第31話:ゲンキが守ってくれるから
「……で、結局逃げられたってわけ? なっさけなーい」
ユウが痴漢に遭ったこと、その撃退には成功したものの捕まえるには至らなかったことを聞き、マホは容赦のない感想を叩きつける。
「うるさい。陸上部員なんて、走る以外の特技なんてないんだからな」
「走って体当たりすればよかったじゃん」
「こっちはユウごと突き飛ばされてコケちまってたんだから、しょうがねえだろ」
「だからって逃がしちゃったら意味ないじゃん、金玉蹴っ飛ばして警察に突き出してやらなきゃ!」
ばりばりと頭をかきながら、誰よりも不満そうなのはゲンキだった。
俺がもっと早く気づいていればと、ぶすっとしているゲンキ。
次々と持論をぶちまけるマホ。
被害者のはずなのに恐縮しっぱなしのユウ。
そして、またしてもマホの金的キックを食らって悶絶しているソラタ。
ソラタにとって、昨日の金的キックは理不尽極まりないものと受け止めていたようだ。
そのせいで今度は朝っぱらから金的キックを食らって再び悶絶しているソラタ。学習能力のない男である。
というか、タイミングが悪すぎた。なにしろ、ユウが痴漢に遭ったその朝に、そんなことを言ったのだから。ユウが痴漢に遭うのだ、マホが遭わないという保証などあるはずもなく、したがって同情する者は誰もいない。
「俺だって、あのクソ野郎を捕まえてやりたかったさ。もしかしたら、前にもユウのケツもんでたクソ野郎だったかもしれねえんだからな」
「ほんとに逃がしちゃダメだった奴じゃん! あーもう、もったいない!」
「だからうるせえって」
ゲンキが、ユウをドアの前に立たせて、その前に立つようになった直接の理由も、痴漢だった。
四月のはじめだったか。もうしばらくしたら学校だ――ドアを背にして揺られながら、なんとなくそう考えていたゲンキ。
たまたま大きく揺れて「おっと……」と声を上げたとき、隣で、ずっとうつむき震えていたユウが顔を上げ、目に涙を浮かべて、ゲンキくん助けて、誰かがボクのおしりを触ってくるの、と訴えてきたのだ。
そのころのゲンキは、まだクラスメイトの顔などほとんど覚えていなかったし、ユウも「同じクラスでありながら顔も知らない相手」の一人にすぎなかった。
けれど、同じ学校の制服を着ている奴が、自分の名を呼び、助けを求めてきたのだ。ゲンキは、それを相手を見捨てるような男ではなかった。
『男は強くなければならない』
『ケンカに強くなる必要はないが、困っている人を助けられる心の強さを持て』
それが父の口癖で、だからゲンキは状況がよく呑み込めぬまま、それでも反射的に動いた。
ユウの手を引っ張ると、強引に自分とドアの間に隙間をつくってユウをドアの前に立たせ、その前に立ちはだかることで、ユウを守ろうとした、あの日。
『ボク、よく触られるんだ。でも、こわくて』
男が痴漢に遭うとはどういうことなのだと、その時のゲンキは痴漢野郎に対して呆れたのは事実だ。ただそれは、反撃も、声を上げることすらもしてこなかったユウに対しても同様だった。
けれど、「こわ、かった……。ゲンキくんが、助けてくれて……。ボク、すごく、うれしかった……!」と、ぽろぽろと涙をこぼすユウを見て、世の中にはこんなにも情けない男がいるんだなあと不思議な生き物を見る思いと、けれどその一方で、頼られるうれしさ、照れくささがあったのも事実だ。
以来、ゲンキは特に頼まれたわけでもないが、通学時にはユウのボディーガードを自認し、ユウを壁側に配し、その前に立つようになった。痴漢に遭うのは朝の通勤ラッシュに限られていたらしいので、帰りは部活がない日以外は別々だったが。
「……逃げちまったものは仕方ないだろ。次は逃がさねえ」
