第47話:いつもどきどきしてた、ゲンキを見て

「いいか? 音じゃない、煙が出た瞬間がスタートだ。あとは、選手の胸がライン上を通過した瞬間がゴール。わかったか?」

「はい!」


 ユウが、マネジャーのシュンスケにストップウォッチの操作について教えてもらっているのを横目で見ながら、ゲンキはスターティングブロックを準備していた。

 土日に練習したクラウチングスタートの姿勢、スタート直後のダッシュの仕方など――ハルカと練習したことを、確実に身に着けられるようにするために。


「あれ、ゲンキ。いつもと違うじゃん、フォームが」

「まあな。いま、ちょっと自己改造中」

「アレか、強化練習会の成果ってヤツか?」

「まあな」


 通りがかったソラタに対して、スターティングブロックの位置を調整しながら答えるゲンキ。


「そういやゲンキ、あの強化練習中によく一緒にいたヤツ。アイツ、誰だ?」

「ああ、はなぶさ工業の二年。同じ短距離で、スタートダッシュの鬼だった」

はなぶさ工業の二年で、スタートダッシュの鬼?」

「俺がいたグループで、あいつに勝てる奴はいなかった」

「へえ……。それでお前もマネしてんのか?」

「そんな感じ」

「そうなのか。結構カワイイ子だったよな!」


 ソラタが、「オレのグループなんて脳筋ゴリラしかいなかったっての」と悔しそうに顔を歪ませる。


「ていうかお前、他の高校にいたからカノジョいらねえなんて言ってたのか! リア充クソ野郎め!」

「お前な……。可愛いってか、ガチの短距離選手スプリンターだったぞ。足の筋肉ヤバかった」

「同じスプリンターなら問題ねえじゃねえか。顔がよけりゃ、他がアレでも全てヨシだろ。あとオッパイ」

「スプリンターなんて胸板化してるだろどうせ」

「いいんだよ付いてりゃ。オッパイだぞ? 絶対柔らかいに決まってる」

「……お前は幸せそうな脳みそでいいなあ」


 相変わらずのソラタの言動にゲンキが呆れていると、マネジャーのシュンスケの声が聞こえてきた。


「おい、大梁おおばる! どこ見てんだ、聞いてんのか?」

「えあっ!? あ、ご、ごめんなさい!」


 ユウが、シュンスケに注意されているところだった。




「……まさか、ユウがマネージャーになるなんてなぁ」


 部活が終わっての帰り道、ソラタが不思議そうに言った。


「お前、勉強大丈夫なのか? てか、なんで急に陸上部のマネージャーをやろうと思ったんだ?」

「だって、ゲンキのそばにいたかったんだもん」

「そっかー、ゲンキのそばに……」


 ソラタは復唱しかけてユウを二度見し、マホは目を輝かせる。


「……は?」

「え、なに、ユウはゲンキと一緒にいたくてマネージャーになったの?」


 二人の反応に、ユウは当たり前のことを当たり前に肯定する、そんな顔で、むしろ不思議そうに答える。


「そうだけど? だって、ゲンキのお手伝いがしたいから」

「なに、そんなにゲンキの走る姿がかっこよかったとか?」

「うん、ゲンキが走る姿はもちろんかっこいいよ? けど、それだけじゃなくてね。ボク、ゲンキの役に立ちたいんだ」


 ユウは、ゲンキを見上げると「ね?」と笑ってみせた。


「テストもしばらくないしね」

「……まぁ、シュンスケはだいぶ助かるだろうけどな」


 同意するゲンキに、マホが、何やらチラチラとソラタを見上げた。

 

