第33話:ゲンキのアレもそうなんだよ?

「先日の性の学習で扱った避妊具ですが、100パーセント、望まない妊娠を防いでくれる、なんていうことはありません」


 宇照うてる先生は、やや硬い表情で話し始めた。


「性交は、……知っている人も多いでしょうが、激しい運動です。肝心の避妊具も、着け方が悪かったり身の丈に合わないものを着けていたりしたら外れてしまうこともありますし、刺激の強さ――より気持ちのいい性交を楽しむために薄いものを選んだ場合、破れてしまうこともあります」


 高校二年生が性交の激しさを『知っている人も多い』という前提で語る教師など、まして性交を「気持ちのいい」ものとして語る教師など、クラスのだれもが初めて見た。しかもそれは、つい今しがたまで、年齢=カレシなしの地味女と、男女交際については誰もが軽んじていた存在なのだ。


「それから、はじめは避妊具なしで挿入し、しばらく楽しんでから避妊具をつける、という方法でごまかそうとする人もいるようですが、避妊に失敗する確率が格段に上がりますからね?

 もちろん、射精したあと、ペニスをふいたからといって避妊具をつけずに再び挿入するのも、妊娠のリスクが高まります。ペニスの尿道に残っている精液が膣内に侵入することになりますから」


 夏休み前のホームルームの時間、「羽目を外すな」という訓示が垂れ流されるはずの時間に、性学習前の総復習のような過激な訓話をされるとは思ってもみなかった生徒たちは、みな一様に困惑し、互いに顔を見合わせる。


「それに、排卵日に射精しなければいい、というものでもありません。膣内で射精された精子は、子宮頚管、子宮、そして卵管へと泳いでいきますが、卵管まで到達した精子は、卵管で栄養を補給されて、通常二、三日、長ければ一週間ほど生き延びます。

 いいですか? 排卵日の予定一週間前に性交を行った場合、赤ちゃんができる可能性があるということですよ?」

「一週間……そんなに?」


 クラスが再びざわめく。


 ゲンキは、思わずユウを見た。

 ユウもゲンキの視線に気づいたようで、いたずらっぽい笑顔を見せる。


 ――ゲンキのアレもそうなんだよ?

 そう言いたげに、自分の下腹をぽんぽんと撫で、そして透明なボールがそこにあるかのように、腹の前で丸みに添わせるように手を動かしてみせる。


 ユウがやると、なんだかシャレにならないような気がして、ゲンキは慌てて視線をそらした。


「――それから、女の子の体は機械ではありませんから。予定日が一週間後だったとして、必ず一週間後に排卵が行われる、というものでもありません。遅れることもありますし、早まる可能性も十分にあります。なんなら性交そのものの刺激で、排卵が行われることだってあります」

「……え、マジで!?」


 悲鳴のような声を上げたのは、これまたクラスのチャラ男の奮越ふるこしだった。妙にキョロキョロして落ち着かない様子である。


「ウテちゃん、俺らガキだと思って騙そうとしてね!? 意外に精子が長生きする上にヤッたら予定無視して排卵とか、そんなの詐欺じゃんか!」

「なあに? 奮越ふるこしさんは何か、心当たりがあるのかな?」

「ね、ねね、ねえよっ!」

「だったら、問題はありませんね?」


 宇照先生は、真正面からしっかりと奮越ふるこしを見つめてみせた。はじめは睨み返していた奮越だったが、ややあってから目をそらした。


「……だから女の子は、避妊をしようとしない男性に対しては、先日もみんなでロールプレイしてみた通り、しっかりと拒むことが大切です。

 そうそう、相手が望んでいない性交渉を無理にした場合、カレカノの関係でも、それどころか夫婦であっても『強制性交等罪』が適用される、犯罪ですからね。五年以上の懲役刑となります」


 性交、避妊。

 射精、子宮、排卵、妊娠。

 そして、強制性交等罪――懲役。


 これまでの性の学習と違って、あまりにも生々しい言葉が、生々しい文脈の中で、次々に繰り出される。


 いつもと違う、とゲンキは思った。今日の宇照先生はいつにもまして自信ありげで、そして饒舌だ。性の学習の時間は、いつも身を固くしていて、どこか棒読み口調だったのに。

 よほどこの日のために準備を重ねてきたのか、それとも――。


「だから、避妊は男女どちらにも責任がありますし、そもそも望まない性交渉は断らなければいけませんし、相手に性交を強いてもいけませんからね?」


 それを聞いて、またチャラケ男子――中出なかいでが机を叩くようにして立ち上がった。


「そんなのアリかよ! 自分のカノジョとヤッて何がワリィってんだ! 後から『本当は嫌だった』とか言われたら、オレ5年以上の懲役かよ!」

「だから、相手の子にとってあなたが素敵な思い出になるように、嫌がることをしないことが大切なんですよ、中出なかいでさん? あるいは、あなた自身が断固、性交を拒否すればいいんです。強制性交等罪は、男女、どちらにも適用されますからね。男性側が、性交を強制されたとして女性を訴えることも、当然できます」


 中出なかいではまだ何か言いたそうだったが、隣の男子から「座れって。ウテちゃんの話を止めんな」とシャツを引っ張られ、すごすごと席に着く。


「いずれにしても、望まない妊娠をしてしまって、自分はもちろん、相手も、そしておなかに宿ってしまった赤ちゃんも不幸せにするようなことは、絶対にあってはなりません。自分の行動に責任をもち、そのうえで愛を育むのであれば、それは素晴らしいことだと思いますけど」

「だったらサ、ゲイとかレズとかのヤツらはトクだよな! 子供できねえしよ!」


 奮越ふるこしの言葉に、宇照先生の眉間にしわが寄る。


奮越ふるこしさん、そういう言い方はよくありませんよ?」

「だってそうだろ? ゲイなんかマンコねえから強制……なんたらもねえしさ! あ、レズのやつらもだ!」

「強制性交等罪、ですよ。口、肛門など、生殖器以外の場所で行う性交でも適用されます。それに、そういったところは傷つきやすく、性感染症にもかかりやすくなる恐れがあります。その場合は、傷害罪にもなりますよ。もちろん、刑事罰です」


 よどみなくぴしゃりと言い切る宇照先生に、奮越は挑発的だった顔をゆがめる。

 しかし、宇照先生はなぜか、笑みを浮かべてみせた。


「……奮越ふるこしさん、ちょうどいい話を振ってくれたわね。ありがとう」


 そう言って、先生は黒板に『SOGIE』と書いてみせた。


「はい、では奮越ふるこしさん。読んでみてくれるかな?」

「は? 知らんし」


 奮越は、きまり悪そうに、だが尊大に言い放つ。

 だがその反応は予想済みだったのか、その斜め後ろの席の者を指名した。


 ユウだった。

 ユウは一瞬ためらったあと、ゆっくりと立ち上がる。ゲンキの方にちらと目を向けると、すこし、大きく息を吸ってから、ゆっくりと答えた。


「……『ソジー』、です……」

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