第48話:好きな人のためのお料理って楽しい
ユウが陸上部のマネジャーとして練習に参加するようになってから、帰りの話題も部活動の話をすることが多くなっていた。
特に、これまで陸上に関して関わってこなかったユウにとっては、種目が多種多様に分かれていることはもちろん、様々なトレーニング方法があることや様々な道具を使って練習することなど、全てが新鮮に感じられるらしかった。
そのため、ゲンキとの関わりの浅い深いに関わらず、ゲンキを質問攻めにすることもあった。ゲンキも、ユウと陸上に関わって話ができることは嬉しく感じていて、時に話についてこれないユウを困惑させつつも、通学中は陸上の話題で盛り上がることが多くなった。
「今まであまり気にしてなかったけど……ゲンキって、筋肉、けっこうすごかったんだね?」
ユウがいたずらっぽく笑いながら、ゲンキのシャツの隙間――腹の辺りのボタンをそっと外して、ゲンキの密かな自慢の
ここは満員とはいえないが、電車の中だというのに、だ。
「
「ソラタは、見た感じ、そうでもないよ?」
「あいつは長距離だから。俺とは筋肉の付け方が違うんだよ」
「そうなんだ」
そう言いながら、腹筋の割れ目をそっと撫でてゆく。
「……くすぐったいから、その辺にしといてくれよ」
「ふふ、ゲンキがくすぐったいのをがまんしてる顔、なんだか、かわいいね?」
「お前なあ……」
ゲンキが口をへの字に曲げると、ユウは小さく笑って手を引き、そっとシャツのボタンに指を滑らせる。
「ゲンキ、明日は記録会なんだよね?」
「……まあな」
「場所は、大学のグランドだっけ? がんばってね」
「ああ。ユウ、悪いな。来週、絶対ユウの約束を優先するから」
「そんなこと、気にしなくていいよ。ゲンキは自分のことを頑張ってくれたら、ボクはそれで……」
「いや、普段大人しい人を怒らせたら怖いっていうだろ?」
おどけてみせたゲンキに、「どういう意味? ボクってそんなに怖いって言いたいの?」と頬を膨らませてみせるユウ。
それがなんだかおかしくて、ゲンキはついその頬をつついてみた。
ところがユウの方は、ゲンキにそうされたことが予想外だったらしく、目が点になり、次いで頬を赤らめ、つつかれた頬を押さえて嬉しそうにうつむいていた。
ゲンキの胸に、額を当てるようにして。
駅が近くなってきたころだった。
ユウがそわそわしながら、背伸びをして耳打ちをしてきた。
「……ねえ、ゲンキ。あの……今日、うちに寄っていかない?」
「え? なんで?」
「……えっと、その……明日、ゲンキ、記録会なんでしょ? その……ゲンキにおいしいもの食べてもらって、明日、がんばってほしいなって……」
「え、そりゃ悪いだろ、だって――」
「実はね、お母さんにも相談してあって、ゲンキさえよければ、うちに来てもらっていいってなってるの」
「……マジか?」
「もちろん、試合の前に食べるならどんなものがいいかってこと、ちゃんと調べたから! 豚カツとかじゃなくて、炭水化物多めの、消化にいいものがいいんだよね?」
「そりゃ、すごくうれしいけど……ほんとにいいのか?」
「言ったでしょ? 好きな人のためのお料理って楽しいんだよ?」
耳元でそんなことを言われて、ゲンキは一気に胸がぎゅうっと締め付けられるような、それでいてバクバクと熱く心臓が打ち鳴らされるような、そんな感覚に襲われる。
「……だから、その……もっと早く言わなきゃって思ってたけど、その……ごめんなさい。ちょっと、言い出しにくくって。急にこんなこと言われたら、迷惑かもしれないけど……来てくれたら、ボク、すごく、うれしいんだけど……」
ゲンキはその言葉を聞いて、急に思い出したように急いでスマホを取り出すと、電話をかけ始めた。
「あ、母ちゃん? 俺! ごめん、俺今日トモダチん家で食ってくることに――」
『だからなんでそういうことを急に言うんだい!!』
正面に立っているユウにもはっきりと聞こえてくる大音量。
近くの人たちにも、間違いなく聞こえているだろう。
それを耳に当てているスピーカーから直接聞かされるゲンキに、ユウは同情するけれど思わず笑ってしまう。
「ご、ごめんって! 急に誘われて、断るのも悪くて、それで……」
『くだらない言い訳してるんじゃないよ! お友達のせいにするなんてそんな最低な息子に育てた覚えはないよ! こっちの分はまた朝食べればいいんだから、そのかわり絶対に失礼のないように、小さくなっていただくんだよ!』
「わ、わかってるって!」
『絶対に自分からおかわりするんじゃないよ! 向こうから聞かれても一度は絶対に断るんだよ! あんたは意地汚いんだから!』
ゲンキの目の前には、すべてが筒抜けなユウがいるわけで、そのユウは苦笑しながらうなずいている。
「……じゃあ、ゲンキのおかわりは、ボクが様子を見てつけてあげるね?」
スマホと反対側の耳元で、そっとユウが耳打ちをする。
ゲンキは恥ずかしくて身の置き所がなく、早く母が電話を切ってくれないかと、そればかりを気にしていた。
「いつもは家族ばかりだから、こういう機会があると張り合いがあるわね」
ユウの母親――ゲンキはいまさら知ったが、シオリさんというらしい――は、にこにこしながら玄関で出迎えてくれた。
「な、なんかすみません、急に、こんな……」
「いいえ、こちらこそ、無理にお誘いしたんじゃないかしら。明日、試合か何かがあるんですって? ユウったら、どうしても応援したいからって」
確かにそうなのだが、ゲンキこそ、ユウの美味いであろう料理につられてホイホイとついてきてしまったのも事実である。
「いや、今度は親にも許可を取ったんで」
『どこの可愛い子が相手か知らないし、あんたがどうなっても構いやしないけどね! その子を
電車の中に響き渡るかと思われた大音声で、たたきつけるように言って電話を切った母。
真正面にいたユウが、耳まで真っ赤に染めてうつむいてしまっている。
だが、ゲンキのほうこそ、周りのサラリーマンたちのじろじろと無遠慮な横目に耐えるのは、大変な労力を要した。
――あのクソババア、ひどい勘違いをしやがって! 後で覚えてろ……!
ゲンキは、固く心に誓う。ちなみに、ゲンキがこれまでに何度も心に決めた誓いが果たされたことは、いまだかつてない。
――まあ、とにかく許可は取ったんだ、多少なら遅くなってもいいはずだ。今日は三ツ星レストラン級のシェフ・ユウの料理をじっくり味わえる。
ゲンキの胸は躍っていた。
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