第40話:ボク、ゲンキのこと、好きだから
「ね、ゲンキ」
帰りの電車の中――吐息も交差しそうなほどの距離。ダイヤの乱れのせいか、帰りだというのにいつもよりもずっと混雑している車内は、だからユウもゲンキも、まるで朝のように体が近い。
だから、ユウはゲンキの耳元に、ささやくように話しかけた。
「……なんだ?」
「お弁当、おいしかった?」
「……は? 昼の時にも言っただろ?」
「うれしい言葉は、何回だって聞きたいんだよ」
ゲンキは、こんな満員電車の中で、とためらったが、ユウが喜ぶならと思い直し、答えることにする。
「……
「なにがおいしかったの?」
「……ええと、卵焼きと、竜田揚げと、きんぴらごぼう……と、ちくわの磯辺揚げ。あとなんかあったっけ?」
「豚の生姜焼き」
「ああ、うん、それも美味かった」
「どれがおいしかった?」
「全部」
ゲンキの言葉に、ユウが苦笑する。
「それじゃ参考にならないよ。一番おいしかったのは?」
「……全部」
「もう、ゲンキ、わざと意地悪を言ってるの?」
「違う、ホントに美味かった、全部」
「……仕方ないなあ、もう」
そう言って小さく笑うと、ユウは、一度目をそらし、うつむき、そして、上目遣いにゲンキを見上げた。
「……あ、あのね? ゲンキ、あの、……ひとつだけ、聞きたいんだけど……いいかな?」
「ひとつ? なんだ?」
「あ、あのね――」
ユウが、ゲンキの耳に、そっと唇を寄せたときだった。
無粋なメロディが鳴り、停車のアナウンスが入る。
「おっ、そろそろ駅だな。――話は駅に降りてからでいいか?」
恨めし気なユウの表情に気づいているのかいないのか、ゲンキは、次の駅で開くであろう、反対側のドアの方に目をやった。
薄暗くなってきた道――バス停までの短い距離。
蝉は相変わらずやかましく、パートナーを求める声を張り上げ続けている。
たまたま通りすがった中学生と思しき男子の集団は、オンラインで遊ぶゲームの話題で盛り上がっていた。高校生と思しき女子の集団は、次の休みに遊びに行くときの水着の話に花を咲かせていた。
「ああ、そうだ。さっき、なにか言いかけてたよな。なんだったんだ?」
唐突に促されて、ユウは小さくため息をつく。だが、ユウはそれを押し殺して笑顔を向けた。
「あの……あのね? 今日、ゲンキのためにお弁当を作ってきたボク……オンナのコらしかった、かな……?」
かすれる、小さな声で聞いたユウに、ゲンキは「はあ?」と顔をしかめた。
「なに言ってんだ、ユウはユウだろ。飯を作ったら女らしい、なんつってたら、ラーメン屋の大将なんか全員、オンナのコらしいってコトになっちゃうじゃねえか」
ゲンキの言葉に、ユウは肩を落とす。
「ラーメン屋の大将と一緒にされると、ちょっといやなんだけど――」
「なんでだよ、美味いじゃん、ラーメン。それより安心しろって。
「……ちがう、よ……」
ユウは、地面に視線を落とした。どこか辛そうに、か細い声で、絞り出すように続ける。
「そういう意味で聞いたんじゃないよ……」
「なんだ、じゃあなにを気にしてるんだ? ――あ、ひょっとして、
「……もう、いいよそれは。……そんなこと、ボク、言いたいんじゃ……」
ユウは立ち止まると、消え入りそうな声でつぶやいた。
ゲンキも立ち止まって振り返る。
「いや、考えてみりゃよくないだろ。……そうだ、アイツらにもあの唐揚げとかつくってやったらどうだ? 唐揚げが嫌いな奴なんていないだろうし、ユウの飯が美味いってことが奴らにも――」
「……いやだよ。ゲンキ、どうしてそんなこと言うの……?」
訴えるユウは、ひどく、顔をゆがめていた。出ない声を無理に振り絞るように。
「ボク、好きな人に食べてもらいたいから作ったんだ。ゲンキに、おいしいってほめてもらいたくて、だから、がんばったんだよ?」
「がんばったって……いや、だから無理するなって言っただろ? 確かに美味かったし、嬉しかったけど、大変だったんなら、無理になんて――」
「そうじゃないよ! ボクがそんな意味で言ったんじゃないってことぐらい、分かってるんでしょ? ゲンキ、そんなにボクのことがきらい?」
声は小さいけれど、体も小さいけれど、でも、ユウは、その悲痛な思いを叩きつけるように訴えた。
「ボクは無理してがんばったんじゃないよ、ゲンキのためだって思うからがんばったんだよ! ゲンキにおいしいって言ってもらいたくて、それだけを楽しみにしてがんばったんだよ!」
「いや、だから俺はユウの負担になるならって――」
「どうしてわかってくれないの!? ボクは作るのが負担だなんて思ってないよ! ゲンキに――ゲンキだけに、おいしいって言ってもらえたら、ボクはそれだけでうれしいし、それだけでいいんだよ!? なのに、どうしてみとめてくれないの!?」
正直に言えば、ゲンキはただただ、面食らっていた。
