第49話:ゲンキが出すの、ボクも楽しみにしてるよ?

「おかわりはもういいのかしら?」

「……いえ、マジでもう、十分ですんで!」

「あら、男の子はいっぱい食べないと。本当にもう、いいの?」

「ほんとに、とっても美味しかったですし、腹いっぱいいただいたんで……」


 ゲンキは、実に全く正直な気持ちを伝える。

 もっと正直に言うと、記録会前日でありながらちょっと食べ過ぎてしまった。

 それくらい美味しかったし、すすめられて断り切れなかったというのもあるが。


「あらそうなの? 男の子はいっぱい食べるものだって思ってたから」

「いえ、ほんとにめっちゃ美味しくて、食べすぎちゃったくらいですから! そういえば味噌汁の中に納豆って、あれ、この家の食べ方なんですか? びっくりしたんですけど、意外に美味しくて」


 ゲンキの言葉に、シオリさんが微笑む。


「あの子が考えたんですよ? 運動選手さんは、炭水化物とタンパク質が大事だからって。もしかしたらゲンキくん、納豆が嫌いかもしれないけど、脂肪分控えめでもたっぷりタンパク質が取れるものをって」


 皿の水気をタオルで拭いて食器棚に戻しながら、シオリさんはいたずらっぽく笑った。


「ほら、豆腐ハンバーグとか、豆腐ステーキとかもあったでしょう?」

「あ、ハイ。どっちも美味かったです。あ、特に豆腐ステーキのほうは結構ガーリックがきいててびっくりでした」

「みんな、ユウがゲンキくんのためにって、あれこれ試してみた結果なの。――実験に付き合わせたみたいでごめんなさいね?」


 そのとき、ユウが食後の紅茶を淹れて持ってきた。


「お母さん、ボクがゲンキで実験したみたいなこと言わないで」

「あら、違ったかしら?」

「ちゃんと美味しかったでしょう?」


 ユウが上目遣いにゲンキを見るので、ゲンキは援護射撃のつもりで大きくうなずいてみせる。


「ほら! ゲンキも美味しかったって!」

「そうやって無理に返事を求めてたら、ゲンキくんがかわいそうでしょう?」

「ちがうよ、ゲンキはうそなんてつかないから! ね、ゲンキ、おいしかった、よね……?」


 まくしたてるうちに自信なさげになってゆくユウの様子に、ゲンキはなんだか妙にいとおしさを覚えてしまう。


「……大丈夫だって。俺、ちゃんと美味かったって言ったから」


 あからさまにほっとしてみせるユウに、ゲンキは苦笑した。こんなに料理が上手いのに、不安になる要素がどこにあるというのだろう。


「だ……だって、ボクがいくら頑張ったからって、それをゲンキが美味しいって言ってくれるかどうかは別の話だから」


 なんと謙虚なのだろうか――ゲンキは嘆息する。

 自分だったら、味はどうあれうまそうな顔ぐらいして欲しいとは思ってしまうかもしれないのに。


 どこか恥ずかしそうに視線を外しながらカップを傾けるユウに、ゲンキも何気なく紅茶をすすり――


「にっが……」


 紅茶のストレートティーを生まれて初めて飲んだゲンキは、紅茶本来の苦味、渋みを知り、顔をしかめ――そうになって、無理矢理笑顔を作る。


 ユウのメシは最高だけど、俺とユウでは、やっぱり違うところもあるんだな――ゲンキは改めて思った。少なくとも、ゲンキはこんな苦くて渋いものを、ユウのようにニコニコしながら飲むことなんてとてもできない。


 ――違っていて当たり前、それが人間だよな。

 ゲンキは笑顔が引きつっている自覚をしつつ、そのままなんとか聞くことができた。


「……ユウ、砂糖ってある?」




「ゲンキ、明日、頑張ってね」


 先に玄関を出ていたユウが、あとから出てきたゲンキに声をかける。


「新しいスタートフォームがどこまで通用するかは分からないけど、ベストは尽くすさ」

「自己ベスト、でるといいね」

「フォームを変えてる最中だから自己ベストは難しいな。 でも、もちろんそれ目指してるから」

「だいじょうぶだよ、ゲンキなら」


 そう言って、ユウはゲンキに笑いかけた。


「ゲンキ、いつもがんばってるから。きっといい記録が出るよ! ボク、信じてる」


 ためらいなくそう言い切るユウに、ゲンキは照れくさい思いと、そして同時になんとも言えない満ち足りた思いがわき起こってくる。

 親以外で、ここまで無垢に信じてくれるひとが、果たして、どれほどいるのだろう。


「……ゲンキ? ね、苦しい、よ……?」


 ユウの息が、胸で熱く感じられる。

 気がついたら、ゲンキはユウの頭をかきいだくようにして、ユウを抱きしめていた。


 ゲンキのために食事のメニューを考え、実際に振る舞ってくれて、そして今また、ただ無心に信じてくれている、ユウ。


 カノジョ――いや、想い人コイビトというのがいたら、こんな人のことを言うんだろうか――


 ユウの熱い吐息を感じながら、ゲンキは、なんとなくそんなことを考える。

 すこし苦しそうに身をよじったユウのために、腕の力を少しだけゆるめると、そっとユウの耳元で、感謝の言葉をささやいた。


「……ユウ、今日も美味いメシ、ありがとな。俺、明日、自己ベスト出せるように頑張るから。――絶対」


 ユウの肩が少し震え、すこし、鼻をすするようにしたが、ユウはゲンキの胸に顔をうずめたまま、少しだけ顔を横に振った。


「 ううん……? ゲンキ、ボク、ゲンキの応援、したかっただけだから」

「それが嬉しかった。すごく。……ユウ、俺、ものすごく、嬉しかった」


 ユウを抱きしめる手に、もう少しだけ力を込めながら、ゲンキはささやいた。


「 明日は、ユウが作ってくれたメシのチカラで、今、俺が出せる最高の結果を目指すから。期待していてくれよ?」

「……うん」


 ユウも、おずおずとゲンキの背中に腕を回すと、何度か深呼吸をしてみせた。ゲンキの胸に顔を――唇を這わせるように。


 ゲンキの情けない声、引けた腰。硬さ・・を持ち出したそれに気づいたように、ユウは一瞬、視線を落とした。しかし、すぐにゲンキを見上げると小さく微笑んで、ゲンキの背中に回した腕に力をこめる。


 うろたえて目を見開くゲンキに、ユウはさらに体を密着させた。そしてゲンキの胸に改めて頬を押し付けるようにして、ささやきかけた。


「――ゲンキにとって最高の結果を、明日、ゲンキが出すの、ボクも楽しみにしてるよ……?」




 ――母ちゃん、俺、耐えたよ!


 星空の元で、走って帰ることにしたゲンキ。明日の記録会のためを思えば、本当は体を休めた方がいいのは分かっている。でも、それで発散できればと思ったのだ。


 そのはずだったのに、どうしようもなく火照り、たぎるのを、抑えられない。


 ――ああもう、知るか!

 耐えたけど、もう耐えられねえ!


 ゲンキは夜空に吠えながら、堤防沿いの道を走った。

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