第36話:ボク、ゲンキに食べられるから

 ユウの母親は、使い古されてはいたけれどフリルのたくさんついた、白く可愛らしいエプロンを身に着けていた。

 それに対して、ユウの方はモノトーンのチェック柄。フリルのようなかわいらしい装飾はないが、腰から下はロングスカートをはいているかのようなひだが大人の女性っぽいデザインだと、ゲンキは思った。


 そして思いっきり首を振る。


 ――ユウは男だろ!?


 そんなゲンキの葛藤など気づくそぶりも見せず、ユウはとても楽しそうだ。毎日の弁当を自分で作っているというのは本当のようで、実に手慣れている。


「ゲンキのお弁当、いつもゆで卵が入ってるもんね?」


 そう言いながら右手だけで玉子を割りボウルに入れると、塩、コショウを目分量で放り込み手早くかき混ぜる。たっぷりのバターを溶かしたフライパンに垂らしてかき混ぜるようにしたあと、慣れた様子で菜箸で形を整え、あっという間にふかふかのオムレツの出来上がり。


 母親がフォークを何度も刺した鶏肉をタレに漬け込み始めれば、ユウは小麦粉と片栗粉を混ぜて少量の水を振り、ぱらぱらとしたそぼろ状にする。


 母親がタレに漬けて揉み込んだ肉にその粉をまぶしていく隣で、ユウがキャベツを素晴らしい勢いで千切りにしていく。


 その間にいい感じに煮えた油の中に母親が肉を放り込んでいき、きつね色になったものをユウが取り出してゆく。


 それで出来上がりかと思ったら、今度は母親が冷蔵庫から取り出した餃子の皮で、ユウがチーズを詰めたちくわを包んでいく。


「なんか、多くね?」

「そうかな……ボク、ゲンキに食べられるから作るんだよ。ゲンキのためならなんだって作るよ?」


 ユウは本当に楽しそうに手を動かし、出来上がったものを母親が油に放り込んでいく。どこかの工場の生産ラインかと思わせる、二人三脚のコンビネーション。


 揚がったものを、キャベツの千切りを盛り付けた皿にユウが盛りつけていく間に、母親が先ほど揚げた唐揚げを、もう一度油に放り込んでいく。


「どうしてもう一度揚げるかって? 二度揚げすると、からっと揚がって美味しいんだよ。めんどう? そうかなあ、だって、す……ゲンキには美味しいの、食べてもらいたいじゃない」


 一瞬つまったユウに、母親がくすっと笑う。ユウは「笑わないでよ」と口を尖らせながら、味噌汁をよそった。


「はい、ゲンキ。これ、ゲンキの分だから」

「あ、ああ、ありがとう……」

「ご飯は……これくらい?」


 小ぶりの茶碗に、漫画のように山盛りにされたご飯を見て、ゲンキは苦笑する。


「ああ、うん、ちょうどいいくらい」


 ちょっと作りすぎちゃったかしら、そう言ってユウの母親は笑った。




 後片付けなんてボクがやるから――そう言ったユウ。

 けれど、美味いものを二晩つづけて食わせてもらったんだから、とゲンキも後片付けを手伝っていた。


「あ、えっと、ユウのお母さん、あらためてごちそうさまでした! 俺も片付け手伝うんで、休んでてください!」


 ゲンキの言葉をユウの母親も最初は断っていたのだが、一歩も退かぬゲンキの様子を見て、「じゃあ、二人にお願いするわね?」と、任せてくれた。

 よって、ゲンキとユウが二人して後片付けをしている様子を、湯飲みを手に、ニコニコしながら見守っている。


「なあユウ……。ユウも、ユウの母ちゃんも、飯作るの、うまかったんだな」

「そんなことないよ、普通だよ」

「いや、マジでうまかった。あのオムレツ、アレなんかふわふわトロトロで、食っててマジで舌触りとかサイコーに気持ちいいって感じでうまかったし、ザクザクの唐揚げもまるで専門店で食う奴みたいに歯ごたえあって、うまかった」


 ゲンキの言葉に、ユウはくすぐったそうな顔をする。


「……そんなことないと思うけど、でも、ゲンキが美味しそうにいっぱい食べてくれて、ボク、ほんとに嬉しかった」

「本当に美味かったって。マジでよかった、上手にできてた。将来、どっかのホテルのシェフとかになれるんじゃねえの?」

「ゲンキはおおげさだよ。食べてる間も、ずっとうまい、うまいって、おっきな声で。ボク、恥ずかしかったんだよ?」


 はにかむユウに、ゲンキは皿を運びながら、「大げさじゃない」と続けた。


「実際に美味かったんだからな。あれだけの腕前だぞ? いっそ料理系の専門学校に進学してさ、一流の料理人を目指したらいいんじゃねえかな」


 ゲンキから皿を受け取ると、ユウは嬉しそうにゲンキをまっすぐ見上げる。


「ゲンキが認めてくれるのはすごく嬉しいよ。……でも」


 ユウは、少し視線を下げて、そして、また、ゲンキを見上げた。


「ボク、す……好きな人、に毎日、……その、おいしいって、そう言ってもらえたら、それで十分だから」

「なんだ、ユウは主夫になるのか?」


 ゲンキの言葉に、ユウは一瞬目を丸くして、そして微笑みを浮かべだ。


「……えっと、……うん、そう、だね。ボクは、好きな人がそれでいいって言ってくれるなら、それでいいと思ってるよ? ううん、喜んで、そうなるかもしれない」

「いや、それはもったいねえよ、コックを目指すべきだって。手際もよかったし、美味かったし、才能あるって、ユウには」


 ゲンキの母は、キッチンに立ち入れさせない。

 理由は単純だ、母曰く「ゲンキは男でしょ」。


 けれど、世の料理人と呼ばれる人たちの多くは男性だ。少なくとも、テレビで紹介されるシェフも、ラーメン屋の大将も。男が料理人を目指すことは普通のことだと、ゲンキはあらためて気づかされた。

 ユウが将来店を開くようなことがあったら、毎日通ってもいいかもしれない。仕事仲間を誘って――いや、仕事相手の人もさそって、いくらでも宣伝してやろう――そんな風にも夢想する。


「毎日、こんな感じで弁当を作ってたんだな。ホントにすげえよ、ユウは」


 味もよかったし、作るのも早いし、ほんとにすげえよ――ゲンキの言葉をくすぐったそうに聞いていたユウが、洗い物の手を止めて、目を輝かせてゲンキを見上げた。


「ね、ゲンキ。……ほんとに、ほんとにおいしかった?」

「ああ、マジで美味かった。また食いたいくらいだ」

「……ふふ、じゃあ、コックの話はともかく、また作ってあげようか?」

「マジか、それめっちゃ嬉しい」

「ほんとに? ねえ、ゲンキ……ほんとに、うれしいって思ってくれる?」

「いや、当たり前だろ? マジで嬉しい。だって、こんな美味い飯――」


 ゲンキの言葉に、ユウが、おそるおそる、といった様子で、けれど、目いっぱいの期待を込めた瞳を向けて、ゲンキに聞いた。


「だ、だったら、あの……よかったら、その……ゲンキのお弁当、ぼ、ボクが作ってあげようか?」

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