第42話︰ゲンキ、汗のにおい、するね

 瞬時に図書室に飛び込み奥に向かったゲンキの目に映ったもの――それは。


 夕日が差し込む薄暗い図書室で。


 書庫の手前の机に突っ伏したまま。


 ゲンキの名を口にしながら、熱い吐息を漏らす、ユウの姿だった。


 なぜゲンキがここにいるのか――そう言いたげに、

 机に身を横たえたまま、

 ゲンキに釘付けの目を大きく見開いたまま、

 開かれた股間ファスナーの奥に両手の指を突っ込んだまま、

 固まっているユウ。


 ユウの名を呼び、本棚の陰からユウの目の前に飛び出したまま、

 ――飛び出してしまった姿勢のまま、

 ユウとばっちり目が合ってしまったまま、

 固まっているゲンキ。


 永遠とも思える一瞬が過ぎる。

 沈黙を先に破ったのは、ゲンキだった。


「……まあ、……ええと、なんだ、その……」


 頭をかきながら、ユウの、ズボンのファスナーの奥に消えている両手の先を凝視しつつ、つぶやく。


「……ユウも、天使でもなんでもなく、人間だったってこと――なんだろうな……」


 その言葉がユウを呪縛から解放したかのように、ユウは我に返った様子でガバッと体を起こすと、ファスナーから引き抜いた両手を前に突き出し盛んに振ってみせる。


「ち、ちが、ちがうの、ちがうのゲンキ! これは! これはその……!」

宇照先生ウテちゃんも言ってたしな、適度に発散するなら問題ないって、その……オナ……」

「げ、ゲンキ、ゲンキ聞いて? あの、ぼ、ボクね、その……!」


 何かを必死に訴えようとするユウだが、ゲンキの目は、ユウのズボンのファスナーの奥に釘付けのままだった。


 ――だめだ、見ちゃだめだ、……でも、すごく、気になる……!


 大きく開いたファスナーの、その暗がりの奥――確かに見える、その、白い布。

 自分がはいているトランクスとは違って、ぴったりと局部を覆うような、なめらかな曲線を描く、そこ。


 ――ユウはブリーフ派、なのかな?


 自分も小学生の間はブリーフだったかと、どうでもいいことが思い出される。


 ――でも、ブリーフって、あんなところにひらひらな布、付いてたっけ? そういうのもあるってことか?

 チンコを出しにくそうだ――


 小便器の前に立ったユウが用を足そうとする一連の動きを、

 毛も生えてなさそうだと――とすら思ってしまったほどに明瞭に思い描いてしまったユウの局部のイメージを、

 ゲンキは振り払うように、あわてて首を振った。


「……とりあえず、ファスナーそこ、閉めとこうな?」

「ひうっ……!」


 目をきゅっと閉じて、うつむき加減に、股間を両手で押さえるユウが、なんだか妙に可愛らしく感じられてしまった。




「……ユウが学校で、――その、シてるなんてのもビックリしたけどさ。もし俺じゃなくて見回りの先生とかだったら、どうするつもりだったんだよ」

「……ごめん、なさい」


 あの瞬間――ユウとバッチリ目が合ったときには、本当にどうしようかと思ったゲンキ。

 ユウだってそういうこと・・・・・・をする――そう考えると、妙な感慨が湧いてくる。


 ただ、ひどく落ち込んでいるユウの前で、ゲンキはどうにも居心地の悪い思いをしていた。


「……だからさ、別に俺、怒ってるわけじゃないんだって」

「だ、だって……。ゲンキはその……気持ち悪いって思わないの? 聞いてたんでしょ、ボクがゲンキを想いながら、えっと、あの……」

「その話はもういいからさ。何回繰り返すんだよ。早く帰ろうぜ、見回りの先生が来たら厄介だからさ」

「でも……でも、ゲンキ……ボク、ボクは……」

「あーもう、あとでそれは聞いてやるから!」


 ユウの手をつかむと、ゲンキはユウを椅子から引っ張り起こした。


「ひゃっ――」


 勢いをつけすぎたか、ユウがゲンキの胸に飛び込む。

 踏みとどまって、ユウを抱き止めるゲンキ。


 放課後、夕日の差し込む、誰もいない図書室。

 夕日のせいなのか、ユウの顔が、ひどく赤く見える。


 無意識にユウの肩に回した腕――肩に置いた指に伝わる、その、繊細な肩の感触。

 ユウが腰に回してきた手――その指先の細さ、やわらかさ。


 ユウのうなじから感じる、甘い香り。

 にきびの跡も感じられない、赤みの乗った頬。

 すべやかな、白い肌。


 図書室が薄暗いからだろうか、ユウの瞳が妙に大きく見える。

 その潤む瞳に、吸い込まれそうだと錯覚を覚えるゲンキ。


「……大丈夫か?」

「うん……だいじょうぶ、だよ」

「そ、そうか……」


 はにかむユウの、そのやや伏せられた目にかぶるつややかなまつ毛に、なんとも言えない艶めいたものを感じて、ゲンキは平静を保っておられず、つい目をそらした。

 それを見たユウが、ゲンキの胸に顔をうずめる。


 一枚のシャツを通してユウの唇の感触を胸に感じて、ゲンキはどうしようもなく高ぶる自分を自覚する。


 自身の高ぶりに、ユウの柔らかなお腹が押し付けられるのを感じて、ゲンキの腰が引けてしまう。

 ユウは、きっと――いや、間違いなくゲンキの高ぶるを感じただろう。

 だがユウは、何も言わなかった。構わず腕に力を込め、身を寄せた。


「……ゲンキ、汗のにおい、するね……」


 言いながら目を閉じて胸に顔を寄せ、さらにそっとにおいをかぐ仕草をする。


 ――そっちか? 言うべきはそっちなのか?


 戸惑いを隠せないゲンキだが、あえて言わないユウの配慮に乗ることにする。


「……部活の後だからな。――汗臭くて悪いけど、かんべんしてくれ」

「ううん、ボク――」


 ユウは、ゲンキの胸で、すこし首を振った。

 そして、小さな笑みを浮かべてゲンキを見上げると、目を閉じて再びゲンキの胸に顔をうずめた。


「――ボク、ゲンキのにおい……好きだよ?」

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