8-4


 背後から光が射した。

 大地が揺れ、その直後、村のほうから衝撃音が聞こえ、続いて衝撃波があたり一帯を吹き飛ばす。光の方角から大量の土埃が発生し、村の外にいたジードの所まで流れてきた。

 二人の戦いに介入することができず、ジードはリットの安全を確保しようと戻ってきていた。しかしリットはいなかった。


 辺りを探したが、見当たらない。

 リットを眠らすのに使った魔法は、普通であれば半日は眠ったままのはずだ。リットの向かう先は村しかない。


「……何やってんだ、俺は」


 ライズとの約束を破って村に戻ったのに、何もできない。

 守るべきリットも見失ってしまった。

 誰の役にも立てず、自分だけが空回りしている。


 バズたちにさらわれた妹のルシアを救いたい。そのためなら命も惜しくない。そんな決死の覚悟でシリウスを裏切った。

 バズをアラキアに入国させる理由作りに加担した。

 ライズの命を狙った。だが、まるで敵わず、そのライズに命を救われた。

 ライズとリットの穏やかな生活を壊し、リアの村人たちは惨殺されてしまった。ジードは己を責めた。






──かなしいことがあるの、もうすぐ






 王都で会った名前の無い少女の言葉が脳裏に浮かぶ。


 かなしいこと。

 それはきっと人が死ぬということだ。


 大抵の後悔は取り戻せる。

 過ちは償うことができる。

 しかし、死を伴うものは、取り返しがつかない。死者は生き返らない。どんなに努力を重ねても、魔法の力をもってしても。


 ジードは、バズの従者から計画を聞かされ、それを引き受けることを決めた(選択せざるを得なかった時から、人が死なずには終わらないと思っていた。


 命を落とすのは、ライズかバズ、またはジード自身だと思っていた。

 ところがジードは殆ど危険に遭遇することなく、今も一番安全な場所にいる。このままゼノン公国に帰れば、妹に会える。


 ライズはバズと戦わなくてもよかったのだ。

 逃げることもできた。

 それなのに戦うことを選んだ。なぜだ。大切な娘を預けてバズと戦う意味は? 負けない自信があったから? 違う。


 ライズはジードの事情を知っていた。

 ジードの役目はバズたちを村に導くことだ。バズの目的はライズと戦うこと。ライズが逃げ出せば、ジードが役目を果たしたとしても計画は失敗だ。さらわれた妹のルシアの安全は保障されない。

 一〇〇%ライズがジードのために戦っているとは言えない。しかし、戦う理由にジードのことが加わっていることは間違いなかった。


 何もかもが最悪の方向に進んでいる。

 ジードは近くにあった木の幹に自分の額をぶつけた。何度も、何度も。額の皮がめくれて血が流れた。

 モジュレータを操作し、両手で握る。魔法の刀身を創り出す。額を打ち付けた木を一刀のもとに斬り倒した。


「悪い、ルシア。俺はここで死ぬかもしれない」


 刀身を消し、ジードは再び村に走った。

 まずはリットを探した。小さな女の子の子どもの死体を見つけるたび、心臓が止まりそうになった。リットの名前を呼んだ。返事はなかった。


 ライズの家に行ってみた。

 ドアが開け放たれていたが、屋内には誰もいなかった。


 家を出た瞬間、目の前を高速で氷の刃が横切り、家の壁に突き刺さった。

 ローブを身にまとった細身の男が立っていた。

 短い杖を強く握りしめている。背が高く、ややウェーブがかった髪が風に揺れていた。惨劇の場所には似つかわしくない、女性のような端正な顔立ちの男だった。


「誰ですか、これをやったのは」


 男の声は明らかな怒気を含んでいた。


「誰だ?」


「質問に答えなさい。これをやったのは、誰ですか!」


「シリウスの使いか」


 ローブの紋章を見てジードは言った。


 男は、目では捕らえきれないほどのスピードで指を動かし、手に持った短い杖の先からジードの背後にある家と同じくらいの大きさの巨大な氷の塊を放った。横に飛んで避けると、男は杖を持たないほうの手で短刀を抜いて全速で走る。心臓を狙って、短刀の切っ先を突き出す。ジードはモジュレータでそれを受けた。

