第25話:ううん、ゲンキのそれがいいの

 恥ずかしそうにきょろきょろしながらトイレから出てきたユウに、ゲンキはぶっきらぼうに「じゃ、行くぞ?」と声をかけた。


「う、うん……」


 ゲンキの顔を見たとたん、うつむいてしまったユウに、紙袋を押し付ける。


「……え? ゲンキ、こ、これ……?」

「たい焼き」

「……それは分かるけど、……ゲンキ?」


 無言で紙袋を押し付けるゲンキに、ユウは戸惑いつつも礼を言って、中からまだ熱いたい焼きをひとつ取り出すと、両手で持ってしげしげとながめた。



 ▲ △ ▲ △ ▲



 残念ながらこの駅の構内にはトイレがなくて、トイレに行くためには一度、改札を通らなければならない。


 だが、そうした「トイレまでの道のり」の遠さが、かえってクールタイムを生み出してくれて、ゲンキは心底、ほっとしていた。ユウがトイレに入るまでなかなか収まる気配を見せなかった股間だったが、駅前の人通りを眺めながら、近くのたい焼き屋のにおいを嗅いでいると、いつのまにか収まってくれていたのだ。


 なんとなく、感謝のつもりでたい焼きを二尾買うことにしたのだが、夏の暑い盛り、たい焼きはあまり売れないもののようで、ゲンキが店の前に立った時には、ちょうどストックが売り切れていたときだった。


「兄ちゃんはタイミングがいいねえ、焼き立てほやほやだよ!」


 おっちゃんはそう言いながら、たい焼きを焼いていく。

 こんな暑い日にたい焼きなんて、あんちゃんもなかなかツウだねえと笑われたが、腹を冷やして壊したというユウには、温かいものがいいだろうとも思っていたのだ。


「おい、兄ちゃん。二つってことは、誰かほかに食う奴がいるのか?」


 たい焼き屋のおっちゃんに問われてうなずくゲンキ。


「そうか、……よし、分かった!」



 ▼ ▽ ▼ ▽ ▼



「ユウは、たい焼き、尻尾までアンコが詰まってる方が好きか? それともない方が好きか?」


 何から何まで唐突で、ユウが応えられずに戸惑っていると、先に食べ始めたゲンキがぼそりと言った。


「俺、最後はアンコじゃなくて皮で締めたい派なんだ。ちょうどそこの店のたい焼き、焼き上がるのずっと見てたんだけど、尻尾までアンコが詰まっていないんだ。俺はラッキーだった」


 ユウはしばらく、たい焼きとゲンキの顔を何度も見比べていたが、すこし、微笑んでから、頭にかぶりついた。


「じゃあ、ボクも、ゲンキの好きな食べ方で食べるね?」


 薄暗くなってきた道端のベンチで、両手で持ったたい焼きを、ゆっくり、すこしずつかじってゆくユウに、ゲンキはじれったいものを感じる。ゲンキなど、一分どころかその半分もかからずに平らげたというのに。

 けれど、ユウが、ゲンキと目を合わせるたびに嬉しそうに微笑みながらちまちまと食べているのを見るのも、悪くないと思ってしまうのだ。


 女の子は面倒くさい――ゲンキはずっとそう思ってきた。

 カノジョと呼ばれる存在には、やはりなんとなく憧れる。

 でも、日常生活で目に付く面倒くささを考えると、やはり今はまだ、いらないかなとも思ってしまう。


 けれど、やることなすことがなんだか小動物的なユウを見ていると、カノジョってこんなものなのかなとも思ってしまい――慌てて頭を振ってその考えを追い出す。


 ――ユウは男だろ、俺は何を考えてんだ。


 ユウが食べ終えたあと、ユウが親指を舐める、そのちろりと見える舌先になんともいえぬナニかを感じてしまい、再び立ち上がれなくなってしまったゲンキだったが、紙袋の中に残っていた三つ目のたい焼きに気がついた。


『わざわざこの暑い夕方に、ウチのたい焼きを選んでくれた兄ちゃんにオマケだ』


 売れ残りでもない焼き立ての品をおまけにくれた、変わったおっちゃんだった。だが、『カノジョさんによろしく』なんて言ってたおっちゃん、俺の隣のこいつを見たらどう思うのだろう――ゲンキは少し、気になってしまう。


「ユウ、まだ食えるか?」

「え? ……まだなにか、買ってくる気? だったらいいよ、いらないよ」


 首を振るユウに、ゲンキは紙袋からもう一つ、たい焼きを取り出す。


「おっちゃんがさ、オマケだっつって、くれたんだ。食えるか?」

「そりゃ、まあ、……食べれる、けど……」

「じゃあやる。食えよ」


 ユウは慌てて両手を振ってみせた。


「い、いいよ、ゲンキが買ったものでしょ? ゲンキが食べればいいよ」

「いい。俺はユウが食ってくれたら――」


 うれしい、そう言いかけて、ゲンキははたと気づく。

 ――腹を壊している相手に食い物を押し付けて『うれしい』だなんて、俺って、どんなクソ野郎だ?


