第15話 登校
もう病院生活とはおさらばか。
頭にたんこぶができたのは気にしないでおこう。今も若干痛むけど、あの看護師は本当に容赦ない。
最後の朝食を食べて、病衣から私服に着替えた俺は、下で待つ母親のもとに向かった。
あの日の夜、無事に帰って来れたのだが、病院の出入り口にはあの看護師が仁王立ちで待っていた。
俺と不死宮さんが病院をすんなりと抜け出せたのには、妹尾さんが俺たちを見守るという条件で、あの看護師を説得していてくれたからだった。
「光里、楽しかったわ。また私を連れて行って」
不死宮さんは無邪気に笑う。その後ろで、車椅子を引くあの看護師の目は笑っていなかった。
なので俺は頷くこともできず、ただ笑って誤魔化した。
担任の先生から体調に問題なければ、退院後、すぐに登校してほしいと連絡があった。
体調不良を装うかと思ったけど、そんなことは母親が許してくれるはずもなく、車中で制服に着替えてそのまま登校だ。
久しぶりの学校。
登校してすぐに職員室に行かされ、そのまま担任と話をした。
まず言われたのは宿題が溜まっていることだった。提出期限は過ぎていたけど、そこは免除になり、出来次第、それぞれの担当教科の先生に提出という形になった。
できれば宿題そのものが免除になってくれると嬉しかったんだけど、そんなに甘くはなかった。
1時限目が終わったタイミングで教室に入った俺は、窓際の1番前の席に行き、教科書やらノートやらを机の中にしまった。
「久しぶり!」
後ろから声をかけてきたのは、同じバスケ部の
背が高く、いつも明るい笹倉は、俺の右腕を軽く叩いてくる。
「トラックに轢かれたって聞いたぞ! よく骨折だけで済んだなー!」
「骨折というかヒビが入っただけよ」
「まじか! 意外と頑丈なんだなぁ人間の骨って」
「当たりどころが良かったな」
本当は入院までする必要はなかったんだけど……でも、お陰で不死宮さんと出会えたし、これはこれで。
「お前がいない間に、隣のクラスに転校生が来たぜ。それも女子でさ、めっちゃ可愛いんだ!」
「そうなんだ」
「何だよそのテンション。見に行かねぇの?」
「いや、もうすぐチャイム鳴るし」
それに俺はもう不死宮さんでお腹がいっぱいだ。どんな感じの子なのか少しは気になるけど、まずは溜まりに溜まった宿題をどうにかすることだ。
久しぶりの授業はもちろん進んでいて、特に数学は絶望的だった。初めて見る公式、問題文、俺だけ習っていないため解けるはずもなかった。
それから昼休憩に入った。
食堂は相変わらず座る席がないほどに人が多くて、仕方ないので購買でパンを買って教室に戻ることにした。
焼きそばパンを片手に階段を上っていると、踊り場でたむろしている数人の男子生徒の話し声が聞こえてきた。
「お前告ってこいよ」
「は? 何で俺なんだよ。絶対振られるに決まってるじゃん」
「じゃあ俺行って来ようかなぁ。転校してきたばっかだし、今がチャンスだろ」
笹倉が言っていた可愛い転校生のことだろう。確か隣の2組にいるって言ってた。俺は1組だから、必然的に2組の教室の前を通る。
食堂にいたかもしれないけど、少しだけ見てみるか。
同級生の顔を全員把握しているわけではないので、パッと見ただけでは誰が転校生なのかわかる自信はない。だけど、可愛いのならそこそこ目立ってるはずだ。
俺は教室に戻るついでに、2組の様子を伺った。開いている扉に顔を向ける。
教室内の真ん中にやけに騒がしい集団がいた。誰かを取り囲むようにして、男子生徒、女子生徒たちが仲良くお弁当やパンを食べていた。
その集団の隙間、明らかに周りと違う女子生徒がいた。転校生だとすぐにわかった時、その子が俺を見た気がした。ちらっと、一瞬だけだ。
紅い瞳をしていた。カラコンかと思うくらいに紅かった気がした。
教室に戻って席に着き、焼きそばパンをかじる。
こっち見てたような……目があったような……改めて思い出そうとすると曖昧になっていく。
でも、確かに可愛かった。