「どうだか。それより、ユウも悪いんだよ?」
「え……? ぼ、ボク?」
「そう! ユウ、あんたゲンキの話だと、今までだってチカンに遭ったことあるんでしょ? 金的キックくらいできなきゃ、変質者から自分を守れないよ?」
「き、金的って、それはさすがにちょっと……」
「チカン死すべし、慈悲はない」
床でうめき続けるソラタを見ながら顔を引きつらせるユウに対して、過激なことを言うゲンキにマホは上機嫌だ。
「あんたとそこで意見が合うなんてめずらしいね」
「今回は見ちまったからな、現場を。トモダチに手を出す奴は許さねえ」
▲ △ ▲ △ ▲
「ち、チカンだぁ!? な、なにを証拠に!」
「てめえ、コイツのケツもんでたじゃねえか! 恥を知れよ、クソ野郎!」
「は、はなせこの……!」
もみあいになった瞬間、よろけたユウを、男はこれ幸いとばかりにゲンキに向けて突き飛ばす。
たまらず手を放してしまったゲンキはそのままユウの下敷きになる形で、周りの人間を数人巻き込んで転倒してしまった。
そのときドアの閉まるベルが鳴り始め、ゲンキは慌てて周りに非礼を詫び頭を下げ、ユウの腕を引っ張りかろうじてホームに躍り出たが、その時にはすでに、男の姿は消えていた。
あちこちと眺めまわしてみたが、あやしい人影など見当たらなかった。
「クソったれ……! 今度遭ったらぶち殺してやる……!!」
舌打ちをして振り返ると、ユウがホームにへたり込んでいた。
「なんだ、ひょっとしてまたくじいたのか? 早くしないと遅刻するぞ?」
ユウの手を取ろうとゲンキが手を差し出すと、ひどく震えながら、ユウはゲンキの手にすがりついてきた。
「どうし――」
「こわ、かった……! こわかった……!! ゲンキ、ゲンキ……! ボク……!!」
ひどく取り乱すユウに、ゲンキは頭をかきながら答える。
「あのなあ、百歩譲って怖かったとしてだな? せめて足の一つでも踏んでやろうとか、頭突きでも食らわせようとか、そういうこと考えなかったのか?」
「できるわけないよう! 歩き始めたところで相手が誰かもわからなくて! すっごく、すっごくこわかったんだよ!」
「……おまえ、オトコだろ。そんなこと言ってたら、将来カノジョ、守れねえぞ?」
「守れなくていいもん、守ってもらうから!」
「……お前な」
ゲンキはため息をつくと、ユウの肩に手を置いて、「親父の受け売りだけどさ」と前置きをしたうえで続けた。
「お前だって、いずれは好きになった奴を守ってやらなきゃならないんだぞ? それがオトコって奴だろ? 今は俺がお前を守ってやれるかもしれねえけど――」
「ゲンキに守ってもらえるなら、ボクそれでいいもん」
「バカ、将来の話だって」
頭を小突くと、ユウが、うつむき頬を膨らませる。
「……だってゲンキ。ボクとゲンキはさ、ずっと、ずっーと、……と、トモダチ、なんでしょ?」
「お前にカノジョができたときの話だよ」
「ボク、ゲンキがいればいいもん」
今さっきまでひどくおびえて、なんなら泣きそうな顔だってしていたというのに、どこか嬉しそうな目で見上げてくるユウ。
加えて、とんでもなく過激な言葉を聞いてしまった気がして、ゲンキは聞こえなかったふりをしてユウを引っ張り起こした。
▼ ▽ ▼ ▽ ▼
「ボクはだいじょうぶだよ。だって、ゲンキが守ってくれるから」
ニコニコ顔で言うユウを、マホが心底呆れた様子でつつく。
「そんなこと言ったって、朝はともかく、帰りはバラバラじゃない。誰が守ってくれるっていうの、自衛できなきゃ――」
マホのツッコミに、ユウはふふ、と微笑んでみせた。
「今は帰りもゲンキと一緒だよ?」
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