 氷の塊が激突した家は倒壊した。


「危ないな、お前」


「これを見て……正常でいられますか。誰がやったんですか。あなたじゃないことはわかります。キレそう……なんです、早く……教えてください」


「落ち着け。話はそれからだ」


「……」


 男は短刀を仕舞った。険しい顔のままだったが、呼吸を整え、


「……わかりました」と静かに言った。


「名前は?」


「シオン。ライザ様の命で来ました。あなたのことは知っています」


「悪いがこの状況を詳しく説明してる時間はない。やったのはゼノンのやつらだ。だがいま生き残ってるのは、バズ=クラーゼンだけだ。さっきまでライズ様と村の中央付近で戦ってた。決着したかもしれない。俺はライズ様の娘のリットって子を探してる。瞳の白い金髪の子だ」


「……そうですか」


「探すのを手伝ってくれないか」


「あなたの話が本当なら、その必要はありません。その子に危険はないはずです。バズを殺せば。リットという子は、そのあとで探せばいいです」


 シオンの言う通りだった。

 リットは村を見てショックを受けているかもしれない。しかし、バズを倒してライズが生きてさえいればなんとかなる。そう思えた。


 二人は、ライズとバズが戦っていた場所に急いだ。



*****



 ライズは声のした方にリットの名前を叫んだ。

 声を出すだけで全身に痛みが走る。体が千切れてしまいそうだった。しかしライズは、娘の名をもう一度呼ぶ。


「う゛ぅ……おがあ……ざん……」


 遠くからリットが駆けてくる。真っ赤な顔をしていた。泣いていた。走り、でこぼこの地面につまづいて転ぶ。

 ライズにリットの元まで走る力は残っていなかった。一歩、一歩と引きずるように足を動かす。

 リットは立ち上がる。そしてまた駆け出す。


「おがあさんっ!!」


 両膝をついて、ライズは待った。笑みが漏れた。広げた両腕の中にリットが飛び込んでくるのを待つ。ほんの数秒であるのに妙に長い時間に感じられた。


 しかし。

 リットがライズに抱きつく寸前──深い闇が二人を包んだ。


 それは影だった。

 バズがライズの背後に立っていた。

 鎧はヒビだらけで、左肩から胸にかけては肌が大きく露出している。兜もない。何かの破片が頬に突き刺さっていた。左腕の手首から先が無く、骨が剥き出しになっている。切断されたというよりは、強い力でねじれ切られたような断面だった。


「終わりだ」


 バズの剣がライズの左腕を斬り飛ばした。『ルイン』ごと左腕は回転し血を散らしながら数メートル先に落ちた。

 次にバズは、ライズの背中から胸を貫いた。


 飛び込もうとした母の胸から、蒼い剣先が出てきて、リットの喉をかすめる。刀身を血が伝ってリットの右側の肩の上に落ちて流れた。

 リットは母の血を浴びた。


「逃げ……なさい……」


「……みんな……死んじゃって……たの」


 リットは涙声でそう言った。

 ライズの口元から血があふれた。


「……は……やく」


 バズによって剣が引き抜かれると、ライズの胸と背中から血の塊が吹き出した。ライズは膝をついた姿勢を崩し、倒れた。

 リットの瞳からは涙が止まり、ただ大きく目を見開いている。


「……」


 バズは剣を構え、


「その苦しみから解き放ってやろう」と感情のない口調で言い、リットに剣を向けた。


「……夢……だよ……こんなの」


「現実だ」


「嘘……だよ」


 リットはライズの背中に手を置いた。まだ温かかった。止め処なく血が流れている。ライズは全く動かない。血だまりが大きくなっていく。

 リットの白い瞳から大粒の涙がこぼれた。


「魔女は死んだのだ!!」


 そう言い放った途端、バズは見えない強い力で後方へ弾き飛ばされた。なんとか受身を取って、立ち上がる。

 血まみれのライズも同様に何かに飛ばされ、全身を地面に叩きつけられた。


「うあぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁあぁぁ!!」


 唐突にリットの右足首のモジュレータが砕け散った。

 ジードと二人で取りに行ったメルト石が入っている皮袋が輝き出す。中から光の粒子が溢れ、リットにまとわりつくように体を覆い始める。


 バズは言葉を失った。

 光の衣を身にまとうリットの姿は神々しく、幻想的でさえあった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る