商店街で歩いていたら目立つだろうし、スカウトされててもおかしくはない。そう思った。
「探したぜ」
口をもぐもぐさとせた笹倉がやって来た。
「なんかあったの?」
「いやそうじゃなくて、体育館でバスケしてるから誘いに来たんだよ。どうせ暇だろ」
「今日はいいかな」
「今日ってお前、一度も来たことないじゃねぇか」
「だって俺、幽霊部員だし」
笹倉はたまにこうして誘って来てくれるのだけど、部活なんてほとんど行ったことがないから、正直なところ笹倉以外の部員はわからない。それにまだ俺がバスケ部に所属してるのが不思議だ。
「そう言えば、転校生見て来たよ。確かに可愛かった」
「だろ! ちなみに女バレ入るって噂だぜ」
「へ〜、そうなんだ」
あんまり興味は湧かなかった。
笹倉は嬉しそうな顔が溢れていた。たまに女子バスケ部とも合同で練習することもあるみたいだから、笹倉はそれが楽しみなんだろう。
でも、一瞬だけだったけど、バスケするようには見えない感じの大人しい印象だったけど。
「学校行きたいなぁ」
不死宮さんは窓から見える校舎に向けてそう呟いた。
転校生の話をしたら、私も転校生になりたいと言った。
「今から学校行けないの?」
「いや、それは……」
後ろであの看護師が腕を組んで立っているから、行こう、とは言えなかった。それに、命を狙われているのなら気軽に誘えるわけもなかった。
「シイナ、少しはいいでしょ」
愛らしく見つめる不死宮さんに、あの看護師が少したじろいだように見えたが、気づいたように首を左右に振った。
「なりませんお嬢様」
「でも……」
「そ、そんな悲しそうな目で見つめられても」
「光里が守ってくれるわ」
「この男は頼りになりません。ただの人間です」
看護師の目はとても冷たいものだった。さっきまで不死宮さんに向けていた優しくて暖かさに満ちた瞳はどこかえ消え、絶対零度の眼差し。
俺は一体どれくらい嫌われているのだろうか……。
確かに頼りないのは自覚してる。命を狙っているのがどんな人なのか、その素性が全く分からない状態で、不死宮さんを守ることなんてできない。例えわかっていたとしても、胸を張って守れるとは言えない。もちろん、守る努力はするさ。不死宮さんが傷つくところなんて見たくないから。
なんて心の中でカッコつけていると、不死宮さんが俺の袖を摘まんできた。
「光里は頼りになるわ」
不死宮さん……なんて嬉しいことを言ってくれるんだ。でもけっこうプレッシャーなんだよね。
それから不死宮さんは学校に行きたいと説得するも、看護師は頑として曲げることはなかった。
「じゃあまた来るからね」
「絶対よ」
結局、学校に行かせてもらえずしばらく拗ねていた不死宮さんだったけど、少し機嫌が直ってきたようで、病室を出ようとする俺に手を振ってくれた。
外はすっかり明るさを失って、月や星が輝いていた。
日中とは違って、頬を掠める風は少々冷たさを含んでいた。
住宅街に照らされる街灯のいくつかは切れかかっていて、特に点滅の激しい街灯には蛾が集まっていてゾッとする。
「よっ」
後ろから声がした。
誰かと思い振り返ると、口元に皺を寄せて笑った笹倉が片手を上げて立っていた。
「あれ、こっち?」
「ちょっと用事があってな」
「あ、そうなんだ」
何となくだけど、少し様子が変な気がした。
笹倉は俺の肩に手を置いて、ニッコリと微笑んでくる。
「ど、どうしたよ、何か変だよ」
「そうか? 俺はいつもこんな感じだろ」
「こんな感じか……」
「そんなことより、ちょっと付き合ってくれねぇか」
その言葉を聞いた時、俺は視界がぼやけたことに気がついた。体に力が入らないというか、意識がもうろうとして、何も考えられない。
何が、起きた……。
訳も分からないままに視界が暗くなって、誰かに抱えられた感覚が徐々に弱く薄れていき、遂には何も感じなくなってしまった。
そんな中、微かに聞えたのは、女性の小さな笑い声だった。
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