性教育:わたしのこころ編

変わったひと、変なひと

第24話︰俺は、男で勃てる変質者?

「……なあ、ユウ?」


 今日もゲンキたちのことを待っていたユウは、いつもに増して楽しげだった。

 いつものように、ゲンキの右隣はソラタ、そして左隣にユウ。特に話すことが増えたわけでもないのだが、ユウは妙に嬉しそうだった。


 ゲンキの方は、昼間に背中を打ったり足をくじいたりしたはずのユウが、なぜこんなに楽しそうなのかが理解できない様子だった。

 ときどき転びそうになるユウを支えるたびに、ユウが嬉しそうに微笑むのを見て、いちいち心が搔き乱されて、なんとも不思議で複雑な思いになっていた。




 放課後、保健室に呼び出されたゲンキは、更科さらしな先生にいろいろと聞かれた。

 ひとつはユウの怪我について。もう一度状況整理のためだったが、結局は誰のせいでもなかったこと、何よりユウが問題ないと主張し続けていたことから、不問になった。


 そして、もうひとつ。


『ゲンキさんは、ユウさんのお友達なのよね? その……ユウさんについて、なにか変わっているとか、そういったことを感じたことは、ある?』


 変わっているかと聞かれたら、間違いなく変わった奴だとゲンキは思ったし、だから思った通りに答えた。変わった奴です、と。


 なにせ、ゲンキのマスターベーションを見たがり、しかもわざわざ事後の自慰器具のにおいを嗅いでみせたりしたくらいなのだ。間違いなく変な奴だろう。

 さすがにそんなことまでは、養護教諭とはいえ、先生になど言えるはずもなかったが。


 だが、それでもユウは、ゲンキのトモダチだ。いつも隣でニコニコしている変な奴だが、トモダチなのだ。この三カ月、一緒に学び、話し、たまに遊んだ、大事なトモダチなのだ。


『そう……あなたにとってユウさんは、大事なお友達、なのね?』


 更科先生は、どこか含むような言い方ではあったが、最後には静かに微笑んだ。


『じゃあ、これからも、大事にしてあげてね? 確かに変わったところはあるかもしれないけれど、ゲンキさんがユウさんのことをお友達だって思っているように、ユウさんもゲンキさんのことを、大事なひとだって思っているから』


 更科先生は、ユウにとって、ゲンキをトモダチではなく「大事なひと」と表現した。あえて使い分けたことが、ゲンキの中で、妙に引っかかっている。なぜこんなにも引っかかっているのかは、よく分からなかったが。




 ソラタと別れて電車に乗ってすぐ、ゲンキはユウに聞いた。


「なに? けがのこと?」

「……背中とか、足とか。頭とか。ホントに大丈夫か、お前」

「大丈夫だってば。ゲンキ、そんなにボクのこと心配してくれてるんだね。うれしいよ」

「いや、嬉しいとかじゃなくてさ」

「うれしいよ? だって、ゲンキがボクのこと、心配してくれてるんだから」


 いつものようにドアにもたれかかりながら、ユウはゲンキを見上げて微笑む。ただし、右手を下腹部に当てるようにしながら。


「……腹が痛いのか?」

「え?」

「いや、腹が痛いのかなって。――ほら、ずっと、腹を押さえてるから」


 ゲンキに問われ、ユウは慌てた様子で腹から手を離すと、それまでとは違ったひきつった笑みを浮かべた。


「あ――え、えっと! ほらボク、おなかこわしやすくて! エアコンが入ってるとさ、おなか、冷やしちゃうのかな! おなか、痛くなっちゃうときがあるんだよね! あは、あははは……!」


 今までだって、何度かあったでしょう?

 そう言ってしらじらしく笑うユウに、ゲンキはむっとする。


「……だったら早く言えよ。次の駅で一度降りる」

「ち、ちが――あの、そ、そんなこといいよ、ゲンキに悪いから! ボクががまんすればいいことだし!」

「なに言ってんだ。トモダチが、ハラ壊してるんだぞ。ほっとくわけないだろ」


 そう言って、ゲンキは席を見回す。空いている席は――ない。舌打ちをすると、ゲンキはユウに向き直った。


「悪かった。乗った時は、確か席がいくつか空いてたはずだったのにな。俺、ユウのハラいたに気づいてなかった」

「だ、だからゲンキが謝ることじゃないよ、ぼ、ボクが勝手におなか、こわしてるだけだから。ゲンキ、あやまらないでよ」

「……ごめんな」

「だ、だからゲンキ――」


 そのとき、バン、と隣の路線の電車が駆け抜けてゆく。一瞬ドアが揺れて、ユウがバランスを崩す。


「おっ……と」


 ゲンキはユウを、ごく当たり前のように受け止めた。

 ユウの華奢な体が、ゲンキの腕の中にすっぽりとおさまる。


 前にもかいだ匂いだった。

 制汗スプレーだろうか。ゲンキの鼻をくすぐる、わずかに香る甘い匂い。


「わふ……」


 ユウが、ゲンキの胸に、体を寄せる。

 シャツの襟周りの隙間から見える、ほっそりとした、その、白いうなじ。首筋。


 昼に目にした、あのなまめかしい白い肌が、わずかに振り向いた時に見えた桜色の尖端が、フラッシュバックする。

 下半身が、その一点が、どうしようもないままに、一気に熱くなる。


「……げ、ゲンキ――?」


 戸惑うように、ゲンキの顔と、そして、とを、交互に見比べるようにするユウに、ゲンキは例えようもない恥辱を覚えた。


 ――悟られた!!


 当然だろう。密着した状態で、硬いものが急にズボンを押し上げて来たら、男なら誰だって何が始まったか理解できるはずだ。


 ゲンキは慌ててユウに背を向けた。

 男友達と密着していた、その瞬間にててしまうなんて!

 ユウは間違っても関係ない、はずだ。それなのに状況が状況だった。

 これじゃまるで、男で・・ててしまった変質者みたいじゃないか!


「ゲンキ……?」

「な、なんでもない、なんでもないんだ……ちょ、ちょっと、その……ホント、なんでもないから……!」


 気まずい、永遠とも思える瞬間を、ゲンキはまさに針の筵に座るかのような思いで、ただ過ぎるのを待つしかなかった。

 はやく収まれ、収まれ、収まってくれよ……!

 鞄で下半身を隠すようにしながら目を閉じて念じ続けるが、かえって頭の中にあの真っ白な裸身がやたらと鮮明に浮かび続けてしまう。


 夏の昼間の保健室、光はそんなに差し込んでいなかったはずだ。

 それなのに、あのなまめかしい白い背中が、

 振り向きかけたときの一瞬見えた少し上向き加減の乳房が、

 異常なまでに美しいものとして、

 輝かんばかりに、

 ゲンキの脳内を侵食し続ける。


「ゲンキ……ごめんね? ボク、またなにか、ゲンキの気に障ったこと、しちゃったんだね……?」


 か細く、震える声に、ゲンキはなにも返せなかった。

 だから、次の駅到着のアナウンスが流れ、ブレーキによる負荷で足を踏ん張らねばならなくなったとき、本当に助かったと感じた。

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