第32話:好きって言ってくれたから

「今は帰りもゲンキと一緒だよ?」

「……は?」


 マホが眉根を寄せてゲンキの顔を見るが、ゲンキはこれといって何か取り繕う様子もなくうなずく。


「……ゲンキが部活で遊んでる間、何してんのよ」

「図書室で勉強してるよ?」

「おい、誰が遊んでるっていうんだ」


 ムッとするゲンキなど目もくれず、マホは続けて質問をした。


「二時間も? しんどくない?」

「全然? ゲンキと……ゲンキたちと一緒に帰れるなら、それくらい平気」

「なんで? この前まで、普通に一人で帰ってたよね?」


 その時、予鈴が鳴り始める。

 ゲンキは仕方なく、いまだ床で腹を抱えるようにしてうめいているソラタに肩を貸す。

 そんな二人を見守るように微笑みながら、ユウは答えた。


「なんでかな? なんでだろうね、でもきっと、一人で帰っていた今までのボクが変だったんだよ。ボク、これからはずっと、ゲンキと一緒に帰ることにしたんだ」

「だから、なんでなの?」

「だって、ゲンキがボクのこと、好きって言ってくれたから。あくまでもトモダチとしてだけどね? でも、はっきりそう言ってくれた」


 ソラタを席に押し込むゲンキを見ながら、ふふ、と微笑むユウ。


「だからもう、ボク、決めたんだ」


 それを聞いて、マホがため息をつく。


「ユウって、意外に強かったんだね」

「別に強くなんかないよ?」

「強いよ。私なんかつい、アイツに手とか足とか出して誤魔化しちゃうもん」

「え? マホ、カレシとけんかするの?」

「カレシなんていないよ」


 めずらしくしおらしい様子のマホに、ユウは首をかしげた。


「あれ、電車で守ってくれるカレシがいるって話じゃなかった?」

「しっ……。だって、アイツのこと、ちょっとは焦らせたくて……」

「アイツ?」


 ユウが尋ねるが、マホはゲンキがこちらに向かって歩き始めたのを見て、口をつぐんでしまった。

 それを見てユウも、それ以上の追求をやめる。


 戻ってきたゲンキに対し、マホはもう、いつもの調子を取り戻していたようだった。腰に手を当ててあきれてみせながら、ゲンキとユウに対して、交互に指を差す。


「……あんたたち、もう付き合ったら?」

「……え、ちょ、ちょっと、マホ?」


 ユウが目を白黒させる。しかしマホは構わず続けた。


「いつまでもじれったいトモダチごっこなんてやってないでさあ」

「付き合うって誰とだ。そんなことよりトモダチごっこってなんだよ、ユウは大事なトモダチだぞ、ごっこじゃない」

「大事なんだったら付き合いなって言ってんの」

「なんでそうなるんだ、お前の頭、腐ってんのか」

「腐ってるけど腐ってないわよ!」

「ま、マホ、いいよ、いいから、あの……」


 みんなが見てるからやめてよ――ユウがそう言いかけたちょうどそのとき、担任の宇照先生が教室に入ってきたので、話はそれでおしまいとなった。




 もうしばらくしたら夏休みだからだろう。今日の最後の授業――LHRロングホームルームでは、様々なプリント類と共に、いわゆる夏休みの生活についての話が垂れ流された。

 情報端末の利用の仕方とマナー、予想される危険への対処、求められる自制の心がけなど、いつも通りの退屈な話の中で、担任が時間を割いたのは、男女交際のありかただった。


 最初はいわゆる「不純異性交遊」に関わる話だったが、クラスのチャラケ野郎が「だったらホモとかレズとかなら問題ないんですかァ?」と茶化したことが、話の流れを変えたのだ。


「同じです。だれかがだれかを好きになる、それは、ごく自然なことです。だからこそ、互いが傷つけあうことのない交際の仕方が大切ね?」

宇照先生ウテちゃんは、カレシとかいるんですかァ?」


 続けて投げかけられる質問。

 いつもの揶揄だ。いつもこのとき、宇照うてる先生は顔を真っ赤にして「先生は関係ありません!」と叫ぶのだ。もはやお約束のやり取り――の、はずだった。


「いますよ」

「ですよねェ~……」


 チャラケ野郎が笑い飛ばし、皆もつられて笑い――


「……はぁッ!?」


 揶揄した本人が目を向いて立ち上がる。


「ですから、あなたたちにも言うんです。簡単にカレカノがどうのって、作ったり別れたり、そんな一時的な関係を作ることに夢中になるんじゃなくて、本当に心の底から、好きって思える相手を作ってほしいと。分かってくれましたか、中出なかいでさん」


 チャラケ野郎はもちろん、

 クラス全員が一瞬沈黙し、

 次の瞬間怒号が爆発する。


「ううう嘘だろ、まさかウテちゃんにカレシ!? ありえねえ!」

「マジかよ!? そんなバカな! ウテちゃんにカレシがいてなんでオレにカノジョがいねえんだ!」

「卒業式でコクろうって思ってたのに!!」


「なになになに!? ウテちゃん彼氏できたの!? いつのまに!?」

「うそうそ! 結婚するの!? いつ!?」

「男子うるさい! ウテちゃん、カレシどんな人!? 芸能人なら誰に似てる!?」


 クラスは、上を下への大騒ぎだ。誰もが――特に男子が――担任を「イモ」「さえないメガネ女」「年齢=いない歴」と見なしていたのだから。


「……へえ、先生にも好きなひとがいたのか」


 ゲンキは意外に思ったが、まあ、先生だって一応、オトナのオンナだ。恋くらいするだろうし、いずれは結婚だってするときが来るんだろう。


 重めの黒髪を後ろで一つ結び、野暮ったい黒縁メガネ、地味なパンツルックのスーツ、化粧っ気のない顔。およそモテない女を絵に描いたような、というのは男子の大方の評価だった。


 ふとゲンキがユウのほうに目を向けると、ユウはきらきらと目を輝かせ、担任の顔を見つめていた。今朝はカノジョよりトモダチ、などと小学生みたいなことを言っていたが、ユウも一応は高校生、色恋沙汰にも興味があったらしいとホッとする。


「……それで、そろそろ落ち着いてくれるかしら? 夏はいろいろと楽しいことがありますし、いろんなイベントもあるでしょう。好きになったひとと、一緒に過ごす機会もあるかもしれません。もしかしたら、ただ遊ぶ、それだけで終わらないこともあるかもしれない」


 全員が、はっとする。

 先日の性の学習の時間。

 それまでの、男女交際のありかた、断り方とか身の守り方、妊娠と中絶などの座学ではなく、避妊具の付け方を男女関係なく実際に試した、あの時間を、全員が思い出したのだ。

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