「……悪かった。ユウ、腹、壊してたのにな。ごめん」


 そう言えば今日は、ユウにたしなめられてばっかりだったと、ゲンキは自己嫌悪に陥る。そのうえ今度はユウ自身に不利益を押し付けるようなやり口。

 トモダチにナニやってんだ俺は――そう落ち込むゲンキの様子を察したか、ユウはそっと、たい焼きを握るゲンキの手を取った。


「ううん? ゲンキが、ボクを優先してくれるの、ボク、すごく、うれしいよ? おなかこわしてるっていっても、……その、えっと、あったかいものなら、ボク、だいじょうぶだから。もらって、いい?」

「いや、でも――」


 ためらうゲンキに、ユウは、にっこりと微笑んだ。


「ボク、ゲンキのそういうやさしさ、大好きだよ? だから――」


 ゲンキの手からたい焼きを受け取ると、ユウは、頭から尻尾まで、縦に割るように器用に割いてみせると、半分をゲンキに渡した。


「はい、はんぶんこ。最後は尻尾で締めたいんでしょ? ボクも、ゲンキと同じ食べ方をしたいから」


 ――ふふ、おそろいだね?

 ユウはニコニコしながら、その頭の方からぱくりとくわえてみせる。


 たい焼きというよりはサンマ焼きと呼んだ方がいいような形になったそれに、ゲンキもつられてかじりつく。


「……ゲンキ、口、おっきいね?」


 ユウはやっぱり、ちまちまと食べながら、ゲンキが三口くらいで、ひと口ひと口、口いっぱいに頬張りながら平らげてしまう様子を、嬉しそうに眺める。


「やっぱりひと口が大きいね、男の子……ううん、ゲンキは」


 目を細めるユウに、ゲンキは思わずどぎまぎして、ペットボトルのミネラルウォーターのふたを開けると、一気にあおった。昼食用のために買っておいて結局飲まなかったそれは、すっかりぬるくなっていた。


「……お前が遅いんだよ、どんだけお上品なんだ」

「ふふ、ごちそうさまでした。ゲンキ、ありがとう」


 食べ終わったあとの指をなめるユウ。ちゅぴ、と親指をなめるその仕草にも、いちいち妙な色気を感じてしまい、ゲンキは戸惑ってばかりだ。


「……ねえ、ゲンキ。喉が渇いちゃった、そのお水、すこし、もらっていい?」

「俺の飲みかけだし、すげえぬるくてまずいぞ?」

「いいよ? ……ううん、ゲンキの、それ・・がいいの」


 おなかを壊しているから、冷たいものよりもいいということなんだろう――そう判断して、ゲンキはペットボトルを渡す。


 ユウはそれを両手で持って、飲み口をまじまじと見ていたが、少し微笑んで、そしてゆっくり飲み口を口に含んだ。


 こく、こく、と、ユウは実にゆっくり、少しずつ飲んでゆく。


 水を飲み下すたび、動く喉のその細さが、これまたひどく蠱惑的に思えて、ゲンキは見てはいけないものを見てしまっているかような錯覚にとらわれる。けれども、目が吸い付いたように離せない。


 ちゅぽっ――


 名残惜しそうに、ゆっくりとくちびるを離したユウは、もういちど、そっとふしぎな微笑みを浮かべる。――が、すぐにいつものほんわかとした笑顔で、「ありがとう、ゲンキ」とペットボトルを返してきた。


 ゲンキなら、おそらく三口分にも満たないほどしか減っていないそのペットボトル。


「飲まないの?」

「……またあとで飲む」

「ふうん――ちょっと、ざんねん、かな?」

「どういう意味だ?」

「ふふ、なんでもないよ?」


 いたずらっぽく微笑むユウに、ゲンキはこそばゆいような気持ちになる。


 飲みたくないのではない。

 ユウが見ている前で口をつけるのが、どうにもためらわれたのだ。


 嫌悪感ではない。それは間違いない。

 ただ、どうしようもなく気恥ずかしいのだ。


 ソラタとの回し飲みなら、おそらくまったく気にしなかったはずだ。

 なのになぜ、ユウ相手だと、こんなに気になってしまうのだろう。


 今までまったく意識してこなかったはずなのに、さっきの電車での一件以来、なんだかユウの仕草すべてに反応してしまう自分を、ゲンキはどうしようもなく自覚させられていた。

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