8-3


 ──お母さんは、たくさんの人たちを魔法で殺してしまったの

 ──それは、戦争を終わらせるためには必要なことだったんだけど

 ──お母さんにとっては、とても辛くて悲しいことだったんだよ

 ──お母さんは、本当は自分の力がすごく嫌いで

 ──戦争のことで今も心を痛めているの

 ──だからね、私が魔法で色んな人を助けてあげるの

 ──アラキアの人もゼノンの人も。だって、同じ人間なんだし

 ──お母さんが死なせてしまった分、私が大勢の人を救ってあげたいんだ

 ──私は、アルファだけど……それでも、なにかができると思うんだ

 ──アルファだって、頑張れば色んなことができると思うの





 リットの言葉の数々をジードは思い出していた。

 隠していたモジュレータを取り出す。剣の柄のカタチをしたそのモジュレータに名前はない。シリウスがギルドと呼ばれていた時代に首領であったライザから渡されたものだ。


 魔法よりも剣を扱うのが好きだった。憧れの騎士がいた。その騎士は少年時代に読んだ外国の伝記の中にいた。数々の魔物を倒し、王を救い、国の民を救った。本の中の騎士はどんな時も諦めずに戦った。そして一度も負けなかった。

 自分もそうなりたいと思った。

 ジードは七年前の戦争では国を救うために戦い、その勝利に貢献した。しかし胸に残ったのは深い哀しみだけだった。


「くそっ!」


 ジードは眠っているリットを背負い、リアの村に向かって駆け出していた。空に吸い込まれていく黒い煙を目標に、深い森を猛然と進んだ。

 村に近づくと音を立てないように早足で歩いた。途中でリットを背中から下ろし、柔らかな草地に寝かせた。


 ジードは村に入った。

 ライズが帰ってくるなと言った理由はすぐにわかった。


 もうそこは村ではなかった。

 むせ返るような強烈な血の臭いが吐き気を誘う。無数の死体。赤い地面。切断された腕や足、指、頭部、皮膚の切れ端、身体のどの部分なのかわからない肉塊や臓器、髪の毛の塊、そういったものが方々に散らばっていた。


 そこに抵抗の痕跡はなく、生きた人間はいなかった。

 ジードはさらに歩いた。

 かつて戦場で見た凄惨な光景とは違う。まったく違っていた。本当に人間がこの惨状を作り出すことができるのか、そう思うほど酷い有様だった。


 足首まで浸かってしまうほどの血だまりが幾つもあった。家が何件か燃え、激しい炎と煙を上げていた。村の中心に近づくにつれ死体が増えていく。途中、鎧を着た男の死体を見つけた。バズの部下だった。喉を刃物で切り裂かれていた。


 遠くで建物が崩れる音が聞こえた。村の中央にある井戸の方向からだ。ジードは走った。

 そこでは剣と魔法が交錯していた。

 ライズとバズは互角の攻防を繰り広げていた。


 ジードにはその様子が不思議でならなかった。だが、ライズの放った炎の弾をバズが避けもせず鎧で防いだのを見て、即座に理解した。

 バズには魔法が効かないのだ。おそらくあの全身を覆う黒い鎧のせいで。

 バズがライズを追い、凄まじい剣速で返す返す刃を繰り出す。ライズはどうにか距離を取ろうとしたが、離れそうになるとバズは一気に間合いを詰めてきた。


 バズが間髪を入れずに攻撃をし、ライズがそれを素早い動きで避ける。ライズは目の前の剣戟に意識を集中しながらも、巧みに印を結び、数々の魔法で応戦した。ただし放出系の攻撃魔法はバズの防具には無力だったので牽制に使い、ソークの殆どは身体能力の向上と攻撃補助と防御に充てた。そのせいで体への負担が倍増し、動くたびに全身に激痛が走った。


 第三者が割って入る隙などない。

 二人は自分の信じるモノの為に、己の全生命を賭けて戦っていた。その激しい戦いには、見る者を恍惚とさせる何かさえあった。


 徐々にライズはバズの攻撃に押されていった。攻撃を返す回数が極端に少なくなり、ただ避けるだけの防戦一方な時間帯が続いた。

 ライズは待っていた。ソークが極限まで溜まるのを。


『ナベルスの爪』


 使おうとしている魔法は、高ランクのライズの器の中にでさえひとつしか入らない、巨大で強力な魔法だ。本来は人間を相手に使うようなものではない。小さな街なら瞬く間に壊滅させてしまうくらいの威力がある。


 僅かずつだがバズの動きも疲労で鈍くなってきている。しかし肌の露出の少ない全身鎧を着ているバズの間隙をついて致命傷を与えるのは困難だった。それなら絶対的な威力の魔法で決着をつけようというライズの意図があった。もはや村への被害を考える必要もない。


 ライズは『ルイン』でバズの剣戟を受け流し、魔法の準備ができるまでに距離を確保しようと動き回った。


 至近距離で放てば自分も巻き込まれてしまう。

 なかなかチャンスは訪れなかった。

 じきに自分にかけている魔法が切れてしまう。時間はなかった。ライズは『ナベルスの爪』が入っている器内の殆どない空き領域に『照明』の魔法を新たに落とした。


 その時──

 ライズに幸運が訪れた。


 痺れを切らして大きく踏み込んできたバズが、地面に足を取られてバランスを崩し──ライズはすかさずバズの顔面に『照明』の魔法を放つ。


「ぐおおぉぉ!」


 バズはデタラメに剣を振り回しながら後方に跳び、兜のバイザーを上げる。ライズも後ろに大きく跳び、バズとの距離を確保した。二人は三十メートルほど離れた。


『ルイン』が鳴動した。


 ライズはコンソールでパスワードを入力する。

 轟音とともに現れたのは、とてつもなく大きい曲刀の刃のようなものだった。それが等間隔に四枚並び、刃先をバズのほうに向けて浮いていた。百メートルをゆうに超える高さで、厚みは五メートルほど。黄金色に発光し、表面ではバチバチと不規則に放電を繰り返している。


『ナベルスの爪』という名の通り、それは確かに爪のように見えた。


 ルインの甲の部分にある球体が赤く輝き出す。

 バズが視力を取り戻すまでは五秒とかからなかったが、充分な時間だった。ライズは左手をまっすぐ伸ばし、バズに向ける。


「……なんだ、それは」


 いきなり目の前に現れたそれを見上げ、バズは呟く。

 ライズはナベルスの四本の爪すべてを放った。

 何件もの家と木々や死体を巻き込み、村の三分の一と森の一部が消し飛び、大量の土煙が村を包んだ。


 逃げることも叫ぶ間もなく、バズは激しい衝撃の渦中に消えた。

 土煙が去った後、広範囲にわたり深くえぐれた地面があらわになった。それは四本の巨大な爪痕に見えた。


 魔法で生じた爆風でライズは十メートル近く吹き飛ばされた。

 よろよろと立ち上がり、家の壁にもたれかかる。呼吸を整えようと深呼吸をしたが効果はなかった。

 疲労と痛みは限界に達していた。


「二人とも……ちゃんと逃げ……たかしら……」


 モジュレータを操作して確認する力さえ残っていなかった。土煙がおさまって現れた魔法の痕を眺める。

 バズの姿はない。

 えぐれた地面をしばらく見ていたが特に変化はなかった。


 どこからか泣き声が聞こえた。

 耳に入ったその声で、途切れそうなライズの意識が繋ぎ止められた。リットの声だった。


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