ユウがなにを怒っているのか、それが全く分からなかったのだ。
「わからない? ――どうして? どうしてわかってくれないの?」
「分からない、全然分からないって! 俺は美味いって言ったぞ? ユウの腕前を、ちゃんと認めてる! ほかに何を認めればいいんだ? ユウはどうしてほしかったんだ! 俺はユウのトモダチとして、なにをすればよかったんだ!!」
「そんなの、ボクが――」
言いかけて、なにかに気づいたのか、胸元で握っていた拳を、力なく落とす。
「そう、だよね。ゲンキは、トモダチ……なんだもんね……」
「ああ、トモダチだろ、俺たち!」
「うん、トモダチ……でしかないんだよね、ボクたち……」
それっきり、ユウは、何も話さなくなってしまった。
バスに揺られている間も一言も話さなかったし、バスを降りたあと、SNSにも返事はなかった。
言葉を送るたびに瞬時に既読がついたのだから、見てはいたはずだ。だが――
『ユウ、俺の何が悪かったんだ、教えてくれ』
既読1――けれど、遂に一つも返事がつくことはなかった。
『お話、したい』
ひどく胸がざわつく朝一番のSNSに、ゲンキはいつもより早く家を出て、そして、ユウが乗るはずのバス停で降りた。
――ユウが、そこにいた。
「――よう、おはよう」
ゲンキから挨拶をすると、うつむいていて気づいていなかったらしいユウが、ひどく驚いた様子で顔を跳ね上げた。
目の周囲が、赤く腫れている。
「お、お、お……」
「おはよう、ユウ」
「おは、よ、う……ゲン、キ……」
「なんだ、話って」
ベンチの隣に座ろうとすると、ユウは一度腰を上げたが、しかし座り直すと、うつむき、かすれた声で、口を開いた。
「……来て、くれたんだね」
「そりゃトモダチが呼んだんだ。来るさ」
「……ボク、嫌われたって、思ったから」
「なんでそう思ったんだ」
「だって、返信、できなかった、から……」
返信を「しなかった」ではなく「できなかった」――ユウの言葉に、ゲンキは問い直す。
「なんでできなかったんだ?」
「こわかった、から……」
「怖かった?」
ゲンキが首をかしげる。昨日、なにか怖がらせただろうか?
「はじめは、ボク、おこってたんだ。ゲンキが、わかってくれなくて――」
ユウは、うつむいたまま続けた。
「……でも、ゲンキから、メッセージ、こなくなって……。急に、こわくなったんだ。ボク、ゲンキにあんなひどいことを言って、返事もしなかったから……」
ユウの肩が震える。
「――ゲンキに、き、きらわれ、たんだって……」
言ってから身を縮めるユウに、ヘッドロックを仕掛けるゲンキ。
「ひうっ!?」
「バーカ、俺がお前を嫌いになったとか思ってたのか?」
「だ、だって……」
「オンナみたいなこと言ってんじゃねえって」
ゲンキはわざとおどけるように言ってみせる。
「ウジウジするなよ、オトコだろ? ガーッてお互い言いたいこと言い合ったら、カラッと忘れてまた仲直りだ。よく女子にバカにされるけどさ、それがオトコ同士の友情のいいところだろ?」
「そ、そうかな……。あ、あんまり、オトコだから、オンナだからって、関係ないような気が……」
「ウジウジひっぱるオンナと一緒にすんなって! 言いたいこと言い合ってすっきりしたら忘れる! それがオトコのいいところ! ほら、もうバスが来る、行こうぜ」
そう言うと、ゲンキはユウの手をつかんで立ち上がった。
「げ、ゲンキ……、痛い、よ……?」
「バカ、ほらバス来ちまったって! おい、急ぐぞ」
「……ゲンキの手って、おっきいんだね……」
バスの座席に座ったユウは、ゲンキにつかまれた右手を握ったり開いたりしながら、ぽつりと言った。
「なんだよ今さら」
「……だって、手をつないで歩いたの、初めてだったから」
「そうだったか? 腕相撲くらいしたことあるだろ」
「あれは握りつぶされたんだよ、手をつないで歩いたのは初めてだよ」
「同じじゃないか」
「違うよ、全然」
「細かい奴だな」
「ゲンキがおおざっぱすぎるんだよ」
どちらからともなく、笑いだす。
「ねえ、ゲンキ。ボクたち、トモダチ……なんだよね?」
「ああトモダチだ」
「ボク、ゲンキのトモダチだよね……? ずっと、ずっと……そばにいていいよね……?」
「いていよねってなんだよそれ、お互い様だろトモダチってのは」
「そうなんだけど……めんどうなコって思われたくなくて……。ボク、ゲンキのこと、好きだから……!」
「おう、俺だって同じだ、トモダチのことを嫌いなわけないだろ? だからそういう、オンナみたいなウジウジした考え方がめんどくさいんだって。もっとオトコらしくカラッと行こうぜ」
ゲンキが笑いかける。
「だから気にしすぎるなよ」
「……うん、そう……だね」
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