第15話:ゲンキに『壁ドン』されてるみたいで
駅でソラタと別れたゲンキとユウは、一緒の電車に乗っていた。
どうも、平日ながらアイドルかなにかの路上イベントがあったらしく、電車の中は、朝の通勤ラッシュほどではないがずいぶんと混んでいた。
ゲンキとユウの周りを埋め尽くす乗客たちは、そのアイドルグループのファンらしく、なにやら冷めやらぬ熱に浮かされるように、誰がどうのと語り合っている。
そのため、朝と同じようなドアの前で、二人で立っていた。
「体調は大丈夫か?」
「だいじょうぶ、だよ。――ゲンキは、心配性だね?」
「遊具の上で二度もフラフラ落ちかけたし、熱もありそうだし、心配するに決まってるだろ」
「だいじょうぶだってば。なんなら壁際、代わろうか?」
「いいってそのままにしとけよ」
「いいよ、ボクが病人だって誤解されたままってのもいやだし」
ユウの申し出をやんわりと断り、ドアに肘をつくようにして、後ろからのアイドルファンたちの圧力に耐えるゲンキ。
「……ほらな? こんな連中の側に今のユウを任せたら、今度が俺がユウごと押しつぶされる。お前には任せられねえ」
「……だけどね? なんだかボク、ゲンキに『壁ドン』されてるみたいで、落ち着かないんだよ」
顔近いし――そう言って、困ったように微笑むユウに、ゲンキも何かに気づいたようで、肘をつくのではなく、身を起こして手のひらでドアに寄りかかるように改める。
「……あ、で、でも、疲れてるなら、さっきのでいいん、だよ?」
「……どっちがいいんだよ、ユウは」
肉体的にというより精神的に疲れたといった様子のゲンキに、ユウは、
「……ボクは、べつに、どっちでも――」
そう言いながら顔を背ける。
と、そこへ電車がガタンと揺れ、背後の肉の壁の圧力が高まったゲンキは思わずつんのめり、結果、ユウの両肩をふさぐように、両肘でかろうじて体を支えることになってしまった。
「……ユウ、大丈夫か?」
「ぼ、ボクは、だい、じょう、ぶ……」
背後からの圧力で、ひどく密着してしまったことを、ゲンキは実感してしまった。ユウを押しつぶす、とまではいかなくても、ユウに圧迫感を与えてしまったのは間違いない。
一応、短距離選手として鍛えてきた体だ、多少のことがあっても大丈夫という自負心があるのに対して、ユウはこれといったスポーツをしていないらしいのだ。男同士とはいっても、弱い奴を守るのが鍛えている者の義務だと、ゲンキは思っている。
思っているのだが、下半身を襲う強烈な痛み、不快感――!
あれだ、きっとユウが両手で持って提げている、あの鞄だ。
きっとあの圧迫されたあの瞬間、あの鞄で打ったのだ、ゴールデンボールズを!
ユウは、さっきまでと違ってうつむいていた。どこか痛めたのだろうかと、ゲンキは不安になる。自身の下腹部にずしんずしんとくる不快感と戦いながら、それでもゲンキは無理矢理笑顔を作ってみせた。
「ユウ、だ、い、じょうぶだったか? ど……っか、痛むところ、あったりしないか?」
ゲンキは、我ながら絞り出すような声に、自分の方が大丈夫じゃないよと笑い飛ばしたくなる。
ユウもその様子に気づいたか、顔を上げて、そして、脂汗まみれのゲンキの顔に気づいた。
「……ゲンキ、すごく具合、悪そうだよ……? ゲンキの方がだいじょうぶじゃないんじゃないの……?」
そう言って、鞄からポーチを取り出す。
ポケットティッシュのようなものがいくつも詰まっていた中からハンカチを取り出すと、ゲンキの顔を拭き始めた。
「大丈夫だって……。それよりそのハンカチ、汚れるからいいって。使うならティッシュでいいから」
「ティッシュで人の顔を拭くなんてやだよ、だってゲンキの顔だよ?」
ユウが何にこだわっているのか知らないが、ゲンキは申し訳ない思いだった。
ユウのことをひょっとしたら何も知らなかったのではないか――そう感じた今日だったけれど、いまユウが顔をふいてくれているそれは、ユウのお気に入りのハンカチだということくらいは知っている。
いつもユウはそのハンカチを自分で洗ってアイロンをかけて、毎日持ってきているのだ。いつ頃から使っているのかは覚えていないが、シンプルなデザインに、「G&Y」と刺繍されたそれ。ゲンキはそれを折に触れて目にしてきたから、ユウがそれを気に入っているらしいということくらいは分かる。
親が洗い、干したあと洗濯かごの中に放り込まれたくしゃくしゃなそれを適当にたたみ、くしゃくしゃのままポケットに押し込んでくるゲンキのハンカチとは大違いなのだ。
「……ユウ、いいって。さっきのポーチ? の中、ポケットティッシュ、いっぱい入ってただろ? それでいいから」
「ポケットティッシュ? そんなのいっぱいなんて入れてないよ?」
「じゃあ、ウェットティッシュだったのか? なんでもいいよ。俺、グランドの土で汚れてるはずだし、ハンカチが汚れるから――」
「ハンカチは洗えばいいからさ。それより、脂汗が止まらないよ……。ゲンキ、ほんとにどこか具合、悪いんでしょ? どこか痛いの?」
ゲンキは一瞬、逡巡し、そして、情けなさそうに笑いながら言った。
「ごめん、きたねえ話だけど、多分さっき押されたとき、ユウの鞄の端かどっかで金玉打って、腹がいてえんだ……」
「……え?」
ユウが目を丸くする。
何度も自分の手元とゲンキの顔で、視線を往復させながら。
「だから、別に、体調が悪いってわけじゃないっていうか、……わかるだろ? 金玉打った時の、あの腹に響いてくる、エグいハラいた……」
そう言って、もう一度、情けなさそうに笑うゲンキ。
ユウはしばらく視線を逸らすようにしていたが、やがて下唇を一度、噛むような仕草を見せてから、そっと、ゲンキの耳に顔を近づけて、言った。
「……ごめんね、ゲンキ。……その、きっと、鞄じゃなくて、ボクの手だと思う。その……」
ユウは瞬時ためらい、そして、声をより潜め、口を近づけて、続けた。
「ゲンキのおちんちんに、さわっちゃったの……」
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