「そうなんだ……。ねえゲンキ、マネジャーって難しい?」

「細かいことはシュンスケがやると思うから、そんなに難しいことはないと思うけどな」


 ゲンキの返答に、マホがためらいながら、妙に小さな声でつぶやく。


「わ、私もマネージャー、やってみようかな……?」


 それを聞いて、ソラタが即座に拒絶した。


「やめろ来るなお前の生きる道はこっちじゃない、せめてサッカーにしろ」

「……何でサッカーなのよ」

「玉を蹴りたいならサッカーだろ」


 直後、歩道のアスファルトの上で悶絶するソラタに、余計なこと言うからだ、とゲンキは思った。

 ――思っただけで口には出さなかったが。




 ソラタたちと別れ、電車に乗ったときだった。

 スマホから通知音が響き、ゲンキは何の気なく、SNSアプリを開く。


『今度の記録会の日程』


 スマホで撮ったらしい日程表が、続いて表示される。


『サンキュ』


 返信をすると、すぐさま返事が返ってきた。


『週末は晴れそうだし、がんばろうね』


「……だれ?」


 ユウが、ちらちらとスマホの方を見ながら聞いてきた。ゲンキは画面を見せる。


「ああ、こいつ昨日言ってた、ハルカってやつ」

「遥……ああ、スタートダッシュがとっても速いひと、だったっけ?」

「そう。今、記録会の日程をくれたんだ」

「ふうん……」


 ユウはのぞき込んで、そして、指をさす。


「この……うさぎの絵のひとだね?」


 アイコンに使われている画像は、白い兎が赤い鉢巻をして、亀の甲羅を背負っているキャラクターだ。

 陸上競技界では有名な企業の、マスコットキャラクターである。


「ああ、そいつ」

「この人が遥って言うんだね?」

「そうだな」

「ゲンキより速いの?」

「少なくとも25メートルダッシュでは誰も追いつけなかった」

「そうなんだ……ゲンキのライバル?」

「ライバルって言うか……まぁそんなもんだろうけど、どっちかって言うと戦友かな」

「……戦友?」


 ゲンキの言葉に、ユウは首を傾げた。


「種目は違うけど、同じ短距離走選手スプリンターとしての、仲間みたいな感じ……かな?」

「そう、なんだ……」


 ユウが少し、探るような目をしてみせた。


「ゲンキってさ、他の高校に、知り合いがいたり、する……?」

「知り合いっていうか、……そうだな、俺が勝手にライバル視してる奴とか、大会で顔合わせたときに話をする奴とかがいたりするくらいかな?」

「ふうん……一緒に遊ぶトモダチとか、いたりする?」

「そういう奴はいないな……。あくまでも、陸上の大会で顔を合わせたりすることがあるくらいかな」

「そっか……ごめんね、変なこと聞いて」


 胸をなでおろすような仕草をしてみせたユウに、ゲンキが冗談ぽく聞く。


「なんだよ、俺のトモダチ関係が気になるのか?」

「気になるよ」


 真顔で即答するユウ。


「だって、ボクは陸上をやってるときのゲンキを知らないんだもん。ボクは、ゲンキの、……でも――」


 言いかけ、しかし何かを飲み込むようにすると、急にユウは表情を変え、あらためて元気に微笑みかけた。


「今日ね、ゲンキの練習するところ見てて、思ったんだけど、ゲンキって、かっこいいよね」


 まっすぐ見上げながら言われて、ゲンキは言葉に詰まる。


「いや、それは、その、どうかなってか……」

「あんなふうに一生懸命な姿って、すごくすてきだって思った」


 ユウの言葉に、ゲンキは、ある言葉が脳裏に重なる。

 けれど、それをいま、口に出すことはできなかった。

 ユウの言葉が、いやに重く、胸にずしりとのしかかる。


「あのね、図書室の窓からはね、グランドがよく見えるでしょ? ボク、ゲンキならすぐ見つけられるんだよ。

 ――だってボク、ゲンキのこと、好きだから。いつもどきどきしてた、ゲンキを見て」


 ユウの言葉に、ゲンキもなんと返事を返してよいか分からず「そ、そうか……」としか返せなかった。

 ユウは、伝えられたこと自体に満足できたのだろう。幸せそうな微笑みを浮かべていた。

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