好きと言いたい、けれど、だから
第41話︰待ってて、いい?
手作り弁当の日以来、ユウはどこかよそよそしくなった。
弁当も結局あの日だけだった。
そして、夕方にユウが待っていることも無くなった。
ユウのそうした態度の変化を、もちろんゲンキも感じてはいた。なにせ、互いに「トモダチだ」と確かめあったはずなのに、そんな態度だったからだ。
けれど、だからといってなにかが大きく変わったようにも思えず、ただ前に戻っただけとも言えた。
だからゲンキは大して気にしていなかった。
……はずだった。
金曜日の
教室にはもう、ゲンキ以外にはほとんど残っていなかった。委員会での夏休み前キャンペーンの集計が、思いのほか手間取ってしまったからだった。
鞄を片付けていると、残っていた生徒の群れが、土日の遊ぶ予定を楽しそうに語り合いながら出て行く。
――早く部活に行こう。
鞄を片付けていると、教科書が数冊、バサバサと床に落ちる。
舌打ちをしながら拾おうとすると、それらを拾って整え、渡そうとする生徒がいた。
ユウだった。
「……ゲンキ、明日から強化合宿、だったっけ?」
教科書を手渡しながら、ここ数日では珍しく、ユウから話しかけてきた。
目を伏せがちに、けれど、ちらちらとゲンキを見上げながら。
「……あ、ああ。強化練習会。俺は合宿メンバーに選ばれなかったからさ、土日は日帰りで練習だ」
「……ゲンキ、一人で?」
「二年生の男子だと、あとはソラタが参加する。アイツもふざけてるように見えて、頑張ってるんだぜ?」
「そう、なんだ……」
「ま、ユウは勉強、頑張れよ」
「……そう、だね」
「俺、部活行ってくる。じゃあ、また月曜日」
「あ……」
教室を出ようとするゲンキの手を、ユウはつかんだ。
ユウの、細くしなやかな指が、すべやかな肌が、自分の手に絡まるのを感じて、ゲンキの鼓動が跳ね上がる。
「……どうか、したか?」
「あ、……え、えっと……あの……」
問われて初めて、ユウ自身も、その行動が思いがけないものだったと気づいたらしい。ぱっと手を放されて、ゲンキはなぜか、惜しいと思った。
手が離される、その指がすべる瞬間の、ユウの肌のなまめかしさを実感して。
「……なんか、用か?」
どぎまぎし、妙に高鳴る胸を無理矢理に押さえつけるようにして、わざと声の調子を落としながら、ゲンキは話しかけた。
ユウは胸に手を当ててしばらく深呼吸を繰り返す。やがて、意を決したように胸元で手を握りしめた。
「……ゲンキのこと、待ってて、いい? 一緒に、帰りたいなって、思って、さ……」
意外な言葉に、ゲンキは戸惑う。
ここ数日、ユウは自分を待たずに帰っていた――待っていて、くれなかった。
「……好きにすればいいだろ。べつにそんなこと、俺に許可を取ることか?」
「だ、だって……その、しばらく、一緒に、帰ってなかったから……」
ズボンを握りしめるように、ユウの両手が、きゅっと握られている。
夏だというのに、日焼け知らずの白いうなじからは、あの、ほのかな甘い香りが漂ってくる。うつむき加減のユウの長いまつ毛が、かすかに震えたのを、ゲンキは認めた。
「……お話、したくて。いい?」
心臓がさらに跳ね上がる。
こう言っては何だが、ユウはほんとうに心臓に悪い存在になってきている――ゲンキはそう感じていた。
いちいち、胸に響くのだ、ユウの仕草が、声が、――その、全てが。
ゲンキは慌てて首を振ると、両頬を両手で二度叩いてから、わざと粗暴な声を出した。
「……だから、好きにしろって言ってるだろ。お前はお前なんだから、お前のしたいようにすりゃいいんだよ。しばらく一緒に帰ってなかったなんて、そんなこと気にするところじゃないだろ」
「気にするよ……。だって、ボク、その……」
うつむいてしどろもどろになるユウ。そのまま、小さく口は動いたが、けれどその先は声になっていなかった。
小さなユウが、何かを訴えようとしてか、すがるような目で自分を見上げ、そして、また沈黙したまま、うつむいてしまうその姿に、ゲンキの心はかき乱されっぱなしだ。肩が震える様子に、どうにも胸が痛くなる。
「……なんだかよく分からねえけどさ……。前にも言ったろ? ウジウジすんな、オトコだろ。言いたいことははっきり言えよ、トモダチだろ」
ゲンキのぶっきらぼうな言葉に、ユウは一瞬、顔をゆがめた。が、すぐに小さな笑顔をつくった。
「うん……トモダチ、だもんね」
「ああ、トモダチだ」
「うん……待ってる、ゲンキ」
ソラタは用があると言って、早めに切り上げて帰ってしまった。校門で待っていたらしいスカート姿の生徒と言い合いになったあと、腹を押さえてうずくまっていた。じつにアイツらしいと、ゲンキは苦笑する。
明日から強化練習会ということで主要な選手は早めに切り上げてしまったので、部活動自体も早めに終わった。
ゲンキは荷物をまとめていたが、校門にユウの姿がない。自分のほうがいつもより早く終わったのだ、まだ図書室かもしれない――そう考えて、ゲンキは校舎に戻った。
薄暗い廊下には誰もおらず、校舎外から聞こえてくる生徒の声が、かえって奇妙な孤独感をかきたてる。
図書室のドアは開いていたが、部屋には明かりがついておらず、誰かが勉強しているような雰囲気はなかった。
――ユウはもう、帰ってしまったんだろうか。それとも行き違ってしまったのか?
静かな空間で足音を立てて歩くのがためらわれて、足音を殺すようにして静かにドアをくぐろうとした、その時だった。
――はっ……はっ……
なにか、ため息のような、上気した吐息のような、苦しげな息遣いが聞こえてきた。
一瞬、足が止まる。
――ふぅっ……あっ……
きしきしと、机がきしむような音とともに、その息遣いが聞こえてくる。
誰かが体調を悪くしている?
素早く目を走らせるが、視界には誰もいない。
かすかに聞こえる荒い息遣いは、奥の、書架の立ち並ぶエリアから聞こえてくるようだった。
確かめようと踏み出そうとしたときだった。
「あ、あ……ゲン、キ……、ゲンキ、ゲンキぃっ……!」
変声を済ませていないかのように甲高く、透明感あるその声を、
苦しげな吐息と共にもれ聞こえてくるそのかすかな声を、
けれどゲンキが聞き間違えるはずもない。
「ユウ! ユウどうした!? どこだ、ユウ!」
瞬時に図書室に飛び込み奥に向かったゲンキの目に映ったもの――それは。
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