな?』


 だからこそ、ゲンキにとってハルカの申し出は、まさに不意打ちだったのだ。

 最初は聞き間違えたと思い、

 次に「強化選手は立候補制じゃないぞ」と自分でもわけのわからぬことを口走り、

 苦笑いされたハルカに「ゲンキくんのカジョノに、だよ?」と諭すように言われ、

 そして――


 あの柔らかな感触は、

 初めての感触は、

 おそらく、生涯、絶対に忘れ得ないだろう――


 唐突に、ゲンキの脳裏にユウの笑顔が、そして泣き顔が浮かぶ。

 湯船に顔を突っ込み顔を上げると、めいっぱい手に抱えた湯で顔をなんどもこすり、そして、長いため息をついた。


 ――俺は何を焦ってるんだ。

 ユウはトモダチ、ハルカは――


 自分に言い聞かせようとして、そして、ユウの顔が思い浮かんでくる。

 その笑顔が、泣き顔が、――泣き笑いの顔が。


『ボク、ゲンキのことが――』


 その白い肌が、なまめかしいうなじが、すべやかな足の指先が――


「あ……まずい……」


 そろそろあがろうと思っていたところへ、困ってしまう下半身事情。


 ――ユウのこと、変な奴なんて言えないよな、俺……。


 オトコのトモダチを思い浮かべてこんなざまになっている――そう考えて、ゲンキは苦笑いを浮かべる。こんなこと、絶対に誰にも言えない。


 まあ、体をふいて服を着ている間におさまるだろう。そう考えて、ゲンキは湯船から勢いよく出ると、扉を開け――


「あ……」


 固まった。

 バスタオルを入れる籠に、ユウがしゃがみこんで、バスタオルを入れているところだったのだ。

 ゲンキを見てしりもちをついたユウが、ぺたん座りで、ゲンキを見上げていた。


「げ、ゲンキ……あの、バスタオル、持ってきて……」


 ややあってから、ユウが、目の前のものを凝視しながら、とぎれとぎれに、絞り出すように言う。


「あ……あ、ああ、ありがとう……」


 ゲンキも、かろうじて絞り出す。

 そのまま、またしばらくの沈黙。


「……ええと、ユウ?」


 目の前に、予想外の人物がいた――その驚きが収まれば、あとはゲンキにとっては「オトコトモダチが目の前にしゃがみ込んでいる」という状況でしかない。


 ――ただ、それは自分の股間を限界まで怒張させ、そしてそれをへたり込んでいるトモダチの眼前に突きつけているという、極めてアレな状況なのだが。 


「……バスタオル、ありがとう。ほかに、何か用か?」

「ひゃう!?」


 落ち着きを取り戻したゲンキに対して、ユウの反応は劇的だった。

 まだ手にしていたバスタオルを抱え込み、立ち上がって逃げ出そうとして、しかしほどけたバスタオルの端を踏んでしまい――


 倒れ込んできたユウに押されるようにして、ゲンキは浴室に押し戻されしりもちをついてしまっていた。バスマットがなければ、かなり痛い目を見ていたかもしれないと、ゲンキは安堵する。


 だが、そんな現実逃避・・・・をしてしまうほどに、ゲンキは混乱していた。

 目の前の光景に、自分の身に襲い掛かっている事象に。


 ユウのしなやかで繊細な指、それがつかんでしまっていたモノ――その指の感触に反応して再び限界まで膨張した、ソレ。

 手の中で反り返るソレが、ソレを握る指が動くたびにびくびくと脈打つさまを、まじまじと観察しているのは――


「コレが、……ゲンキの――」


 目を見開いたユウが、じつに不思議そうに、ソレの硬さや感触を確かめるように、おそるおそる、指を滑らせる。


「ゆ、ユウ……!?」


 ゲンキのうわずった声に、ユウは視線を上げ、ゲンキと目が合い――


「ひゃあっ!?」


 ユウは驚き立ち上がろうとして、足を滑らせ、そして――


「ぶみゅっ!」


 またしても、ゲンキに倒れかかる。

 とっさにゲンキが頭をずらしていなかったら、もしかしたら自分の顎とユウの額で衝突事故を起こしていたかもしれない。


「……いたぁい……」

「痛いのはこっちだよ、ユウ……。どこが痛いんだ?」


 ゲンキは、ユウの頭がぶつかった胸の痛みはとりあえずおいておいて、ユウに聞いた。


「……ひざ、打っちゃった。ちょっと痛い、かな」

「頭は? どこか打ってないか?」

「すこし、痛いかもだけど、だいじょうぶだよ……?」

「そっか」


 安堵のため息を漏らすと、ゲンキはユウの背に手を回した。


「ユウは、案外、ドジなんだな」

「ち、違うもん。ゲンキが、その……おっきいの、ボクにみせるから……」


 ユウは、ゲンキの胸に顔をうずめるように口をとがらせると、胸に顔をこすりつけた。

 唇の柔らかな感触が、くすぐったい。

 以前はシャツを通しての感触だっただけに、そのぷっくりとした唇がおしつけられているのが、もう、我慢の限界だった。


 ユウの頭をかき抱く。

 ユウの柔らかな髪が、ゲンキの胸をくすぐる。

 ユウは頬を胸に押し付け、わずかに身をよじらせる。


「ゲンキ――」


 ユウは「ふふっ――」と、小さく笑うと、ゲンキの胸に、指を滑らせた。


「……ゲンキの……おへそのうえまでおっきくして……。前のとき、あんなにおっきくしてたっけ?」

「知らねえよそんなの」

「それに、その……木の棒みたいに硬くなってた。あんなものなの?」

「そんなの分かってるだろ?」

「だって、初めて触ったんだもん。……じゃあ、どうして今は柔らかくなってるの? さっきボクが転んだとき、ボクのおなかの下でびくびくってしてから、急にしぼんじゃった……」

「……だから、分かって言ってるだろお前……」

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