第23話:ふわりとゆれた、桜色の尖端が

『あの、ゲンキ、ほんとにいいから、おねがい、ボク、自分で歩けるから』


 困ったように訴え続けるユウを背負って歩いてきたゲンキは、トイレの前で、ユウが出てくるのを待っていた。

 すでに本鈴が鳴ってしまって、誰もいない廊下。

 もちろんトイレにも、ユウ以外は誰もいないはずだ。


 あのあと、ユウは股の間をひどく気にした様子で、自分の机のなかでなにやらごそごそやったあと、取り出したもの――やたら分厚い、折りたたまれたハンカチのようなもの――を急いでポケットに収めると、「本当に、大丈夫だから」と脚を引きずりながら一人で廊下に出ようとした。

 そのため、ゲンキが有無を言わさずおんぶしてきたのだ。


 で、消え入りそうなか細い声で「お手洗いに行きたい」というので、今、トイレの前で待機中。なかなか出てこないのはということかと、ゲンキはなんとなく考えながら待っていた。


 やがて派手に水を流す音が聞こえてきて、足をかるく引きずるような音と共に、ユウが出てきたようだった。しかし、なにかぐるぐる歩き回っているみたいで、なかなか出てこない。ゲンキがのぞき込むと、ユウは手に白い、折りたたまれたハンカチのようなものをもったまま、うろうろしていた。


「なにしてんだ?」


 ゲンキの言葉に小さな悲鳴を上げたユウは、手に持っていたものを慌てて後ろ手に隠す。


「あ、いあ、え、えっと……お、おぶ――ごみ箱は、ないかな、って――」

「ゴミ箱?」


 ゲンキはすぐに、ユウが手にしていたものを思い出す。


「トイレットペーパーの芯か? それならほら、洗面台の下にゴミ箱があるだろ、そこに捨てろよ」

「え、こ、こんなところに!?」

「ゴミなんだろ?」


 ユウはひどくうろたえていた様子だったが、やがてあきらめたように力なく笑うと、「ご、ごめんなさい――」と、自分の体でゲンキの視線を遮るようにして、後ろ手に、手にしていたものをゴミ箱に捨てた。


「……ほら。もう授業、始まってるから、急ぐぞ?」


 黙って背中を向けてかがむと、ユウがためらいがちに背中におぶさってくる。


「……ごめんね? ゲンキ、重いよね?」

「軽すぎだ、お前もっと筋肉つけろよ」

「……でも、重いでしょ?」

「重くなんかない、それより打ったところ、大丈夫か?」

「大丈夫だよ、痛むのは、背中と、足首くらいだから……」

「だから頭は打ってないかって」

「大丈夫だってば……。ゲンキは心配性だね」

「お前、ひょろっちいからな。すぐ折れちまいそうだし」


 ゲンキの軽口に、ユウは小さく笑って、もう一度、「ごめんね」と繰り返した。




「あらあら、ユウさん。どうしたの? それとあなたは――ええと……ユウさんがよく話してくれる、お友達のゲンキさんかしら?」


 保健室の更科さらしな先生が、二人を出迎える。


「……ユウは、保健の先生と仲、いいのか?」

「そうねえ。よく来てくれるから」


 更科先生は二人をベッドに誘導すると、まずはユウをベッドに腰掛けさせた。ユウとゲンキからそれぞれ簡単に話を聞くと、すこしだけ厳しい顔をした。


「もしかしたら、放課後にでも話を聞くかもしれないけど、またそのときは教えてちょうだい」

「先生、あの、ゲンキはなにも……」


 ユウが何かを言いかけるが、更科先生は口に人差し指を立てた。


「とりあえず今は授業中だから、まずは授業を頑張らなくちゃ。ゲンキさん、ユウさんを背負ってここまで連れてきてくれて、ありがとう。ごくろうさま。ここから先は先生が診るから、教室に戻っていいわよ?」


 言われて、ゲンキは無言で頭を下げて保健室を出た。


 教室に戻りかけて、しかし、先程言われたことが気になったこと、そしてユウが頭を打っているおそれがあることを言いそびれていたことをゲンキは思い出した。


 ――どうしようか、伝えるべきか。いや、俺が言いそびれていても、ユウがちゃんと言うだろう。

 いや、万が一俺に関わって不利なことになったらとか考えて、大丈夫とか言い張って、言わないなんてことはないだろうか。


 しばらく廊下を行ったり来たりと迷っていたゲンキだったが、最終的にはくるりと向きを変えた。せめて後者は、一応伝えておこうと思ったのだ。


 保健室に入ろうとして、声が漏れ聞こえていることに気づいた。ゲンキが、ドアを閉めそこなっていたためだろう。ゲンキは、そっと扉に近づいた。


「……それで、好きなのね?」

「……、……」

「そっか……そうなのね。そのことは、もう伝えたの?」

「……、…………、……」

「伝えたけど、伝わったかどうかは分からない、か……。むずかしいわね」

「……、……、……」

「泣かないの。気持ちは、いつか必ず伝わるから。ただ、相手がどう受け止めるか、それは――」


 更科先生の声はそこそこ聞こえるが、その先生の相手の声がぼそぼそしていて、なにを話し合っているのか、よく分からない。


 ドアの隙間からそっと覗くと、先生の隣には、ほっそりとしたうなじ、ちいさな白い肩、しかしそれまで包帯でもきつく巻きつけていたかのように横筋が浮かぶ背中――滑らかで美しい白磁のような肌、そんな上半身をさらしたが、そこにいた。


 どくん。


 ユウを背負ってきたときなどよりも何倍も強烈に、心臓が自己主張を始める。


 綺麗だ――もっと見たい。

 そればかりが脳内を駆け巡る。動画で見たことがあるどの裸身よりも、何倍も美しく輝いて見えるそれを。


 しかし。


「……だれかいるの?」


 更科先生の声に、ゲンキの心臓は違う意味で跳ね上がる。ゲンキは慌てて、保健室の前を離れた。


 自分の教室の前まで戻ってきても、まだ、動悸は収まらなかった。席に戻っても、なお。


 あの、白い裸身は、だれだったのだろう。

 更科先生がこちらに声をかけた――その瞬間、が身をよじりこちらに体を向けた瞬間。


 わずかに見えた、あの胸のふくらみ――ゲンキ好みとはいえない、決して大きくはないそれが。

 差し込む光の中で、輝かんばかりの白い肌、そのふくらみの、ふわりとゆれた、桜色の尖端が。


 それが脳内を強烈な勢いで駆け巡り続けて、自分の中心部がどうしようもなく猛り狂ってしまうのをどうにも抑えられず、ゲンキは頭を抱えながら、しかしそれでもその瞬間を忘れまいと、何度も繰り返し、頭の中で再生し続けた。

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